ここ数日、ずっと天皇家と悪魔崇拝との関係性について記事を書いていますが、昨日の記事でもう誰も反論できないほど完全なトドメを刺すことができたのではないかと思っています。(昨日の記事は以下になります。)
○天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
ただ、昨日の記事は、神道やらユダヤ教やらキリスト教やらと、やたらと沢山の宗教が出てきたり、「田布施システム」や北朝・南朝などといった日本の歴史まで出てきたりしたので、全く予備知識のない人には少し分かりにくい話だったかも知れません。
昨日の記事は、それこそ分厚い本を一冊書いてようやくきちんと理解できるような壮大な内容であり、とてもあんな短い文章で説明できるようなことではないの
ですが、それを無理やりコンパクトにまとめて書いたものですから、正直、書くのもかなり手こずりました。自分でもよくあんなに短くまとめられたものだと
思っています。
なので、今日は昨日の記事を補うような形で、悪魔崇拝がどのようにして現在の日本の天皇家に伝わってきたのか、時系列で記事を書いてみたいと思います。こうして視点を変えて日本の歴史を見ることによって、また新たな発見があるかも知れません。
まず、かつての歴史上、悪魔崇拝が最も大きく栄えたのが古代エジプト王朝です。もともとはアトランティス大陸で栄えたという説もありますが、このアトラン
ティス大陸が滅んで海の底に沈んでしまったため、悪魔崇拝者たちがエジプトに流れ着き、そこでピラミッドなどを建造しながら、壮大に悪魔崇拝を執り行っていたと言われています。
多くの歴史書を見ると、エジプトでは太陽信仰が栄えたと書かれてあります。そして、この太陽崇拝こそがすなわち悪魔崇拝です。悪魔崇拝組織と呼ばれるフ
リーメーソンが、ピラミッドをモチーフにしたマークを使っていることからも、これは明らかな事実です。彼らは三角ピラミッドに悪魔(彼らにとっては神様)
の力が宿ると信じているのです。
で、昨日たまたま件の「はやし浩司」さんの動画を見ていたら、こんな驚くべきものが登場しました。古代エジプトの遺跡から発見されたそうです。私は思わず目を剥いてしまいました。
この下の動画の0:37あたりと5:30あたりに出てきます。
まさしく天皇家のシンボル「菊の御紋」そのものですね。何の予備知識もなく、こんなものを見たら、一体どうして天皇家のマークが古代エジプトにあるのだと不思議に思うことでしょう。単なる偶然の一致としか思えないでしょうね。
しかしながら、これは偶然の一致なんかではありません。古代エジプトと天皇家には紛れもない共通点があるのです。繰り返すようですが、古代エジプトでも現在の日本の天皇家でも同じ悪魔崇拝が行われているのです。
この「菊の御紋」も実は「菊」のマークなんかではありません。「太陽信仰」のマークです。「太陽信仰」とはすなわち「悪魔崇拝」のことです。つまり「菊の御紋」は「悪魔崇拝」のマークなのです。
では、一体どのような流れで古代エジプトから元日本の天皇家に悪魔崇拝が伝わってきたのか。先ずはそこから紐解いていきましょう。
先ずこのエジプトにユダヤ教徒であるイスラエル民族が流れ着いたことがそもそもの始まりです。
イスラエル民族は、居住地であったカナンに大きな飢饉が襲いかかってきたため、食料を求めてエジプトに行きました。エジプトで大きな都市が栄え、食料が豊富に蓄えられているという噂を聞きつけたのでしょう。
で、このエジプトにはたまたま同じイスラエル民族であったヨセフという人が大臣の位に就き、大きな権力を振るっていました。このヨセフは、難を逃れてきたイスラエル民族をエジプトに匿ってあげることにしました。
ところが、ヨセフの死後、エジプトの支配者たちはよそ者であるイスラエル民族が気にくわなかったのでしょう。それまでの好待遇をやめ、奴隷として酷使するようになりました。
現在、同じ悪魔崇拝者である金融ユダヤどもが、我々庶民を奴隷として酷使しているのと同じく、彼らはこの当時もまた自分たち以外の者はすべて奴隷として強制労働させていたわけです。
で、この奴隷生活がおよそ400年ほど続いた後、イスラエル民族の中からモーセという人が現れ、このイスラエル民族をエジプトから脱出させてあげました。そして、彼らがもともと住んでいたカナンの地へと戻っていったのです。
しかし、イスラエル民族の中には悪魔崇拝者たちの血がこのとき既に混じっていたのでしょう。あるいは、純粋な悪魔崇拝者たちが、イスラエル民族の中にいつもの如くスパイとして紛れ込んでいたのかも知れません。
そのため、イスラエル民族は次から次へと命の恩人であるはずのモーセに反逆し、「モーセの律法」と呼ばれる神様の教えに反抗しつづけました。
