突然の来訪者
先日の昼休みに”突然の訪問者”が・・・
・・・(エントランスのチャイムの音♪)・・・
「こんにちは!」
誰だろうと顔を覗けると、20歳代前半と思しきキレイな女性が立っています。
「えっ~と、ご用件は?」
「お久しぶりです!・・・分かりませんか?」
えっ、誰だろう?。こんな若い女性とプライベートな付き合いは・・・?
彼女の風体を凝視します。
キレイに化粧をし、髪はなんていうんでしょう、編み上げてアップにまとめています。
クリーム地?に花柄模様の華やかな半袖のワンピース。
脳裏に何か響くものはありますが、「記憶にありません!」。
彼女は微笑んで僕を見ています。
こんなキレイな娘なら忘れないと思うんですが・・・?
記憶をたどります・・・何もやましいことはしてないはずですが・・・(笑)
「お部屋、大分変わりましたね・・・」
ああ~っ、クライアントだったか・・・良かった・・・(何の安堵じゃ~?)
リニューアル後を知らないとなると、1年半以上前の来院者ということです。
「えっ~と・・・」
「△△県の○○ですヨ・・・」
「えっ~~~!!!」(驚)
「お忘れでしたか?」
忘れはしない!・・・忘れるわけがない!!
彼女は2年以上前に当院に通ってきていたクライアントでした。
症状は、重度の来院者が多いウチの中でも『最重度』・・・
人づてに噂を聞いて、隣県より初来院された時は・・・
服もスカートも白色・・・白い大きな帽子をかぶり、肌が露出しないように上から下まで全て真っ白の衣服・・・
母親に付き添われ、自分では症状もしゃべれない状態(これは精神的なもの?)。
”主訴”は身体中の痛み、倦怠、不眠、生理不順、頭痛、嘔吐、呼吸が困難・・・
夕方までベットにいて、それから少し活動する生活・・・
あらゆる検査を受け、「異常は無い」と・・・
「精神的なもの?」と心療内科を勧められ通院しているが、「安静にしなさい・様子を見なさい・原因が分かりません」と・・・もう2年近くそんな生活・・・
施術衣に着替えてもらい、まず立ち姿を観ますが・・・”ふらふら”し背中は丸まり、顔つきも締りがありません。
仙腸関節(骨盤の関節)が動きません。身体中の筋肉が「ガチガチ」です。
口を開ける様にしてもらっても「ガクガク」して上手く開きません。
仰向けにベットに寝ると・・・「身体が痛い!、電気消して~!」と・・・
蛍光灯に肌が反応を起こしているのです。
蛍光灯は1秒間に60回(東日本は50回)点滅しています。この点滅と”白色光”がダメなのです。(この頃同症状の来院者が続いたことから臨床室は”調光式白熱灯”を光軸が目に入らないように設置しました)
この日は明かりを消しての施術となりました。
身体を触ろうとすると・・・”ほんの少し肌に触れただけで、痛い!”・・・
仰向けに寝てるだけで、”息苦しい”・・・
クレニオ・セイクラル・セラピーの「CV‐4テクニック」(後頭骨のみ圧迫します)も「ジンジンする」と出来ない・・・5g圧で肌に触れるだけで「なんかキツイ・苦しい」・・・
初日に触れたのは・・・”手のひら”、”足首から先”・・・
それでも、触れた筋肉の拘縮(硬く縮こまった状態)をゆるめ、楽な姿勢を見つけ90秒間その姿勢を維持させることで”胸筋群”をゆるめることだけは出来ました。
終了後に身体の状態を説明する時には、「久しぶりに胸が楽になりました」と言うのです。
しかし、「オステオパシーで体調を改善できるかどうか、何とも言えません・・・」と言うしかなかったのです。
「それでも、すでに行ける所は全て行ったので、コチラにすがるしかない」とおっしゃるので、当初は1日ないし2日おきに来院をお願いし、そこからセラピーが始まったのです。
始めのうちは、3歩進んで2歩下がる・・・3歩進んで3歩下がる?・・・が続きました。
3週目頃からは週一回に・・・しましたが、当初全て家族が送り迎えしていたのが、1ヶ月もすると隣県から1時間半かけて(電車の便は良いので)一人で来院される様になり、3ヶ月目ごろには普通に身体に触ること(オステオパシーでの一般的施術方法)が出来るようにはなりました。
4ヶ月目頃来なくなり、どうしたのか?、良くなったのか?、また悪くなったのか?、どこか他に行っているのか?と思っていたのですが・・・
それから、約2年後の来訪です。
「あれから体調良くなって、何とか生活してました・・・ありがとうございました」
「そう!良かったですね。今は不調は無いの?」
「時々痛みとか、寝付かれないときはありますけど、普通に生活してます」
「それで今日は?・・・」
「チボリにこれから行くんで、そのままになってしまったんでご挨拶に・・・」
この業種では良くなると突然来られなくなるため(1回分の料金が掛かりますからネ)、お礼状とか頂くことはありますが、なかなか経過が分かりません。
何ヶ月か何年かして、また調子が悪くなり再来院された時に「あの時は良くなった」と聞く位いが関の山なのです。
彼女の表情やしゃべり方で、体調が良いのは歴然と分かります。
あの頃は化粧すら出来ず、表情はいつも沈んでいました。髪もボサボサ・・・。
服装はいつも『白』・・・陽の光を嫌って、来院はいつも夕方・・・。
その頃とは別人です。
手作りのクッキーを持ってきてくれました。(こんなことが出来るようになってるんですね)
今は何か勉強して、職に就きたいと考えているようです。
そして、彼氏が出来、「車で待っている」と言うことです。
「先生・・・これから私、生きてゆけます・・・」との言葉を残して彼の元へと向かいました。
突然の来訪者でしたが、「ああ、セラピスト冥利に尽きますネ」。