昨日の『北関大捷碑』の記事が、WEB版にも掲載されたので、取り上げておく。


■靖国神社・秀吉軍撃退の碑 韓国、反日利用か 「返還」要請波紋

この記事のポイントは、『国立公文書館アジア歴史資料センターにも「建立者の子孫に諮って承諾を得て運んだ」との史料が残っている。』である。
アジア歴史資料センターとは、国立公文書館、外交資料館、防衛庁防衛研究所にある史料を、WEBにおいて閲覧出来る場所に過ぎない。
私が4月1日のエントリーで取り上げた史料も、現物は防衛庁防衛研究所にある。
つまり、アジア歴史資料センターの史料として紹介している、私のブログを見た可能性が非常に高い。


それでは、昨日触れた、「別のハンコ」について。

普通に考えれば、「玉璽・国璽」というものは皇帝の使用する印であって、電気会社株券の売渡が行われた1908年~1909年には既に譲位し、太皇帝となっていた高宗が、「玉璽・国璽」を使用できる筈が無い。
また、売渡の委任状などに「玉璽・国璽」を使用する筈もない。
故に「玉璽偽造」というのは、比喩的表現であろうと推察できるのだが、そうとは言い切れないのが大韓帝国の辛いところ・・・。
基本史料の【4頁目画像】【5頁目画像】【6頁目画像】が全部偽造だったら、歴史変わっちゃうなぁ。(笑)

とりあえず、この事件が明るみになって以降、宮内府大臣等が処罰された形跡が見られない事と、上記の常識的な類推によりこの「玉璽」は比喩的表現であると考えて、昨日までの三日に渡り「啓字の御印」の濫用実態を書いた。

そして、「啓字の御印」以外に、もう一つ「玉璽」と表現されそうな「別のハンコ」がある。
「花押」である。


実は私もこの一件を調べる前までは、大韓帝国において「花押」が使われているとは知らなかった。
いや、中国が花押の起源であるので、李朝において使用されていても何の不思議も無いのだが、そこまで頭が回らなかったのである。

この「花押」に気付いた史料が、1911年(明治44年)11月21日付『李王職機発第12号』である。
これは何に関する史料かと言うと、基本史料の【7頁目画像】の6番目「膠州湾ニ買収ノ家屋事件」と恐らく同じ家屋が、趙南昇に下賜されたとされる事件についての報告書である。

膠州湾周辺地図

また「趙南昇」・・・。
今取り上げている「条約書類発見と玉璽偽造事件」の僅か一年後で、「趙南昇」がそれによってどのような罰を受けたか不明であり、且つ「条約書類発見と玉璽偽造事件」との関連性を指摘する部分も一連の「下賜事件」史料に無いため、同一人物とは断じ得ない。
そのため、ここでは限りなく黒に近い灰色の別人という事にして、話を進めていく。

さて、基本史料にも「事件」とあるとおり、この膠州湾の家屋とは元々胡散臭い物件であった。
この経緯は別の機会に譲る。

その胡散臭い物件について、「青島近地買得德國人家屋特為賜給爾知悉 丙午二月 日 朕自畫押」という書面により、自らに下賜された物であると申し出たのが、趙南昇であった。
この書面の真偽についての報告が、上記『李王職機発第12号』という事になる。

この報告書における李太王(併合後の高宗の称号)の発言を纏めると、以下の通りである。

下賜する約束はしたが、書面は交付していない。
花押は、多くの場合に自畫せずに判を用い、もし自畫する場合は、筆尖に針一本を挿している。
この書面にはそれがない。
また、この家屋はとっくに売却するか、処分したと思っていたので、この度の申し出は意外である。

この報告者である李太王所属事務官の津軽英磨は、当該家屋を趙南昇が下賜されたのは事実であろう。
そして殿下(高宗)は、従来約束を為す場合、なるべく口約束に止め、証書を与えるのを避け、やむを得ず証書を与える場合は、なるべく之を不完全な物とするのを習慣としていたようである、と述べている。


つか、伊達政宗の鶺鴒の目の逸話かよ・・・。

しかも証書を不完全な物にするのを習慣って・・・。

だから色々とややこしくなるんだよ!


この経緯からすると、電気会社株券売渡委任状の「玉璽」とは、「花押」の事である可能性も高いように思えた。
しかし・・・。

1911年(明治44年)11月22日付『機密第1783号』より。


本件家屋は、別紙明治44年11月22日『機第20号』小宮李王職次官の回答に拠れば、李太王より趙南昇父趙鼎九に譲与せられたるものと認めらるに由り、警務総監府に於て押収したる本件関係趙南昇所持別封書類は、本人に還付 (但し李太王啓字判文書と称する書類は、本人面前に於て破棄) 相成可然哉。


結局、更に混乱したりして・・・。
嗚呼、捜査関係の史料が見たい。
そう思っていたら、以下の記事が。

3・1運動直後の日本検察の捜査記録が公開

捜査記録等の半島に残されたままの史料、俺にも寄越せ。(笑)

こういう史料が残っているから、『史料利権』目当てに韓国に阿るエセ学者が出てくるわけで。

ま、この記事の3・1独立宣言関係は、別の機会に取り上げよう・・・。


さて、次回からは、今度こそ(笑)『条約書類発見と玉璽偽造事件』に戻る。
この連載がどこに行くのか、非常に不安になりつつ、今日はここまで。


印綬濫用(一)
印綬濫用(二)
印綬濫用(三)