京都でお茶を楽しむ新婚旅行で来日したブータン国王夫妻の和服姿

『悲しみの森ツアー』

朝日新聞の山梨地方版2011年11月19日「悲しみの森」に下流域の人招く(抜粋)
■手入れの大切さツアーで伝える
『ここが悲しみの森です。手入れがされずに光も入らない。かわいそうだが、不健康な樹木です』
登山道を登りながら、ガイド(73歳)が説明する。市が今月6日に開いた「悲しみの森・癒やしの森トレッキングツアー」。東京都などから約20人が参加した。
不健康な森と間伐などがされた『癒やしの森』と比べ、森の荒廃をじかに知ってもらおうという狙いだ。
植林後、育った樹木を間引いていくのが間伐だ。森が密集すると木への栄養が回らず、1本ずつが細くなる。光が入らず下草も生えないから保水力も弱くなる。それらを防ぐためだ。
枝切りや下草刈りをするが、間伐にはなかなか手を出せない。
切った杉の丸太価格は1トン約1万円。チェーンソーの使い手を雇い、搬出料を払えば完全な赤字に陥ってしまう。
大月市では全面積の87%が森林。その半分を占める民有林のほとんどが『悲しみの森』だ。
売れないから、伐期を過ぎても植えたままの木はやがて立ち枯れし、森の本格的な荒廃が始まる。
『対策を講じなければ20年後に現実となる。民有林維持は上流の個人や自治体だけではもう限界です』と、ツアーを企画した大月市産業建設部の佐藤次男部長は話す。
実験とも言える今回のツアーにかかわったJTBコミュニケーションズなどJTBグループが、来年度以降の商品化を検討する。
地元で組織する笹子町運営委員会が『おもてなし』を担当。今回も、ツアー参加者へのお弁当やうどんなどは地元が用意した。
『悲しみの森』が減るかもしれないと地域で動き出したいま、まとまりが強まった気がするという。絆を固め直してくれた森の力を参加者は再発見した。

『善意のボランティアに対する違和感(疑問)』

1995年(平成7年)1月17日に起きた阪神大震災の時からでしょうか。
我が日本国では善意の無料奉仕をカタカナ語の『ボランティア』と呼び、『近頃の若者たちの公共心』の発露として推奨される様になって来て、3・11では大々的に行われているのですが、人間の出来が古い為なのか違和感を感じざるを得ない。
無料の勤労奉仕などを尊ぶのはキリスト教的な『奉仕とか慈善』の発想であり、元々の日本の庶民の道徳では、正当な労働にはそれに見合った正当な賃金を払う。
それが我々日本人の労働感だった。
『ただ働き』を尊ぶなど、胡散臭いにも程がある。
だから正しい日本語の『勤労奉仕』ではなくてボランティアと聞きなれないカタカナ語になるのでしょう。
手前勝手(勘違い)な思い上がりであり腹立たしい。
人工林の手入れが行き届かず、荒廃しているのは明確な事実である。
事実は否定できないが、直近の事実だけを見ていては判断を誤る。福島を中心に放射能汚染が広がっていて除染が必要なことは事実だが、事実だけをみて原因を見ないのは片手落ち。この記事も事実だけを見て原因を見ない。
では、人工林荒廃の原因とは何か。
『人工林にしてしまったことである』
人工林は手入れを必要とする。
そういうものだ。それを知らなかったとは言わせない。
そしてその決断をしたのはその山林の所有者である。ならば、荒廃の責任は所有者が負うべきである。
人工林とはいえ、森は生き物である。
人工林を造林するということは、生き物をペットとして飼うのと同じだ。ペットを飼い始めたのなら、飼い主は最後まで責任をもって面倒をみる。
当然の論理である。
目の前の手入れが行き届いていない人工林が不健康なのは事実であるが、責任者がそれを『悲しみの森』という資格はない。
自分の飼っているペットを世話もせずエサもやらずにいて、『この子はカワイソウ』と言っているのと同じで、動物を好きな人が聞いたら怒り狂うだろう。
どうしてもエサ代を賄えなくなったらどうするか。
他人に譲るか、処分する。それが社会のルールだろう。先祖伝来でさぞ辛かろうというのは、ペットに情が移って辛かろうというのと同じ。処分や譲渡がいやな ら、身を削ってでもエサ代を調達するしかない。みんなそうしているのである。山林所有者だけが、そういった辛さを免れてよいという法はない。

