居直りの有無 | 秘密の扉

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ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

ブログネタ:何歳からおばさん? 参加中

私は40代なのだから立派なオバサンと呼ばれて当然だと思う。
パッと見、通りすがりの人は私のことをオバサンだと思うのだろうし、私はそれを否定しない。
自分の自意識の中では「大人の女」と思うようにしているけれど、一方で私はオバサンでいることの「楽」さを知っている。
オバサンは自分を絶対の基準に考えるのだろうし、私は人それぞれの基準があるのだと思っているから他の人のことまで構っている余裕がないだけだ。


この間息子に
「お母さんはオバサンだからさ~」と言ったら
「お母さんはオバサンじゃないっ」と、ムキになって否定してくれた。
「どっから見たってオバサンじゃない」
「全然オバサンじゃないよっ」
私のダメさ加減だって良く知っているはずなのだから、彼の言葉は嬉しかった。

たかしの娘のビデオを見て
「いいなぁ、女子高生だ~」と言ったら
「doorだって女子高生に負けないぞ」
だって。
何がどう負けないんだか知らないけれど、君たちみんな「愛」に目が曇っているよ。


人は年齢によってオバサンになるわけではない。電車の中の女子高生にオバサンを感じることもあれば、男のオバサンもいる。
居直りの自己肯定がオバサンの定義なら、みんなの愛に支えられて、きわどいラインで私はオバサンではないと宣言してみたくなる。
自己肯定はするけれど居直ってはいないから。