$関西人のための東京日記

これは、元博報堂の岩崎富士男さんが阪神大震災の
ときに広告屋がなにができるか考えて取った被災者
向けの伝言シートです。
以下は以前アサヒコム(大嫌いですが、これはいい
記事でした。再転載します)

---------------(以下転載)

http://4ki4.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_4738.html

阪神大震災で、語り継がれた「なぞ」があった。電話がつながらず、行政機能もまひした当時、各地の避難所などでひときわ目立ち、被災者と家族や友人を結んだ赤い枠の伝言メモだ。誰がこの用紙を用意したのか分からないままだったが、震災から13年を前に、研究者が「広告マンのアイデアだった」と明らかにした。


 震災を映像などで伝える「人と防災未来センター」
(神戸市)の「防災未来館」。避難所の様子を伝える
写真には、赤枠の張り紙がずらりとならぶ。A3判
とはがき大。上部に「私はここに居ます」
「We are Here」と印刷され、その下が
伝言欄になっていた。

 当時、神戸市広報課長だった桜井誠一・保健福祉
局長は「ずっと気になっていたんです」と言う。
市庁舎の玄関にいつの間にか大量の張り紙の用紙が
積まれていた。誰が届けたのかわからず、「海外の
レスキュー隊では」とうわさされた。

 調査した吉井正彦・国立民族学博物館客員教授に
よると、博報堂関西支社(大阪市北区)が届けたものだった。

 13年前の1月17日、同社では、幹部が社員の
安否確認に追われていた。夕方、支社長代理だった
岩崎富士男さん(現・大阪芸術大教授)が、プロモ
ーション局長の瀧川忠昭さん(同)を地下の喫茶店
に誘った。「会社として何ができるか」と2人で考えた。

 岩崎さんは一足先に車で被災地の惨状を見ていた。
目についたのが、ノートの切れ端やメモ用紙などに
走り書きした伝言だった。

 「我々はコミュニケーションの専門家だ」

 CM制作に携わってきた岩崎さんがこだわったのが、
シンプルな赤枠だった。「とにかく人に見てもらいた
かった」。震災の翌日、予算を確保して発注した。

 発生から5日目、約60万枚の用紙をトラックに積み、
西宮、芦屋、神戸の市役所や避難所を回り、用紙を
詰めた段ボールを置いていった。

 その後、岩崎さんらはこのことを語らなかった。
会社のPRに利用したくないという思いだけでなく、
「あの惨状を前に何ができたか」という無力感も
あったからだ。

 だが、赤枠の紙はその後も行政関係者や研究者の間で
話題に上った。

 昨年10月、日本災害情報学会の会報に、ある会員が
「誰がやったか不明のまま」と寄稿した。

 震災当時、博報堂の社員として事情を耳にしていた
吉井さんがこれを目にして、かつての上司らに経緯を
聞き取りした。

 吉井さんは「アナログでも情報を伝える手段の必要性
を思い起こさせる出来事で、事実を記録しておきたい」
と話している。
----------------------------(転載終了)

すいませんが、どなたか、私のイラストレータは
バージョンが古すぎてアップロードしても使えない
可能性があります。
どうか、印刷会社や広告関係の方、データ作成して
コンビニからダウンロードできるようにするか
ファイヤーストレージで作ったデータを印刷して
もらえませんでしょうか。
グラフィックデザイナーの経験がある方、jpgを
参考にして、なんとか現地のみなさんの困難を
解消できませんでしょうか。

他力本願かも知れませんが、いますぐにできそうな
これからしばらく必要になりつづける支援物資は
アナログの情報と考えます。