19歳のウイグル人女子大生に死刑判決 | チベットとビルマの難民支援 難民支援NGO"Dream for Children"公式ブログ

19歳のウイグル人女子大生に死刑判決

twitterではすでに流しましたが、年末最大のニュースでしたね。




19歳のウイグル人女子大生が死刑を宣告された。2009年のウイグル抗議活動以降、女性に死刑が宣告されたのは2例目である。



20104月の裁判で、彼女は死刑を宣告された。ウイグル人の抗議活動に関わったことが罪に問われた。



ペジレット・エクベルは抗議活動に関与したとして死刑判決を受けた2人目のウイグル人女性である。もう1人の女性は2010年に中国当局に処刑されている。



彼女の匿名のクラスメイトは手紙でこう綴っている。「抗議活動に参加しただけでなぜこんなにも重い罪を受けるのかわかりません。裁判は非公開で行われ、両親にも裁判の結果が伝えられただけです。」


「裁判の結果を伝えられた両親は裁判の結果を口外しないよう警告されていました。」



ペジレット・エクベルは抗議活動の前、ウルムチにある新疆大学でロシア語を学んでいた。



しかし、彼女は家族を経済的に支えるため、休学し、漢人が経営するグランドバザールの店で通訳兼営業として働いていた。



グランドバザールは、200975日に最も大きな抗議活動が起きた場所の1つで、中国当局によると200人近い死者が出たという。



ペジレット・エクベルは抗議活動の2ヵ月後、イリ県フオチヨン郡Suydungにある両親宅に滞在中に逮捕された。



200974日の段階では、彼女は翌日の抗議活動に参加する予定はなかったと、友人は言う。



「彼女の職場は抗議活動が起きた中心地でした。警察がデモ隊に発砲しているのを見て、いてもたってもいられなくなったのでしょう。」



「彼女は民族問題には注意深く行動する人でした。大学でのディスカッションでもそうでした。彼女の祖父がウイグルの独立を求める戦士だったということもあるのでしょう。




心配する父



45歳のペジレット・エクベルの父はかつてQorghas県の国家安全担当の役人であった。しかし、1990年代後半に民族間の緊張が高まり、職を追われている。



ペジレット・エクベルの祖父はイリ県のグルジャ市で1944年に設立された東トルキスタン自由軍のメンバーを務め、中国からの独立を訴えていた。



エクベルの父の友人によると、エクベルの父は2010416日に拘留中の娘に面会するためウルムチに出向いたが、警察にウルムチを追い出されたという。



「娘に会えずに帰ってきたのです。それは裁判の数日前のことでした。」とエクベルの父の友人は語る。



「その後、エクベルの父には会っていません。娘さんの身を案じてのことだと思います。うっかり人と会って『国家機密』を喋ってしまわないよう人目を避けているのだと思います。裁判後に娘さんと会うことができたのかはわかりません。」



エクベルが働いていた店のオーナーZhangはエクベルの拘留と裁判について簡単に電話で質問に応じた。



エクベルの所在について尋ねると、20099月以降店には来ていないと彼は応えた。



いつ彼女が戻ってくるかと尋ねると、「戻ってくることはない。」と応えた。なぜ戻ってこないのかと尋ねると彼は電話を切った。



エクベルに判決を出したウルムチ中等裁判所の役人とエクベルの父をウルムチから追い返したGhalibiyet警察署の警察官は電話取材を拒んだ。



家系が原因?



アメリカ在住の世界ウイグル会議のスポークスマン、イル・サット・ハッサンによると、エクベルが死刑になったのは彼女の家系に関係がある可能性があるという。



「政治、民族問題に関する裁判を受ける場合、家系が考慮されることが多いのです。」とハッサンは言う。

「共産主義者の家系であれば殺人を犯しても死刑にはならないでしょう。しかし、反共産主義者や独立を唱える家系の場合は無実でも死刑になることがあります。」



「死刑判決にはエクベルの家系が影響したと思います。」



中国当局によると、エクベルはウルムチでの抗議活動の後死刑判決を受けた2人目の女性である。



20101月には20歳のハイリンサ・サウトが抗議活動中に殺人を犯したとして死刑になっている。



また、グルミレ・イミンという女性は2009年の抗議活動中に「違法な組織を動かした」として終身刑になっている。


【拙訳】


元の英文記事はこちら。






この件はあまりにひどいので、死刑取り消しを求めるべく、他の国際機関をあたってみます。