皆さんこんにちは、珠下なぎです。





本日は第4部のまとめの3回目です。

第4部のまとめは全4回となる予定です。


文中の番号に対応する記事に対し、末尾にリンクを貼っていますので、興味を持ってくださった方はご参照くださいね。



今までのまとめをお読みでない方は末尾にリンクを貼っていますので、こちらからお読みください。


~第4部『陰』を殺した近代社会」のまとめ3~


  第4部では、目に言えない「陰」を殺した現代社会の病根を指摘し、「陰」と「陽」のバランスをとること、「愛」と「力」のバランスをとることの大切さを指摘しています。

 そして、「愛」や「陰の経済」の理論的根拠が、仏教やキリスト教などの宗教の論理の中に隠されていることを紹介しました。



 しかし、それでも私は宗教は嫌いです。



 私が宗教を嫌いなのは、宗教は理念自体は対立を絆に変え、愛を与える素晴らしいものでありながら、その愛の名のもとに他者を攻撃したり場合によっては殺したりすることを平気で行うからです。(①)

 それは決して宗教を信じている人間の未熟さのせいでも、攻撃された他者のせいでもなく、宗教そのものの中に対立を生む構造があるのです。



 一つは、宗教はその独自性を保つために、他の宗教と差別化を行わなければなりません。

 そして、自分のアイデンティティを保つために、自分と異なる他宗教を攻撃せざるを得ないのです。特に一神教においてそれは顕著です。

 そのためには、宗教本来の心である「愛」や「利他」は簡単に無視されていきます。(②)

 

 もう一つ。「愛」は、「力」の前では無力な存在になります。

 謙虚で、他者を助けることを喜びとし、自己に執着しない。

 多くの宗教が理想とする人物像は、実は宗教側にとって大変利用しやすい存在ともなるのです。

 宗教団体によって金銭的に搾取されたり、性的に隷属させられたりする例は、新興宗教だけでなく、古典的な宗教の中でも起こっていますね。


 「愛」をかざして信者を無力にしたところで、「力」の論理で支配する。 

 それを可能にしてしまうのが宗教です(③)。


 この構造はブラック企業でも見られます。

 「感謝」や「おかげさま」を掲げて、会社に尽くさせることによって社員を搾取する。

 こういった例はあちこちで見られます。

 ブラック企業と宗教は、一方は社員を、一方は信者を、支配するという意味でとても似ているのです(④)。


 もちろん、「愛」をかかげるすべての宗教や企業が信者や社員を支配する目的でいるわけではありません。

 本当に「愛」「感謝」を大事にする団体なら、社員や信者をも大切にするはずです。

 「愛の論理」を悪用して人を支配する人物を見分けるには、その人の「言うこと」ではなく、「行動」で判断するようにすれば、おおよその見分けがつくでしょう。(⑤)