李泰鎮氏の回答(一)
李泰鎮氏の回答(二)
李泰鎮氏の回答(三) 


今日もさっさと解説していく。


質問6

【報告書は1895年10月8日未明、景福宮に乱入した日本人たちが高宗と明成皇后の寝所のあった乾清宮に侵入した経路と、皇后殺害の地点、皇后の遺体をしばらく安置した場所と遺体を燃やした地点を記している。】との記述について。
 
当該文書に記されている上記に相当する内容は、【由】字から明らかなとおり伝聞であり、【地点を記している】のではなく、地点であると某人から聞いたことを示すものである。
如何なる理由を以て明確な証拠の如く扱うのか、その根拠を、史料を以て回答いただきたい。
 
くわえて、当該文書には【1895年10月8日未明】【景福宮に乱入した日本人たち】を示す記述は存在しない。
何故、存在しない記述を【記している】と捏造したか、お教えいただきたい。
 
以下の【日本人】との記述についても、同様に回答いただきたい。


回答6

「見取図」には侵入経路が線を以て表示されています。
よって、記事に大きな誤りはないと考えます。
“由”字と“伝聞”の問題については上の質問5の答弁に代ります。
また、"景福宮に乱入した日本人たち“に関しては内田の第1次報告書に詳しく述べられています。
記者はこの文書だけではなく、他の1次文書や日本人の目撃記までいろいろ参考したと知っています。
貴下の質問のなかでこの問題について“捏造”という表現を度々用いたのは適切ではないと思われます。



質問状の解説でも述べたとおり、地図の脇に「・・・・・・は光化門より乾清宮に至る順路」という記載があるのみで、『機密第51号』においても何等説明されていない。
何故か。

ここで、質問状の解説の12を思い出して頂きたい。
この時保留してあった、広島地方裁判所検事正の草野宣隆から内田定槌への電信の内容は、以下のとおりである。

「光化門ヨリ国王陛下ノ常殿及ヒ王妃ノ常殿ヘ至ル道筋就中事変ニ関係ノ位置間取距離等貴官等ニ於テ知リ得ラルヽ丈ノ略図ヲ作リ至急送付ヲ乞フ」(明治28年11月11日付)

要するに純粋な意味での「順路」なのである。
そもそも、「進入経路」であれば犯人に尋問するのが普通だろう。

回答2で李泰鎮教授自身が述べられたとおり、日本語にあまり詳しくない事に起因するのであれば、日本語の史料を読めもしないのに、妄想だけでこのような発表を行うな、と言いたい。


次に、朝鮮日報における日・韓・英・中の全ての記事の文責者、兪碩在(Yoo Seok-jae)記者は、李泰鎮教授の「新発見」した史料に全く存在しない言葉を、勉強熱心なあまり「錯誤」又は「誇張」した。

ここで述べられている「他の一次史料や日本人の目撃記」は、勿論今回の『機密第51号』と『附属地図』に、整合する内容なのであろう。

勿論、この後の回答で李泰鎮教授が評価する、「引出サレ」たのが宮女となっている内田の一次報告と、閔妃である『機密第51号』との決定的な内容矛盾をも解決する史料なのであろう。
そこには、必ずや、内田の一次報告に書かれた、日本人と行動を共にした「大院君」や「朝鮮訓練隊」を、無視する事の出来る事項も記載されているに違いない。

これら史料については、当然に李泰鎮教授も知っており、故に記者に訂正も求めず、回答もこのような内容なのであろう。

その、『新発見した史料』と整合する他の史料を提示しろと言っているのだ、大馬鹿者め!

記者に責任転嫁して終了とは何事か。

整合する史料を提示できない以上、やはり「捏造」であると断ぜざるを得ないのである。



質問7

【景福宮内部の細密な平面図】との記述について。
 
当該文書には【固ヨリ精確ヲ保シ難ク候得共概略ニ於テハ格別ノ誤謬無之モノト相信候】と記されている。
にもかかわらず、この地図を【細密】と評して殊更に重視する理由は何か、お教えいただきたい。


回答7

日本外交史料館に収蔵されている「見取図」の原本は細密であるという評価を受けることができる、と思っています。


全く以て回答になってない。
「思っています」とは何であるか。
主観だけで決めつけているとすれば、呆れて声も出ない。


さて、本日は回答8までの説明を以て終了したい。
しかしながら回答8については、既に3月18日のエントリーにて解説済みである。

ならば何故今回、殊更にこれを取り上げるのか。

それは、昨日指摘した致命的なエラーに関係しているからである。



この、(1)の場所。
今まで述べていなかったが、実は我々は、いとも簡単にこれを見つけた。
何故か。

地図原本では、この数字は朱書されているからである。

回答4において、史料原本を見れば分かる2枚あるいは3ページを、5ページとしていた事を併せて考えると、李泰鎮教授は史料原本を見ていない可能性が極めて高い。

また、この後説明する質問13において、外交史料館で教授自らが手写したとしている[朝鮮日報掲載画像]



この『示セル』に、韓国人に不要であるフリガナが為されている事についても、教授が直接見て書き写したのではなく、別の『誰か』によって書かれたとすれば、合点がいくのである。

せんせい。
「新発見」の史料、誰から教えてもらいましたか?


NAVER総督府日報に書かれたように、利権なのか何なのかは分からないが、韓国に阿るかの如き方の言うことを真に受けてるとすれば、足下を掬われるであろう。

連携するにしても、もう少しレベルの高い人と行うべきだと忠告しておこう。

さて、回答1についても思い出して貰おう。

私は関連資料を1997年8月に日本外交史料館で、自ら閲覧してから複写を申し込みし、何ヵ月後にソウルでそれを受けてみました。

(1)の場所が本当に分からないとすれば、この回答1と回答13は嘘である。

逆に李泰鎮教授が、(1)の場所を知っていて意図的にこのような回答をしている場合、回答5は嘘である。
この場合、(1)の場所が長安堂であることを隠蔽しているのであり、日本の隠蔽云々を指摘するなど、片腹痛い。

嘘の上に築かれた楼閣。
それが、韓国史学の権威の正体なのだろう。


李泰鎭の回答も無いので(一)
李泰鎭の回答も無いので(二)
李泰鎭の回答も無いので(三)
さよなら、李泰鎭