『命が金になる恐ろしさ』

植物の人工林も、生命あるものとして動物の家畜やペットと同じ意味を持っている。
放棄された犬猫のペット類が野生化して社会問題化しているのを『命の問題』として捉えて自費で野良猫や野良犬の保護運動をしている人々がいますが、元の飼い主が本来は費用を負担するのが本筋である。
犬猫では、無責任な元飼い主が見つからないから仕方なく篤志家が費用を寄付したり里親を探している。
家畜の飼い主が『もう限界だ』と飼育を放棄するなら自動的に所有権も放棄するべきで、山林を生命であると捉えれば同じことが言えるでしょう。
天神崎のナショナル・トラスト運動の様な、森林の命を最後まで面倒を見る覚悟のある新しい里親制度が是非とも必要です。
植物の人工林を放置すれば矢張り家畜やペットの放棄と同じ事が起こり、時間は多少余分にかかるが何時かは元々の自然林に返るのです。

ただ、『自然に任せれば上手くいく』は間違いで、実は日本の自然は100年ほど前に人が手を加えて変質させた結果、大きく病んでいて人の手なくしては自立も継続も出来ない。
人工林の荒廃がこの記事では取り上げられているのですが、そのもっと山奥にある僅かに残っている自然林が矢張り荒廃して人工林以上の末期症状なのです。
食物連鎖の頂点にいたニホンオオカミが絶滅している現状では増えすぎた鹿の食害で、森林の下草は完全に食べつくされて仕舞って、食物の乏しい冬季には落葉広葉樹の樹皮を剥いで食べるので自然林で木の立ち枯れが起きている。
他に美味しい食べ物があれば、松脂などの関係で普通はスギなど針葉樹の樹皮は鹿は食べない。
ところが、今では植えたばかりの軟らかい若木だけではなくて大きく育った人工林の大木までが鹿の食害で樹皮が剥がされるのでスギの幹に一本一本に防止ネットを巻く必要があるまでに、増えすぎた鹿の飢餓状態は深刻化しているのです。
下草をなくし木が立ち枯れた山林は表土流出が止められないが、この解決ですがニホンオオカミの復活以外の良い方法があるのでしょうか。

『世界的に珍しい森と女系制社会の日本』

ユーラシア大陸では洋の東西の違いが無く基本的に父系制社会なのですが、我が日本国は武士の世の中になった鎌倉時代でも女性にも同等な財産権があったように、世界的に珍しい女系制の残る社会だった。
戦国時代に来日した宣教師は故国とは大きく違う日本の女性の地位の高さに驚いていたのです。
男系社会では例外なく女性に厳格な貞節を要求する。豪華絢爛な結婚式なと婚姻制度も実に大袈裟なのですが女系社会ではそれ程拘らない。
ブータン国王夫妻が新婚旅行で日本を訪問して話題になっていましたが流石に王様は正式な結婚式をあげるが、一般の庶民層では結婚式はあげないで同棲に近い実質婚が主流である。
結婚が厳格だった封建制の男系文化と違い、女系日本の平安時代の妻問婚では矢張り結婚式の風習が無くて『結婚している』と周りが認める一夫多妻の実質婚。日本も昔はブータン状態だったのです。
ブータンでも一夫一婦の単婚が基本なのですが、なんと日本の平安時代的な一夫多妻だけではなくて今でもチベットなとと同じ一妻多夫も認めているのですから、なんとも大らかですね。
生まれた子供は母方の親族が責任を持って養育するので複数婚でも何も問題は起きないらしい。
国民総幸福量(GNH)で有名になったブータン王国の住民は2~3千メートルの高地に住んでいるが赤道に近いので気候風土は照葉樹林帯で日本国(西日本)と同じ。
ブータンと日本は気候や植生が同じであるばかりか、文化的にも非常に近くて世界的に珍しい女系国家なのですから面白い。
同じチベット仏教でも森林が無い4000メートルのチベット高原は漢族と同じで父系なのです。
日本とブータンの共通点ですが両国とも森林率が7割の森の国なのです。
ちなみに欧米では森と湖の国フィンランドだけが森林率7割と例外的に高いが、他はすべてが1~3割程度で極めて低い。
これは欧米だけでなく同じヒマラヤの山国のネパールは森林率が1割以下まで国土の破壊が進んで仕舞っている。
照葉樹林帯に生まれた日本とブータンの例外的な女系社会ですが、森を守る自然に優しい文化なのかも知れません。

