行って来ました:LSEの国際精神保健セッション | 女医の国際精神保健

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精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
他にも、旅行、馬術、音楽、写真などについて記載しています。

これ に行きました。

LSHTMとは全く違う人の集まり。
そういうのも大事ですね。
もちろん、聴衆にはLSHTMの学生が何人か。
他にはLSEの学生、NGO関係者、臨床医などなどがいたようです。
おそらく交流促進目的で休み時間が長めにとられていたので、一日の間に数名とコーヒーを飲みながら話しました。
いろんなことは人間のつながりなので、セッションと同じくらいこの休み時間での会話はその次につながることが大切なのだと思います。
時折交差するVikram Patel先生チルドレン達(私も!)も数名いました。皆、一歩ずつ前進していて、この先も会えるのが楽しみ☆

全体としては、いつものイギリスの精神科医や人類学者からの国際精神保健に関するセッションに加えて、カナダや南アフリカの学者やザンビアやイギリスの患者のセッションがあったのが興味深かったです。

印象に残った点を挙げて行きます。

<研究者より>
国際精神保健の大気な任務は、物理的および政治的に力のある人にいかに追いやられがちな人々をつなげるか。
これに皆で集約して取り組めるための枠組み作りが大切。
この際に何が実際に効果があるかは専門家が決定していくので、そこの舵取りは大事。
lancet series, global mental health movement, mhGAPはその大きな前進の目印。

精神保健サービスへのアクセスから更に進めて、精神保健/精神の健康へのアクセスとしたい。

<NGOより>
Basic Needs が重視する柱は
1、capacity building(人材育成など)
2、community mental health
3、livelihood(生活の糧が不安定ではそこから抜け出せない)
4、research
5、management
them-usではなく、them-governmentの視点が大切。
behave responsibly to the data we have
地元の政府に認知されることが最初も途中も大切。

<研究者より>
研究は取り巻く環境、流れの中に存在することを忘れない。
etic- emic tensionがある。
etic:どの文化にもまたがる視点で精神科医はこの視点。
emic:各文化特有の視点で人類学者はこの視点。
pseudo etic:例PTSD
自分が受けたトレーニングの立ち位置を把握すること。既に自分の視点はそこから来ている。
1, be aware of your biases
2, be open to feedback
3, learn from the community
4, be creative how you bring your resources
いろいろな質問紙などを翻訳して地元の研究に使えるか?
ー完璧なものはないので、大体は良い線行っているという視点で使用する。
研究に協力してもらえるようにどのように参加者に動機付けをする?
ー地元のリーダーとまずはつながること。地元が必要としているものを知ること、そしてそれを自分が実現できるように工夫すること。研究結果が出たら、必ず参加者に知らせること。すると次につながる。
必要性があり物事は動く、費用はあとからつけられる。

<患者より>
global mental healthの定義をつくるのが大事。広過ぎても、矛盾していても使いにくい。
患者や使用者のinvolvementがいわれるが、これは誰かが一方的に良いと思うものに巻き込むことではない。
存在するサービスがシステム上それしかないため、そこからしぶしぶ選んでいるということも起きる。
使用者が何かの決定に立ち会えるもしくは影響力を持つ事は重要。でも決定をするのは政治家など。
システムはとてもゆっくり変化していくものである認識は大事。
文句や使用困難を訴える場合は、かならず代替案を合わせることが大切。
「強制加療」は最低限の範囲にされるべき。

<患者より>
ザンビアでは、いろんな理由で医者に行けずにtraditional healerにかかることが多いが、その結果に満足しない人が圧倒的に多い。
1951年にイギリスが植民地向けに作った法律をそのまま使っており、その精神は「厄介者は閉じ込めろ」。これを現代のものに書き直したい。
貧困、人権問題も精神保健につながる。
stigmaによる弊害は甚大。
focus your activity and support others.

<学者より>
精神保健、国際精神保健のくくりは大き過ぎて、それぞれが勝手に思い描くものがなんでも括りに入ってしまう。
evidenceだ、といって事実であると認定したものは、それが本当だろうと誤りだろうと事実/真実として扱われ、事実となる。
製薬会社の思惑が絡むことも認識が必要。例えば、製薬会社が主催の学会で薬物の効果に関する意見交換を促進し、薬物加療を優先することもおきている。
精神保健のアメリカ化は顕著。

<人類学者より>
住民はそれぞれの生活環境に取り巻かれている。症状を取り出して、診断をして、それで全てを解決することは不可能。もっと住環境全体に働きかけるべき。
診断はレッテル張り。

といったことがいろいろダイナミックに語られました。
研究発表をする方もいれば、自分の経験を語る方もいたり、大きな枠を語る方もいたりと形式は様々でした。
今回の話しでも指摘されていましたように、自分に背景を考えると、日本で医者/精神科医の訓練を受けて、イギリスで公衆衛生の訓練を受けています。
大学院に入る前の昨年を思うと、この視点が磨かれたのを実感しました。
いわゆるcritical thinikingも自分の中に芽生えていることも感じられます。
研究結果の発表を聞いても、その利点、欠点、限界などが見えるようになり、それに向けての自分の意見も出て来るようになりました。
全く違う意見に出会っても、どこを押さえて置きたいか、どの点で賛成するか反対するかが明確になってきました。
まだまだ駆け出しなので、深みを得て、経験を積むことが大事ですが、この大学院での勉学で大切な基礎ができたことが感じられ、嬉しいです。

私の感想を述べますと、
実務経験があった方が、他人の質問にも速やかに応えることができ、全体の説得力が増す。
直接話しを聞くと文章などでは分からない隙間の情報が分かる。(それが実務者にはより重要だったりする)
literature reviewの実力はやはり大切。
meta analysisに入れる研究にならないと全体への影響力は少ない。
observational studyも意義も大きい。
qualitative studyはtheoryになるまで解析しないと聞きにくい。
消費者中心といっても、自分の状態が医療が必要な状態と思わない人もいるので、そこへのoutreachは大事。
自分の立ち位置/意見がしっかりしていないと、流される。
治療法や解決策に結びつくのであれば診断は大事な入り口。逆に、それが続かないのであればただのレッテル張りとなる危険性があり、それらは全体の環境次第。
「できる」と期待が持てれば実行可能。「できない」と思った時にそこで終わる。
industry drivenと批判されるが、薬剤は必要なものなので、うまく折り合いをつけられれば、精神疾患の加療が必要な人により加療が届きやすくなる。
精神科医、人類学者で国際精神保健への取り組みが異なるように思えるが、結局目的と問題意識は共通で、問題の広さの違いに思われる。精神科医は疾患、医療のみに着目し、人類学者は全てをみる。精神科医の私の視点としては、一つの資源や人が全てを行うのは難しいので、適切な役割分担が必要。
人権の観点は問題を特定できるけれど、解決策を提案できるかなあ?

ちなみに、全体の会合の中でもmhGAPでインターン予定の私はかなりおたく予備軍度高いです。(笑)