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こんばんは、都議予定候補 伊藤大気です。
今日も区内を駆け回りました。
ブログを見ていただいている方のなかにも、演説を聞いた、という
方もいらっしゃるかもしれません。日に日に声を掛けてもらう頻度
が増えてきています。
 
今日も区内で候補者としてご挨拶させていただきました。
この写真は、そのときのものです。
あらためて自分の名前をまじまじとみて、ふと思い出したことが
ありました。
 
私は小さな頃、自分の名前が嫌いで仕方ありませんでした。
「大気」(だいき)という漢字は、1年生で習う漢字で、どこにもであるような、
変哲のない名前で、音の響きも
子どもっぽいなぁと、小学生の低学年の時に思っていました。
 
時が経ち、地球を包む大気か、
その位大きな気持ちを持った
人間になってほしいということなのか…
 
親がどんな気持ちで名づけたのか
知りませんでしたが、
子ども心にそう感じ、強いプレッシャーを抱きました。
 
 
自分には相応しくない名前だ。
そんな人物には自分はなれない。
 
 
そう抱き、思春期を過ごしました。
中学、高校も、大気と呼ばれることを嫌いました。
 
浪人時代のある日、部屋を片付けていた時に、
両親が僕が小さな頃に、七夕の時に書いた短冊がでてきました。
そこに、父親のメッセージがありました。
 
 
「親というものは、どうしても、
子どもに自分の期待をかけ、名前に
こうあってほしいと願いをかけるものだ。
けれど、そんなことは気にせずに、
自分の好きなように生きてほしい」
 
 
この時から、私は自分の名前が好きになりました。
 
 
由来は、井原西鶴の「好色一大男」を読んだ父が、この主人公の気性を
現した文章に、「この男、大気(たいき)の気性をもって生まれ」という
一文があり、「自分の子どもにはこの名前をつけよう」と思ったそうです。
 
 
父がどんな考えて付けたのかはわかりませんが、「名前に負ける」
など考えずに、自分の生きたいように生きる。自分が歩んできた
人生を大切にし、出会ってきた人たちを大切にして、生きよう。
大きな気持ちをもち、たくさんの人の声に耳を傾け、受けとめる
人間になろうと心を決めました。
 
 
今の自分がそういう人物になれたのかどうかはわかりません。
けれど、都議予定候補として活動するなかで、たくさんの方から生活の実態や、政治を変えてほしいという希望、怒りを受けとめてきました。

名前についても、先日事務所前を通りかかった方が「これは仮名ですか?本名だとしたら、素晴らしいお名前ですね」といっていただきました。
 
 
みなさんの願いを受けとめ、全力を尽くして参ります。
明日も一日頑張ります!
見かけたらぜひ声をかけてください。
 
 

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ありがとうございます。

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