『森を消滅させた父権的な文明の系譜』

世界四大文明は森に守られた農耕文化として生まれ繁栄したが、全て例外なく豊かだった森が消滅して今では砂漠化(荒地化)して仕舞っている。
4000年前の黄河文明では、森林を失って仕舞った黄土高原からは表土流出が止まらず大河は黄色く濁り季節風で日本まで黄砂が飛んでくるほどである。
紀元前1500年頃に消滅したインダス文明では高温で焼いた硬度の高いレンガを使用していたが森を失ったので、人々その後は泥を天日干ししただけの粗末な日干し煉瓦で住居を造らざるを得なかった。
メソポタミヤやエジプト文明は肥沃な三日月地帯に鬱蒼と繁茂していたレバノン杉を刈り尽くすことで文明も滅んで仕舞うが、その後この文明は森を求めて西へ移動して行くが矢張り森を食い尽くしながら西へ西へと移動して欧州全域の森を壊滅させている。
これらの文明の特徴は全て畑作の小麦栽培に依拠しているが、実はアジアには小麦以上に収穫量や栄養価が高い素晴らしい穀物(米)が古くから栽培され、事実黄河文明よりも2000年も古い揚子江周辺の照葉樹林帯で水田での米栽培の長江文明が興っていた。
ところが中国史では、より人口が養える米栽培の長江流域の文化が支配権を握ったことは一度もなく、全て北部の小麦栽培の黄河流域の文化が中原に覇をとなえた。
南の稲作に依拠していた長江文明の文化は、北の小麦文明との武力紛争では致命的な弱点を抱えていたのかもしれません。

『遊牧民による農耕民の隷属化』

中国の長い歴史で、何故収穫量など性能では優れていた稲作の文化が、確実に米よりも劣っていた小麦文化に一度も勝利することが出来なかった不思議ですが、実はこれには他の文明でも同じであり武力闘争の原理が働いている。
武力では女系の農耕民は父系の遊牧・牧畜民に勝てない。
文明以前の社会では狩猟・採集が行われていたが、狩猟が発展して牧畜が生まれ採集が進化して農耕が始まったと考えられるが、古代の社会では狩猟の担い手は男性であり採集は女性の分担だった様に性差があったのでしょう。
それならその発展形である牧畜や遊牧文化が男系社会で、対照的に農耕文化では女系社会が出来上がったと考えることも十分出来る。
典型的なのは旧約聖書の記述である。
この神話を水と緑豊かな蜜流れるパレスチナの地に住んでいた大地母神を信仰していた女系の農耕民社会を襲撃して殺害略奪、支配した戦闘力や闘争心に勝る長 い間砂漠を放浪していた唯一神を信仰する父系の遊牧民の話であると理解すると、聖書の数々の矛盾点も氷解して実に判りやすい。
ユダヤ教の唯一神ヤハゥエイが何故あれ程嫉妬深くて残酷で執念深いかの謎ですが、過酷な自然の砂漠で生まれた『神』であるからとすれば納得しやすい。

『森林を破壊した一神教文明』

牧畜を精神的主柱とする一神教の文明が次々と豊かな森を破壊して砂漠化して、その後西え西えと移動し、最後は遠くアメリカ大陸やアジアにまで達して世界を 席巻したが、そもそもが移動する遊牧民の『神』なのですから、我々のような一箇所に定着して長い間森を守る農耕民とは考え方が違っていて当然だったので す。
小麦栽培とは遊牧・牧畜文化と農耕文化とが触れ合う際どい地点で生まれていて、事実この境界線である万里の長城が中国の首都北京のほんの少し北の地点に築かれている。
黄河文明の特徴は旧約聖書の世界と同じ農耕民を武力で支配した遊牧牧畜文化だったのでしょう。
中国の宦官や欧州のカストラートなどの男性の去勢手術などは家畜に対する牧畜文化のなせる業であり、対照的に日本では人間どころか西欧文明が流入する明治維新まで家畜にも去勢を行わなかった位である。
長江文化や日本の水田による稲作では水路の維持管理など地域社会の共同作業が何としても必要であり優先されるので、人々の協調性こそが尊ばれる。
結果遊牧民的な朝青龍の闘争心は忌み嫌われて、出る杭を打つ悪弊も一部にあるが、世界的にも珍しい日本的な平和な社会が出来上がる。
3・11での大災害直後の被災民が誰一人も略奪も暴動も起こさなかった日本人は世界の賞賛の的であるが、何の不思議もなくそんな事は日本人なら誰でもが常識であり当たり前である。
日本とは元々そのような社会だったのです。
森を失ったネパールとは大きく違い、森を守ったブータンは長らく鎖国政策をとり開国された今でも極力外国文化との接触を小さく節度ある範囲に限定している。
全ての国境の障壁の撤廃とのTPPなど、とんでもない。
世界基準グローバルスタンダードの闘争心に勝る父系文化には、到底ブータンの協調性が優先する日本的な女系文化が決して勝てないと良く知っているのです。

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