En vogueのfree your mindです。
Before you can read me you gotta
Learn how to see me, I said
Free your mind and the rest will follow
Be color blind, don't be so shallow
その通り!
このこと、フィジーでとても感じます。
私が長い時間を過ごしたことがあるのは、日本、スウェーデン、ロンドン。
そのどの土地でも感じなかった感覚「人種差別」「先入観」
私がこれまで居た土地は、いろんな人がいることに慣れている土地だと思います。
そして、日本では自分が多数側にいるので、存在しても気づいていないのだと思います。
http://ameblo.jp/drcityangel/entry-10877054709.html
ここでも記載しましたが、フィジーには、フィジー人、インド人、中国人が多く住んでいます。
ここ最近の中国人の移民も増加しているようです。
そして、そこに援助組織関係などのオーストラリア白人がちらほらいます。
フィジー人の心の中にはおそらく
白人=偉い
インド人=商売上手
フィジー人=元祖フィジー人
そんな構図があります。
そして、
中国人=よそ者、英語ができない(=お馬鹿)
という構図がありそうです。
見た目的に、日本人も中国人のくくりに入ります。
店頭で、道ですれ違いざま、初対面。
いろんな場面で、相手の言動から
「え?英語喋れるの?」
「ふーん、実はそれなりに物事考えてるのね」
というのが漂ってきます。
何かを拒否されたりすることはありませんが、「小馬鹿にされてる感」は否めません。
この一昔か二昔前のような人々の発想。
まあ、萎えることはありますが、「私に問題」というよりも「その人がどんな人かが映し出されている」と思えば、それはそれでと割り切ることはできます。
特に「信用ならん」と思うのは、小馬鹿態度だったのに私が医師と知るなり手のひら返すパターン。
水戸黄門??
外国人、有色人種、ゲイ、障害者などのマイノリティは、この辺りのことに益々敏感だと思います。
先日友人とこの点について話していて、
「君にこの感覚を味わってもらえて良かったよ。分かち合えるものが一つ増えたよ」
韓国での経験と合わせて(↓)、世界への理解が一つ深まった経験と考えることにします。
http://ameblo.jp/drcityangel/entry-10585562850.html
個人のレベルでの感覚は上記の感じですが、公衆衛生や開発で考えると、「白人に従う、学ぶ」という姿勢はクセになっているのではないかな?と思うこともあります。
「フィジー人のフィジー人によるフィジー人のための」という点にフィジーが納得行った時に、国は前進するのではないかな?というのが、私の仮説です。
http://ameblo.jp/drcityangel/entry-10856584317.html
この時(↑)はまだ分かっていなかった私。
その後、一つ経験したようです。