で、神様ヤハウェがこれを見て激怒。何度も何度も裁きを繰り返し、最終的にはイスラエルを二つの国に分断してしまいました。それが北イスラエルと南ユダです。
しかし、その後もイスラエル民族が相変わらず神様に反抗しつづけため、神様はますます激怒。北イスラエルにアッシリアを送り込んで殲滅し、南ユダにはバビロンを送り込んで殲滅してしまいました。これが有名な「バビロン捕囚」です。
しかも、アッシリアもバビロンもどちらも悪魔崇拝者によって建設された国。なので、イスラエル民族の中にますます沢山の悪魔崇拝者たちが混じっていったことは言うまでもありません。これは純粋なユダヤ教徒には耐えられない事態でした。
そのため、一部のユダヤ教徒たちが難を逃れるためにイスラエルを離れ、その後、世界を転々としながら、長い時を経て日本の地に辿り着きました。そのときのルートが以下だと考えられています。
しかしながら、このときもまたユダヤ教徒たちに混じって、悪魔崇拝者たちが一緒に日本の中に流れ込んできたのでしょう。少なくとも、その可能性は拭えません。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。
こうして日本に辿り着いたユダヤ教徒たちは、それまでと同様、ユダヤ教を信じつづけました。それが現在では「神道」として残されています。日本の神道を見 てみると、紛れもなくユダヤ教そのものだと分かります。日本の神道とは、すなわちイスラエル民族が持ち込んだユダヤ教だったのです。
○日ユ同祖論 – Wikipedia
○ユダヤと日本の共通点 謎の古代史 M君
こうしてこのユダヤ教がその後、日本各地に根付くようになり、やがてこの神道から「天皇」という「現人神」が誕生します。しかしながら、「天皇」なる「現人神」が誕生するという理屈はユダヤ教とは全く相反するものです。
「人間」を神格化して拝むという行為は、聖書で禁じられている「偶像礼拝」にあたります。明らかに罪とされている行為です。なのに、なぜユダヤ教徒たちはこんな「現人神」なるものを誕生させたのか。
この部分がユダヤ教と大きくかけ離れているので、神道とユダヤ教とがこれほど酷似しているにもかかわらず、「神道はユダヤ教ではない」と考える人がこれまで大勢いたわけでしょう。
しかし、ユダヤ教徒の中に悪魔崇拝者どもが入り込んでいて、彼らがユダヤ教(神道)の教理を無理やりねじ曲げ、「天皇は神である」という理屈をこじつけたとすれば、すべてに理屈が通ります。
実際、悪魔崇拝者たちは、いつも何かしら大きな宗教の中に入り込み、自分たちに都合の良いようにその教理をねじ曲げ、民衆を支配するということをしてきました。
カトリックがその典型です。カトリックがローマ帝国で大きく普及したとき、悪魔崇拝者たちは次々とカトリックの中に入り込み、敬虔なクリスチャンの振りを装いながら指導者となり、キリスト教の教理を内部から破壊していきました。
こうして「バチカン」なる悪魔教団を設立し、相変わらず敬虔なクリスチャンを装いつつ、今でも全世界のキリスト教徒たちを治めているわけです。
自分たちだけ楽をして贅沢に暮らすために、民衆にはひたすら貧しい暮らしをさせ、国が傾いているからもっと働かなければならないと嘘をつき、奴隷のように働かせ、次々とぼったくるという体制を作り上げていったわけですね。
それと全く同じことが古代の日本でも行われていたわけです。悪魔崇拝者のやり口はいつの時代も同じなのです。
しかし、やがて戦国時代が始まり、戦国武将が天皇よりも強い権力を持つようになりました。江戸時代になってからは、もはや天皇の権力などなきに等しいものとなってしまった。彼らのプライドはこれにてズタズタとなってしまいました。
そこで、彼らは南朝系の皇族たちの集まりである「田布施町」人脈を掻き集め、日本にクーデターを起こし、天皇の権力を再び復権させようと画策しました。これがいわゆる「田布施システム」と呼ばれるものの始まりです。
しかし、この計画を実行するためには、金も人脈も必要。とのことで、海外からやってきた金融ユダヤたちと合流し、人脈と資金とを提供してもらった。つまり は、「田布施人脈」もまた確信犯かも知れないというわけです。彼らは単に金融ユダヤに唆されたわけではないのかも知れません。
実際、坂本龍馬なる日本人もフリーメーソンだったわけですから、「田布施」人脈の多くもまたフリーメーソンだった、という可能性は捨てきれません。
あるいは、「大室寅之祐」こそ最上級のフリーメーソンだったとか。だからこそ、彼が「天皇」として立てられたのではないか。でなければ、他の人たちだって、彼を一番の権力者に仕立てることを納得できなかったのではないかという気がします。
これについては、昨日と一昨日の記事を読んでいただけば、さらに詳しくこの時代の背景をご理解いただけると思います。
