「ビルマ(ミャンマー)よりインドのスラムの方がいい」 ビルマから亡命したロヒンギャ人 | チベットとビルマの難民支援 難民支援NGO"Dream for Children"公式ブログ

「ビルマ(ミャンマー)よりインドのスラムの方がいい」 ビルマから亡命したロヒンギャ人




インドのデリー南東部の汚いゴミ捨て場の竹の小屋に、モハメド・サリム・ウラー(27)は座っていた。彼は、ロヒンギャ人だ。彼は、東南アジアの海で同朋が危機に直面していることにまだ気付いていないようであった。

しかし、この危機の知らせを聞いても彼は驚かなかった。

「事態が悪化しているようですね。」

数千人のロヒンギャ人とバングラデシュ人が、タイ、マレーシア、インドネシア近海で漂流している。どの国も彼らを受け入れたがらない。病気、飢餓、絶望が広がっている。喉の渇きを潤すため、自分の尿を飲む人もいる。

「ビルマ(ミャンマー)で、私の両親は私の目の前で殺されました。母は目の前でレイプされました。私達は、野良犬のように殴られました。」

2012年、ウラーは、ミャンマーから脱出した。イスラム教徒のロヒンギャ人に対する攻撃が起きたためだ。ウラーは、妻と2歳の息子と共に、徒歩でバングラデシュに入り、その後、インドへたどり着いた。

「残虐行為が何年も続いています。誰も我々を助けようとはしませんでした。今、状況がよくなる理由がありますか?」

ウラーの家族は、デリーのカリンディ・クンジの竹の小屋で、ロヒンギャ人60人とともに暮らしている。屋根には防水シートがかぶせてあるだけだ。

ウラーは、小さな店を経営し、キャンディー、ポテトチップス、防虫剤、薬などを売っている。


自由の空気

インドは、アフガニスタン、チベット、ソマリア、ミャンマーなどから逃れてきた外国人を20万人以上受け入れている。しかし、難民を保護する法的枠組みはない。

ウラーが暮らすスラムには、電気、きれいな水、トイレはない。

スラムに暮らす人々は、廃品回収や、日雇い労働で生計を立てている。1日の稼ぎは、300ルピー以下だ。トイレは、藪や、汚いヤムナー川でする。

ウラーたちは、汚さと悪臭には慣れたという。

「ここでは、宗教の自由があるのです。宗教が理由で殺されることはないのです。子供に教育できる望みがあります。故郷よりはいい暮らしです。」

ウラーの夢は、5歳の息子タミンが学校を卒業することだ。


非公式な数字

ウラーは、デリー、ウッタル・プラデシュ、ラージャスタン、ジャンムー・カシミールなどの仮キャンプに暮らす8,630人の難民認定を受けたロヒンギャ人のうちの1人だ。彼らは、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) から難民認定を受けている。

「まだ難民認定を受けられない人々に関する信頼できる情報はありません。そのため、インドに難民認定を受けていないロヒンギャ人が何人いるのかはわかりません。」
UNHCR のスチタ・メタ報道官はこう述べた。

ロヒンギャ人は、ミャンマーに何世代にもわたり暮らしているにもかかわらず、「ベンガル人」と見なされ、市民権を認められていない。

そのため、通学、結婚、雇用、誕生、死亡に必要な身分証明書を取得できない。

ラカイン州では自由が制限されていること、2012年に民族衝突が起き、数百人の死者が出たことから、多くのロヒンギャ人がよりよい暮らしを求めて亡命している。

UNHCR は、難民認定されたロヒンギャ人に身分証明書を支給している。この証明書には、「任意逮捕、拘束、強制送還から保護される」と記されている。

メタによると、身分証明書は、それを最も必要としている少数の人に支給されているという。


よりよい暮らしを求めて

難民認定を受けたロヒンギャ人もインドでは差別を受けている。

「我々を雇ってくれる人はいません。誰も難民、特に、イスラム教徒の難民を雇いたくないのです。」
お茶を売っているモハマド・ハルーン(41)はこう語る。彼の1日の稼ぎは、200ルピーだという。

「ビルマで、私の家族は、15エーカーの土地を持っていました。しかし、その土地は、2012年の民族衝突の際に奪われました。私達には、着ている服しか残されていませんでした。そして、インドへ亡命したのです。」

ハルーンは、12フィート四方の小屋で、2人の姉妹と2人の10代の甥と暮らしている。

ハルーンは、ここで2年間暮らしているが、インド政府の役人が状況確認に来たことはないという。

「この2年間、3人の子供が蛇に噛まれて死にました。病院は、書類がない人を受け付けてくれません。」

ロヒンギャ人が暮らす土地を所有する Zakat Foundation of India のS.M. アマヌラーは、2013年の事件を覚えている。

「ロヒンギャ人のためにアパートを建てることを提案しました。しかし、低い土地が建設に適さないとして、提案は政府に却下されました。」

アマヌラーによると、政府はロヒンギャ人がインドに住むことを認めていないという。そのため、ロヒンギャ人のためにさらなる土地を提供することは、政府にとって論外なのだという。

「カリンディ・クンジの1,100ヤードの土地しか使えません。」

2013年、Human Rights Law Network (HRLN) が、デリーと近郊のハルヤナに暮らす150のロヒンギャ難民の家族の状況改善を求めて、最高裁判所に訴えを起こした。

次の公聴会は、7月に行われる。

「ロヒンギャ人の家族は非常に危険な場所で暮らしています。基本的な医療、安全な水、安全な住居はないのです。」
HRLN のケリー・マックブルームはこう語る。

「マラリア、デング熱、下知などの病気が蔓延しています。医療がないため、子供も死んでいます。」

ハルヤナの方が状況が悪いという。政府がロヒンギャ人を無視しているため、ロヒンギャ人は私有地にキャンプをつくるしかないという。

「彼らは、土地の所有者に追い出されれば、別の場所を探します。絶えずキャンプを移動しています。」


「恐怖のない食事」

23歳のサムジダ・ビーガンは、2012年にミャンマーでの衝突で夫を亡くした。ビーガンは今、インドに亡命している。政府からは無視されているものの、インドを去るつもりはないという。

「ここでは、恐怖を感じずに食事をすることができます。それだけで十分です。」

「ミャンマー政府は、政府がしたいことをやるだけです。ミャンマーに戻りたいとは思いません。」

「モンスーンの季節が来るのが心配です。汚い川の水が溢れてキャンプに押し寄せれば、バケツで水を掻き出さなければなりません。」

【亀田浩史訳】

元の英語記事はこちら




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