体罰問題について
スポーツ:体罰問題について
自分自身の見解は体罰は「不要」です。
自分自身バレーボール部時代、中学も高校も超スパルタ指導を受けてきました。
今思えば14歳の子どもの練習着が血まみれになり、顔中内出血の傷だらけ・・・ちょっと
考えにくいかも知れませんが我々のころはしょっちゅう、かつ地域に幾つかの部活はそんな
状況だったと思います。
正直に毎日の練習は嫌で嫌で、かつ怖くて怖くて・・スポーツの楽しさというものを感じる
ことはありませんでした。本心は「一日も早く引退したい」でした。
当時はまだ「耐え忍ぶが美しい」的な価値観からスポーツを楽しむという考え方は少なかった
ように思います。スポコンが流行り、巨人の星、アタックNO1が流行ったことからもその
風潮がわかります。
またあくまで個人的見解ですが、東京オリンピックの東洋の魔女:女子バレーの金メダルも
「鬼の大松」として有名な指導で結果が伴ったことから、日本ではスポーツが精神修行的な
意味合いが濃くなったのかも知れません。
中学も高校も結果的に兵庫県で優勝するチーム、全国大会にも出れるチームとなった事実
から「肯定」する一面もあるように感じますが、自分自身の見解は「体罰不要」です。
スポーツの教育的価値は「できなかったことができるようになって楽しい・自信になる」「相手
に勝つ為に戦略を考える」「成果をもって大きな達成感を得る」そして自己肯定感が高まる。
などなど体を鍛えるだけでなく社会を生き抜く上での沢山の生きる力が培われます。
しかし体罰は子ども達の「自立・自律」を促すことはありません。怖いからやる。怒られたくない
からやる。
相手チームの陣形を見て、次はどうすれば勝てるか、スパイクが決まるかを考えるのが
スポーツですが、自分は指導者の顔ばかり見てマニュアル通りに精一杯やることに注力して
いたように思います。
当然水分もダメでした。午後の練習では4~5時間の練習でめちゃくちゃ汗をかいても
水分は1滴も補給せず・・・練習後にはここぞとばかりに何リットルもの水分を飲んで、夕飯は
ほとんど食べれずアリナミン錠剤を飲んで寝るような毎日でした。
(自分で考えてコントロールできない)
でも今は全ての経験に感謝しています。そして、あの頃の辛さを思えばなんでもできる!
とスパルタの経験もポジティブに消化し、そして指導頂いた先生にも本当に感謝しています。
他人の子どもを殴る・蹴ることはどれだけ大変なことか・・・嫌なら「無視」ですよね。指導者も
本気だから体罰を与えてしまう。もう一歩頑張って乗り越えて欲しいから殴ってでもやりきって
欲しいという願いからだと思います。(信じています)
信じていますというのはもう一点「指導者のエゴ」という見方もあるからです。「自分が指導して
いるチームが結果を出す為に思い通りに動かない・動けない選手にイラつきからの体罰」も
考えられます。これは最悪・・・
教育が選手(子ども達)の自律・自立を期待するのであれば体罰は間違いなく不要です。
今回の桜ノ宮高校バスケ部の体罰による自殺、どんな理由であれ結果的に「死」を選択した
子どもがいる事実。忘れてはならない。親御さんの心想えば胸が痛む。
どんな理由があれど「体罰は不要」である。 以上