チボリの真実4(事業計画の変遷) | セラピスト・ラプソディー♪ ~真の健康をめざして~

チボリの真実4(事業計画の変遷)

1997年2月1日の入社当日こそ定時で退社したものの、次の日から既に残業に突入したのですが、まだまだ業務には余裕があったも知れません。

週休2日制ですので、グランドオープンまでは土日が休日でした。(すぐにそれも休めないくらいになって行くのですが・・・)


この時点では具体的な導入教育もなく、たちまち実戦投入のようなもので、数枚のデンマークチボリ公園写真や倉敷チボリ公園の平面図などしか知識を得るものがなかったように思います。

現在ならば、インターネットなどで誰でもある程度の資料を調べることが出来るかも知れませんが、当時はまだWeb環境が整う以前です。自分で調べる術もなかったのです・・・。


当時はまだチボリ公園の建築物は完成していませんので、会社は北浜町(現在はホームセンターコーナン・チボリ店がある場所)にありました。チボリ公園から200~300mほど北側になります。

小さな2階建て事務所とプレハブ事務所での仮住まいのような感じでしたが、入社時は70名ほどの社員でしたので、それでも賄えていたのです。


2月・3月で続々中途採用者や出向者の入社がつづき、チボリ公園建築物が完成した4月には第2期新入社員88名(内、専属楽団TWE25名を含む)を迎えることになるのです。

4月時点での社員数は194名で、その後も中途採用者が少し増えますのでグランドオープンの7月18日には210名ほどになっていたのだと思います。

(社員の構成についてはまた後ほど記述して行くことになります)


さて、入社から3週間ほど経って2月下旬に「チボリ事業の概要説明会」がありました。

対象は中途採用者および出向者でした。

そこで、初めてチボリ事業の実情を知らされることになるのです。


M常務(岡山県から出向者)が講師となり説明を受けるのですが、時系列での概要は以下の通りです・・・

【岡山計画】

1986年10月 岡山市制百周年記念事業企画委員会が設立され、ランド・システム代表H氏から

          チボリ誘致が提案される


      12月 (バブル経済の始まり)


1987年05月 チボリ公園岡山誘致委員会が(故)長野士郎岡山県知事、(故)松本一岡山市長、

          I 天満屋社長、(故)M岡山経団連会長(中国銀行頭取)、(故)K岡山経営者協会

          会長(岡山木村屋社長)、(故)M山陽新聞社社長の岡山県政財界の中心人物6人

          からなる「如月会」にランド・システムH代表を加え7人で作られる。


      10月 天満屋社長I氏(誘致委員会会長)とランド・システムH代表間で「チボリ誘致交渉

          依頼の覚書」を締結


上記が岡山市では初めてとも言われる大きなプロジェクトを市議会の審議も経ず、数人の政財界グループが先行計画を進めたと、後に百条委員会で問われることになるのです。


1987年10月 岡山市が市制百周年記念事業「センチュリーパーク構想」としてチボリ公園誘致

          計画を発表(候補地は旧国鉄岡山操車場跡地)


1988年07月 企画誘致会社(株)センチュリーパークチボリを設立。

          (会長:長野知事、社長:松本市長)

          チボリ・インターナショナル社(デンマーク)と「フェーズⅠ契約(マスタープラン契約)」

          を締結

          (ランド・システム社と「業務委託契約:委託費22億円」を結び、成功報酬・運営広告

           などの独占委託することが密約されておりチボリ・インターナショナル社との契約の

           成功報酬+岡山計画断念の後に契約書により手切れ金を含めて総額8億円以上

           が支払われることになる)

           

      09月 チボリ・インターナショナル社と「基本契約」を締結


1990年02月 運営管理会社チボリ・ジャパン(株)設立。

          資本金48億円(県5億出資、財界43億出資)、岡山市は出資金3億円を議会が凍結

          会長:長野知事、副会長:I氏(天満屋社長)

          社長:I氏(中国銀行頭取)、後にS氏(富士銀行)

          

          チボリ・インターナショナル社と「フェーズⅡ契約(マスターデザイン契約)締結


      10月 岡山市議会に「チボリ公園問題真相究明」の百条委員会が設立

          チボリ誘致のプロセスの適正であったのか、22億円にも及ぶ誘致業務委託費や

          不透明な金銭処理(使途不明金等)が審議される

          (91年3月長野県知事・I天満屋社長の告発決議が可決、後に市議会での偽証罪等

           を問われることになる・・・証拠不十分で不起訴)


      12月 チボリ問題打開のため松本岡山市長が辞職(チボリ推進を掲げ出直し選挙に打っ

          て出る)

 

1991年02月 チボリ問題を争点としての出直し岡山市長選でチボリ反対を唱えた安宅市長が当選

          (4年3ヶ月に及ぶバブル経済が崩壊。2002年頃まで「失われた10年」と呼ばれる

           不況期へ突入する)        
 

      03月 参議院予算委員会でチボリ問題が議題に上る
 

      07月 岡山市が用地取得断念を発表し、チボリ公園事業から撤退

          (これにより“岡山チボリ公園”計画は幻となりました)


