自分の源を失わずに世界を移動すること | 女医の国際精神保健

女医の国際精神保健

精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
他にも、旅行、馬術、音楽、写真などについて記載しています。

10歳頃にスウェーデンに二年住んでいる間に考えた/感じた
「当たり前と思っていたことは当たり前じゃない」
「皆がそうだからといって、自分もそうとは限らない」

そして、日本帰国後に感じた
「目立たないこと、仲間ハズレにならないこと」

独立2年目のクロアチアへ遊びに行って考えた
「自国と隣国との関係」
「自国を自国らしくする用件」
「アジア人であること、女性であること」

そんな感じで世界を移動すると、自分について考える機会が増えるし、「自分に関する感覚」を研ぎすまさないと見失う感覚が増えます。
そんな点もちょっとスリリングで好きでした。

2009年8月からロンドン
2010年9月からジュネーブ
2011年1月からニース
2011年3月からフィジー
2011年6月からジュネーブ
と、学校や仕事のために移動をした私。
上記のスリリングな感じに加えて、この数ヶ月は
「私、こんなに移動して何をしているんだろう?」
「根無し草になっちゃったのかしら?」
と考えるようになりました。

そんな時に友人がフェースブックでシェアしていた記事  こちら
とっても納得。
(彼女も米国を出発し、マラケシュ、ジュネーブ、ベルリン、ルワンダ、ロンドンと母子保健対策のために移動中)

私がぎこちなく要約や和訳するよりも、本文を読んで頂きたいと思いますが、特にナルホドナットクしたのは以下のあたりです。
"Yet home need not always be a place . It can be a territory, a relationship, a craft, a way of expression. Home is an experience of belonging, a feeling of being whole and known, sometimes too close for comfort. It's those attachments that liberate us more than they constrain. As the expression suggests, home is where we are from — the place where we begin to be."

こんな要素も考えながら、次の一歩を考えようと思います。