ビルマ(ミャンマー)で地雷を踏んだ人の話
ゾーテイ(37)は、ビルマ(ミャンマー)のカチン州のパカント街の労働者だった。彼は、何年もカチン州の不安定な状況に耐えてきた。しかし、彼の運命は大きく変わった。
ある夜、ゾーテイがバイクで泥濘を走っていると、突如爆風が起きた。そして、地雷が彼を襲った。
ゾーテイは両腕を失った。両足も重症だ。地雷片は顔も襲い、ゾーテイは左目の視力を失った。
ゾーテイは、家族と友人にラングーン中央病院の病棟へと運ばれた。絶対安静だ。
「まず、家族は彼をモフニン街病院へと搬送しようとしました。パカント病院よりはいい病院でした。しかし、戦闘が起きており、交通は遮断され、モフニン病院にはたどり着けませんでした。」
ゾーテイの友人カインネミンはこう語る。
「ラングーンまでは10日かかりました。」
ゾーテイはまずパカント病院に搬送され、その3日後に、マンダレー病院に、次いで、ラングーン総合病院へと運ばれた。
カインネミンによると、ゾーテイが地雷を踏んだのは1月13日だという。ゾーテインは、妻と2人の子供をかかえる貧しい労働者だ。
「彼の未来のことは考えられません。」
「彼は一家の大黒柱でした。」
「子供にも、父親の身に何が起きたのかまだ言っていません。」
カイネミンは悲壮な表情を浮かべてこう語った。
ゾーテイの事例は、カチン州での戦闘の犠牲者の一例に過ぎない。2011年6月以降、ビルマ政府軍はカチン独立軍と戦闘を行っている。
戦闘のほとんどがカチン州北部で起きている。パカントなどの他の地域は政府軍の手にある。カチン独立軍は、待ち伏せ、地雷、爆弾を使ったゲリラ攻撃に出ている。
ビルマの政府軍と少数民族軍との戦闘では、両軍ともに地雷を使用する。
Landmine and Cluster Munition Monitorの報告書によると、2011年、ビルマでは、地雷により、84人が死亡、297人が負傷したという。実際の死者数はこれよりもずっと多いと思われる。
Landmine and Cluster Munition Monitorによると、ビルマには地雷の犠牲者の治療をサポートする政策がないという。紛争地域での緊急治療も「非常に限られている」という。
カインネミンは、パカントでの恒常的な戦闘で、人々は危険にさらされ、生計を立てるのも難しくなっているという。
「戦闘を停止させなければなりません。パカントの人々は恐れおののいています。地雷を踏む恐れがあるため、家から遠くにも行けません。」
カインネミンはこう語った。
「戦闘のため、子供はずっと学校に行けません。」
カインネミンは、ゾーテイのような地雷の被害者に政府が支援を行わなければならないと語る。支援のあてもなく、治療費3,500ドルをどうやって支払うか、ゾーテイの家族は途方に暮れている。
ラングーン総合病院の治療も劣悪で、ゾーテイは治療を受けるまで3日間待たされたという。
「でも、不満は言いません。不満を言えば、今後、ゾーテイへの対応が悪くなる可能性があるからです。」
爆発から11日後の午前11時、ゾーテイは、ついに手術室へと運ばれた。
【亀田浩史訳】
元の英文記事はこちら
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