【倉敷計画】

1991年09月 9月県議会で、長野県知事が倉敷市内のクラボウ工場敷地(倉敷市寿町)を新たな

          候補地として事業推進を図ることを表明

          故長野県知事が故渡辺倉敷市長を訪ね「県主体での事業推進」に対して倉敷での

          建設を要請し、同年6月に閉鎖したクラボウ工場跡地での事業推進を協議。 

          (岡山市が抜けたため、県主導事業としての色合いが鮮明になる。倉敷市へはあく

           まで協力要請という形態)


1992年01月 (株)センチュリーパークチボリからチボリ・ジャパン(株)へ営業譲渡


      08月 チボリ・インターナショナル社のカイサー社長が来岡し、クラボウ工場跡地を視察


1993年02月 チボリ公園特別委員会において事業慨案等を説明

          チボリ・ジャパン(株)民設民営の事業計画発表


      03月 岡山県とクラボウとの間で工場跡地の利用等についての基本協定を締結

          チボリ・ジャパン社とチボリ・インターナショナル社との間で、倉敷市における新たな

          マスタープラン契約を締結


      04月 チボリ・ジャパン(株)による地元説明会実施

          自然環境、生活環境等の現状調査を中心に環境アセスメントの事前調査を始める


      05月 岡山県とクラボウとの間で土地賃貸で合意(定期借地権設定契約は95年5月)


      06月 倉敷駅北・チボリ公園関連開発特別委員会設置


      09月 中核企業として参画を要請していた阪急電鉄が「安定的な経営には公的支援の充

          実が必要と指摘


          この時期までは、あくまで民設民営方式(一部県出資)の枠組みであったものが、

          中核企業として参加を要請していた阪急電鉄からの助言で、岡山県とチボリ・ジャ

          パン社による事業費の負担「一部公設民営方式」と開業後における地代負担を含

          めた支援措置を盛り込んだ枠組みへ変更。

 

1994年02月 公園の緑地など基盤部分と教養文化施設を岡山県が、遊具や売店などの営業施

          設をチボリ・ジャパン社が整備する「一部公設民営方式」と開園後の県の支援措置

          (地代負担など)を盛り込んだ枠組みを提示

          それに伴い県議会で長野知事が倉敷市に100億円の出資・融資要請を正式表明


          「公的補助があっても採算性の見込みが低い」と判断した阪急電鉄が中核企業にな

          らないとチボリ事業から撤退。

          民間主導経営から県主導(公設民営)に計画変更を余儀なくされる。

 

      03月 岡山県が公設民営方式を採用した「基本的枠組み」を発表

          渡辺倉敷市長がチボリ公園事業推進の意思を表明

          JR倉敷駅北広場の整備計画を発表


      04月 倉敷市議会にて市出資金15億円(3ヶ年)を可決

          チボリ・ジャパン(株)3代目社長にクラボウとの交渉で辣腕をふるった元岡山県副知

          事K氏が就任。(県主導の経営の新体制が発足)


      06月 チボリ公園周辺地区対策協議会設立

          6月県議会においてチボリ・ジャパン(株)への県出資金15億円を可決


      07月 第1次増資(35億3500万円、資本金合計83億3500万円)


      08月 地元町内会に対し施設概要等説明会を実施


      09月 チボリ・インターナショナル社と「倉敷マスターデザイン契約」締結

          本契約において従前の片務的契約を是正


      11月 ヘデゴー・デンマーク駐日大使が長野県知事を表敬訪問、公園予定地を視察


1995年03月 第2次増資(20億5500万円、資本金合計103億9000万円)


      04月 岡山県がチボリ公園建設事務所を開設

          本社所在地を岡山市厚生町から倉敷市北浜町に移転


      05月 岡山県とクラボウとの間で定期借地権設定契約締結(期間は50年間)

          環境影響評価調書がまとまる


      06月 3会場において地元説明会を実施


      08月 環境管理計画地元説明会実施

          地元にて生活環境改善班設立

          地元生活環境改善班へチボリ公園工事説明会開催


          第3次増資(23億3000万円、資本金合計127億2000万円)


      10月 ヘデゴー・デンマーク駐日大使、長野県知事、渡辺倉敷市長らを迎えて竣工式を開催

          【公園工事着工】


      11月 チボリ公園周辺地区対策協議会が県、市、チボリ・ジャパン社へ8項目の要請を提出


      12月 チボリ・インターナショナル社と「フェーズⅢ契約(友好提携契約)」を締結


1996年03月 倉敷市議会にて融資予算可決

          第4次増資(32億7000万円、資本金合計159億9000万円)


      04月 第1期新入社員19名入社。社員数60名規模に拡大


      05月 オールドコペンハーゲンおよびバックアレーの建設着工


      10月 チボリスタッフ(アルバイト・パート)の登録受付開始


      11月 第5次増資(1億円、資本金合計160億9000万円)


※青字は筆者の加筆です。(赤字を追加しました)


1997年3月には建物完成に至るのですが、この説明会があったのはその直前という時期でした。

(はっきりと覚えていませんが4月~5月頃には、寿町のチボリ公園内に事務所業務を移転したと思います)


そして、事業説明は核心に触れて行くのです・・・。


・・・つづく・・・