北海道神宮

〒064-8505 札幌市中央区宮ヶ丘474

御祭神 大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇


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 明治2年9月1日、明治天皇の詔により北海道の守護神・開拓の神としてここ、札幌にお祀りになったのが北海道神宮の創祀です。


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 参道もどこと無く本州の雰囲気とは異なり白樺や杉、楢の木が異国情緒をかもし出しております。


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 地下鉄で円山公園で降りると、左手に札幌を一望できる円山があります。ここはもともとアイヌ人が「モイワ」(小さな山の意味)と呼んだ地を後に本土の人々によって円山と名づけられたそうです。そしてその「モイワ」の名前は和人の誤解により円山の南東にある藻岩山に引き継がれるようになったそうです。上の写真のうらにそびえるのが札幌の神奈備、円山です。


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 社殿は北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていたロシアに対する守りということで、大鳥居が北東を向いていいます。


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開拓三神(大国魂神、大那牟遅神、少彦名神)は出雲系の神様ですよね。なぜ開拓三神が出雲の神様なのかは謎ですよね。色々仮説を考えましたけどほんとうのことはわかりません。誰か知っている人がいたら教えてください。



仮説①、古来、国を治めるのは為政者だけでなく、その土地に鎮座する神の力も働いて成就されると考えられていた。そこで国そのものを神格化した国霊をお祀りしたことにより、日本国土とアピールしたかった。



仮説②、出雲系の神様はもともと未開の地を切り開く神様で、葦原中国(あしはらのなかつくに)を作った神様です。この葦原中国はおいらは産鉄系物部が川の砂鉄や高師小僧を採るために葦原に定住し国を作っていったことから由来し、天孫族が近畿を支配する以前の近畿の王国だったこともあります。そんな国を開く神様を北海道に設置し、鉄を作り富国強兵の一環としました。



仮説③、1880年~1881年東京の日比谷に設けられた神道事務局神殿の祭神をめぐって神道界に激しい教理論争が起こりました。それを神道事務局祭神論争呼ぶのですが、神道事務局は事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしましたが、その中心を担っていたのは伊勢神宮大宮司の田中頼庸ら「伊勢派」の神官でした。これに対して千家尊福を中心とする「出雲派」は「幽顕一如」を掲げ、祭神を大国主大神を加えた五柱にすべきとしました。この論争は当時の明治天皇の裁決によってまとめられ、伊勢派が勝利し天照大神が最高神の地位を確保しましたが、その敗れた「出雲派」にも見返りとして、新たに開拓していく土地には出雲の神様を設置していくことが裏取引されたのではないかという説。おいらはこの説が一番考えられるのではないかと思っています。




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島義勇(しまよしたけ)の銅像

 開拓当時「人馬も入れざる」と表現された悪路を島義勇は御霊代を背負って札幌に入り、先ず開拓三神の鎮座地を定め、この社地を基点として北海道開拓の礎を築きました。実はこの人、維新の志士の一人で、佐賀藩士として佐賀藩の海軍軍監、ついで東上し下野鎮圧軍大総督軍監となり、新政府の東北征討に従いました。その後北海道の開拓御用掛となり札幌建設に尽力しました。しかしその後明治7年憂国党の党首となり、江藤新平と共に佐賀の乱を起こすのですが敗れ、鹿児島まで逃亡。島津久光を頼り、大久保利通に助命の旨を取り次いでもらうが受け入れられず、明治7年3月7日捕らえられ、4月13日、江藤同様、斬罪梟首となりました。その後

明治22年勅令第12号(「憲法ヲ発布スルニ当リ大赦ヲ行ハシムルノ件」又は「大赦令」とも。)により大赦となり、大正5年4月11日、生前の勲功に対し従四位を贈られました。




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穂多木神社

北海道神宮の摂社の一つで、昭和十三年、北海道拓殖銀行本店の屋上に同行の守護神として札幌神社の祭神を奉斎する神社です。併せて、北海道拓殖銀行の物故功労者の御霊を奉斎しました。昭和二十五年北海道神宮境内に遷座しました。



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札幌鉱霊神社

鉱山殉職者を慰霊する神社です。昭和十八年、札幌鉱山監督局五十周年記念事業として当時の局長・久保喜八の提唱によって同局の前庭に建立されたのが始まりです。戦後昭和二十四年、北海道神宮の境内に遷座しました。




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開拓神社

昭和十三年は北海道開拓七十年にあたり、北海道庁長官・石黒英彦は、記念事業として物故開拓功労者を祭祀するため開拓奉斎殿を建立し、同年八月十五日、開拓功労慰霊祭を執行しました。続いて全道から奉斎神の申請を求め三十六柱が選考され、同年十二月三日に開拓奉斎殿の社殿を以って開拓神社として鎮座祭がおこなわれました。その後、昭和十五年九月六日に末社に指定され、昭和二十九年九月二十二日には帯広市長・佐藤亀太郎外の請願により、帯広の農聖といわれた依田勉三を合祀して三十七柱の祭神となりました。この中には北海道開拓に貢献した伊能忠敬、間宮林蔵、黒田清隆らが祀られています。




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札幌の中心地からわずか地下鉄3駅でこんな自然の残っている素敵な場所があるのはさすが北海道といったところでしょうか?運がよければエゾリスやエゾシマリスなどの可愛い小動物にも会うことができます。札幌では島義勇のことを親しみをこめ「判官さま」と呼ぶ人もいます。北海道神宮の境内の休憩所では、マルセイバターサンドでおなじみ六花亭が出店していて、「判官さま」という名称の焼き菓子を限定販売しています。そば粉入りの餅の中に餡が詰められ、太宰府天満宮の銘菓「かさの家」の梅ヶ枝餅に似た菓子です。「判官さま」1個とほうじ茶が、無料で提供され、参拝客の楽しみの一つになっています。ちょっと風変わりな札幌観光など皆様もいかがでしょうか?