○日本が朝鮮人に支配されているという証拠。「田布施システム」こそが朝鮮人と金融ユダヤによる日本支配の始まり。
○天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
こうして天皇の権力はものの見事に復活し、天皇の鶴の一声によってすべての国民が動かせるようになった。これによって、悪魔崇拝者の権力がこの日本の中で復活したわけです。
しかし日本国民は、まさかそんな陰謀が密かに行われているとは思わない。むしろ、西洋の珍しい文化やモノがどんどん入ってくるし、生活も豊かになっていくしで、自分たちがまさか悪魔の奴隷になっているとは思いもしない。
その後、日清戦争、日露戦争、第二次大戦と、天皇のせいで多くの日本人が殺されたにもかかわらず、日本人は相変わらず天皇を神として崇めつづけました。本当にお人好しです。
もっとも、第二次大戦後は天皇みずから「人間宣言」をし、その権力はやや地に落ちた感がありますが、実際のところ、私はこれを天皇の権力が落ちたわけではなく、天皇の権力がむしろ上がったのではないかと見ています。
日本国民の皆さんはほとんど誰も知らないでしょうが、実のところ、天皇はこの日本の中で一番の大金持ちです。そのため「天皇」は日本を治める(振りをす る)という面倒なことをやめて、単に上から民衆を見下ろして贅沢三昧をする、という地位に徹することにしたのではないかという気がするのです。
戦前の日本には「三井」「三菱」「住友」「安田」の4大財閥があり、彼らを中心に日本経済が発展していったわけですが、実は天皇はこの4大財閥の10倍もの財産を持っていたと言われています。
これを一般に「天皇財閥」といい、天皇家がその「財閥家族」にあたります。この天皇家の配下には職員6000名をかかえた宮内省があり、彼らは今でもみんな天皇に従順に仕えています。
また、天皇家がかつて保有していた株式は「日本銀行」「横浜正金銀行」「朝鮮銀行」「台湾銀行」「南満州鉄道」「日本郵船」「東京電燈」「帝国ホテル」などがあり、さらに国から与えられる収入を「株式」や「国債」に投資することで資産を増やしました。
台湾、朝鮮、満州などで植民地化をすすめていったのも、実は天皇が海外事業を展開するため。大東亜戦争なるものを仕掛けたのも天皇の儲けのためでした。
こうして、彼らは日本最大の金融王となり、大地主となりました。この構図はまさしく金融ユダヤそのものです。まさにロスチャイルド、ロックフェラーに匹敵します。何せ、国民にばれないように人知れず戦争で大儲けしていたわけですから。
江戸時代には、天皇家の財産と言っても大したことはなく、公家の取り分を入れても10万石ほどと言われています。なのに、明治以降には日本最大の資産家になりました。これだけ見てみても、明治天皇のすり替え説にはかなりの信憑性があります。
一応、第二次大戦の敗戦によって天皇の資産はほとんど没収されたことになっていますが、それはあくまで表向きの話。実際のところ、日銀には天皇の地下金庫 があり、その金庫から多くの金塊や貴金属が密かに日本郵船によって運び出され、アルゼンチンの銀行、スイス銀行などへ移されたとの噂があります。
確かにそうでもなければ、政財界の大物たちが次々と天皇家や宮家と政略結婚したり、世界の大物たちがわざわざ日本にまで天皇詣でに来たりはしないでしょうね。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
○天皇家という闇。日本赤十字社という闇。田布施システムという闇。悪魔崇拝者という闇。
このように天皇についてあれこれと調べてみた結果、私はふとあることに気付いたのです。
もしや天皇家はロックフェラーやロスチャイルドとほぼ同等の存在、あるいは彼らよりもさらに上の存在なのではないかと。実は、天皇こそがこの世を裏で操っている最大の黒幕なのではないかと。
実際、天皇は英訳するとエンペラー。エンペラーとはつまり「皇帝」ですね。で、世界一般の認識としては「皇帝」は誰よりも高い位にあります。
皇帝(emperor)≧法王(Pope)>王様(king)> 大統領(president)>首相(premier)
かの悪魔崇拝者エリザベス女王より、ローマ法王より天皇の方が上だということです。果たしてこれは形式の上での最上級なのでしょうか。それとも、悪魔崇拝者の世界の中では、実質的に天皇こそが最上級なのでしょうか。
もしかして、私たちはこの最も肝心なところに気付かなかったのではないか。だから、いくら「陰謀論」についてあれこれ調べてみても、いつも最後の肝心なところで何かしら納得のできない「しこり」のようなものが残っていたのではないか……。
これから本当の覚醒が始まります。
http://rapt.sub.jp/?p=16709