いよいよ安重根が暗殺に向かうまでのお話である。


1909年正月、炯秋(けいしゅう)方面へいき、同志12人と会合して話をした。

「よく考えてみると、特別の団体がなければ何事もできず、目的を達することが困難である。今日、我々は指を切って同盟を誓い、目的を達することを期したいがどうか」と相談した。

全員賛成したので、12人はおのおのその左手の薬指を断って、その血で太極旗(韓国の国旗)の前面に大韓独立という4字を大書し、大韓独立万歳を一斉に三唱して散会した。
これが断指同盟である。

その後、各地に行き教育を勧め、有志を結合し、新聞を購読することを日課とした。

1909年9月、ウラジオストックに到着すると、伊藤博文がまさにこの地に到着しようとしているとの噂で持ちきりになっていた。そこで、真実を確かめるべく各種の新聞を購読してみると、彼のハルビン到着は真実で、疑いのないことがわかった。
これを見て多年の目的を達する時期が到来したと判断。
伊藤暗殺に向けて安重根は動き出した。



これは、安重根が旅順監獄で書いたとされる、遺墨の一つである。
これを見ると実際に薬指が短い事が分かる。
 
しかし、私は大韓独立の血書を為した太極旗を見たことがない。
もし、見たことがあるという方が居たら、教えて頂きたいと思う。
 
他に断指同盟に参加していた11名とは、誰なのだろうか?
興味は尽きない。

独立記念館を再び見てみよう。


その後、露領のウラジオストク、煙秋などを往来しながら同志らと救国の道を探り、1909年には金基烈・白楽吉・禹徳淳など同志達と指を切るといういわゆる「断指同盟」を結成、一死報国を誓っては機会を待った。
1909年9月ウラジオストクから日本帝国主義(以下日帝と略す)侵略の元兇である伊藤博文がハルビンに来ると言う情報を入手、この機会を利用して伊藤博文を殺すことにした。


金基烈、白楽吉は、指まで切って同盟を為したのに、伊藤の暗殺に関与しなかったのだろうか?
名が全く伝わっていないばかりか、当時の逮捕者、容疑者としてすら上がっていないのである。


体調不良により、今日はここまで。