皆さんこんにちは、珠下なぎです。
本日は第4部のまとめの4回目、最終回です。
文中の番号に対応する記事に対し、末尾にリンクを貼っていますので、興味を持ってくださった方はご参照くださいね。
~第4部『陰』を殺した近代社会」のまとめ3~
第4部で、近代社会が切り捨ててきた「陰」の部分の大切さを指摘しています。
日本人が大切にしてきた「おかげさま」もこの「陰」の部分です。
そして、目に見えない「おかげさま」を大切にする論理は、宗教の論理に「愛」という形で含まれているのですが、宗教は多くの危険性をはらんでいます(詳しくは昨日の記事をご覧ください)。
特に、現代の日本人は特定の宗教に傾倒する機会はあまりありません。
そんな日本人が、特定の宗教に走ってしまうのは、競争に敗れたとき、大切なものを失ったとき、自分のアイデンティティが揺らいだ時などです。
そんな時は、「愛」「自分を癒してくれるもの」を求めて、宗教に傾倒してしまうことは多くあるでしょう。
しかし、「愛」「自分を癒してくれるもの」は宗教に走らなくても、実は身の回りに存在しているのです。
自分を支えてくれた家族や友人もそうですが、自分を生かしてくれているもの~故郷の山や川、住んでいる場所の緑~それらの中に十分含まれているのです。
それに気づかずに特定の宗教に走ってしまうのは、自分を支えてくれる「おかげさま」が見えなくなっている状態なので、大変危険であるといえます。宗教には、簡単に人を支配してしまう力があるからです。(①)
私は、日本人は宗教とは「いい加減」に付き合うのが望ましいと思っています。
クリスマスに教会に行き、除夜の鐘を聞き、初詣に行く。
一見節操がありませんが、「この宗教でなければならない!」という宗教の排他性を排除することができます。
そして、特定の宗教にはまらなければ、悪質な宗教の被害に遭うこともありません。
弱肉強食の競争社会で「力の論理」に打ちのめされたり、大切なものを失ってどうしても宗教的なものを求めたくなったら、住んでいる場所の近くの緑の中で深呼吸をしたり、家族や友人との時間を大切にしたりしましょう。
そちらの方がよほど、本当に大切な「おかげさま」に気づかせてくれます。
「宗教」と「宗教的なるもの」は違います。
「宗教」には団体のエゴや支配の構造が含まれますが、「宗教的なるもの」は、「宗教」のエッセンス=おかげさま=純粋な愛の論理です。
そして、「宗教的なるもの」は自然や身近な人や物、宗教以外の場所に存在していることの方が多いのです。(③)
原発事故は、日本人が大切な「おかげさま」を切り捨てた結果でもあります。
なぜなら、原発事故は環境に多大な影響を残すからです。
魚が水を離れて生きていけないように、人間は環境を離れては生きていけません。
環境も、人間を生かしてくれている「大切なおかげさま」だからです(④)。
初めての方は目次をご参照ください
http://ameblo.jp/dr-nagi/theme-10069952155.html
今までのまとめ記事をお読みになりたい方はこちらへ
「第3部 現代社会への処方箋~持続可能な社会の実現に向けて…
第3部 現代社会への処方箋~持続可能な社会の実現に向けての…
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長いまとめになりましたが、最後まで読んで下さってありがとうございました。