JASRACやNHKの利用料徴収のためなら手段を選ばない姿勢を見ていて
「公」「公共」のために「私」「私権」は制限されるべきだと主張する
保守反動系の人々の言説を思い出しました。
同時に議員の報酬や人数の削減、官僚や地方公務員の削減や報酬減額など
支出を減らす努力はほとんどしないで増税で済ませようとする政治家や官僚も思い出します。
広い意味では東京電力の対応や九州電力の「やらせメール」問題も
同じような心性を感じてしまいます。
自分たちは「公共」「公」に従事する側であり
国民の私的権利を制限しても構わないという「おごり」です。
日本国憲法にも確かに個人の権利は尊重されるけれど
それは公共のために使われなくてはならないというような
「私権の乱用」を戒める一文があります。
しかし、それは個人が「自分のワガママだけですべて通すことは出来ないよ」
ということであって「公共のためなら私権を無視していい」というわけではありません。
「公」「公共」を振りかざして自分の立場を正当化しようとする人々は
NHKといいJASRACといい保守反動の方々といい、非常にうさんくさいです。
「公」「公共」という概念は必要で大切ですが
それを勝手に持ち出して都合のいいように歪めて使うのは止めていただきたいです。
泥舟、公共ならなんでも許されると思ったら大間違い。