筑波耐久ロードレース 250ccFoFと100cc耐久茶屋に参戦してまいりました

筑波の最終戦が無くなり、Best更新と絶対優勝を掲げての参戦になったFoF。昨年から筑波TTの延長として開催され初年度の昨年は豪雨の中、オイルにより赤旗中断。このためターゲットタイムや周回数がわからないままの参戦となりました。

チーム内で話し合った結果、2台でのワークス体制となり63号車は武佐、折川組、78号車には伊能と共に4st250初乗りながらカムバックレジェンドの金選手となりました。当然チーム内での競争はあるもののチームオーダーは無し。買ったほうがご褒美もらえる人参付き。自分は90年代、エース金さんを師匠として、先輩として背中を見てきました。私を育てていただいた恩返しの意味でも既に42歳の老体が成長した所を見せなければいけません。またそれをチームの後輩に受け継がなければいけないし、それがある種の伝統のようになればと思う。

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公開練習から初乗りの金さん。ベテラン、走り慣れている筑波とはいえそう簡単にタイムが出るとは思っていませんでしたがちょっとブランクがありすぎたようです。このため走行データ、オンボードビデオの共有とチーム内での協力体制も作りどちらが勝つというよりはどちらもが勝ちに行く事前準備は出来つつ有りました。ですが2台の参戦マシンで乗り方も付いているパーツも異なる2台、両方をきちんとセットアップするのは、出来るのは。。。そう私しか居ない。。。。身内とはいえ敵であるし、倒さねばならない強豪マシン。でもどうせやるならきちんとしたマシンでキッチリ勝ち、誰が、どちらが速いのかを証明するには78号車もきちんと走る状態で挑みたい。前日ギリギリではあったものの78号車に乗り込み、私が熟成度合いのチェック、確認。仕様の違いこそあれどサクッと仕事をこなしインプレを返してすぐに現場対応。すると午後からの走行で伊能が強風の中いきなり1秒UP。これで準備はほぼ整いました。

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予選
朝の8時、極寒の中20分でタイムを出さなければなりません。武佐が先に出るか、折川が先に出るか迷ったものの後からの追い上げ(持ちタイム)を考え折川スタートで予選開始。今回のためにだいぶ走りこんだ折川+筑波が序盤にTOPに立ち8秒5を出します。約半分が消化したところで武佐にライダー交代しマシンのチェック、パワーチェックをしながらアタック開始。7秒台を出すつもりが混雑等もあり中々クリアが取れず何とか8秒3で予選1組目をTOPで終了しました。意地で裏エースの座は守れたものの7秒台が出なかったのが悔しい。90年代の筑波は2月開幕だったことを考えれば7に入れられるコンディションだったはずなのですが。78号車も予選2番手に入りワンツーを独占。このまま行くかとおもいきやそうは問屋がおろさず2組目のチームにポールを奪われます。完全制覇はこれでお預けになったのですがようは勝てばいいんでしょ、勝てば。耐久職人としては勝つために何をしなければいけないのか、何が最もリスク(転倒)が低く、何がBest(安全)なのかを考え実行しなければいけません。結果として1stライダーは武佐が努め、レース全体を俯瞰しながらポジション取りと展開を常に手中に収める形で総合優勝を狙うことにしました。

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決勝
スタートは少し遅れるも3,4番手で無難に1コーナーを通過。危険な1ヘアをINで周りまあこんなもんでしょという順位で1周目を無事通過。2周目、いきなり1ヘアで黄旗。だよな~とこの時は誰がころんだのか全くわからず徐々に順位を上げていき、落ち着きが出始めた10周目ぐらいからTOPバトルに参加。周回遅れもいるのでどこでどうやって料理するかと色々考えましたが、やはり1コーナーが最も安全かつ自信があるので最終で合わせて抜くことにして見事に敢行するもそう長くは続かず若手の勢いに負けます。ここで焦ること無く付いて行くことに集中。というのもここまでは自分の中で想定内。大事なのは私がTOPに立つことではなく2.5時間の時点でTOPにいれること、居ること。ここで無理してタイヤを使う必要もないし、体力も温存しなければいけません。チョットずつ離されながらもそんなことを考えながら前後との差を見て淡々と周回を重ねます。

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TOPバトルに微妙になりながら、途中78号車を抜きます。なんで周回遅れになっているのかこの時は全くわかりませんでした。

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するとその直後確か1時間を過ぎた辺りでSCが投入。その前の周に2ヘアでウロウロとコースに戻ろうとしている赤のR25が居たのですがどうもそれと接触、転倒したらしい。もし自分が来るのが数秒遅かったらと思うといかに耐久で勝つのが難しいかが分かります。こりゃまた処理に時間かかるなと思い、そろそろピットも気にしているだろうガソリンが 9でっせ とサインしたらなんとPitinの指示が。だめだこりゃ。全く意思疎通が出来ていない。ここでPする意味が分からん。まあピットは何かが壊れたと思ったのでしょう。確かに壊れてるよ。右のカウルが擦りっぱなし。おかげで右のバンクが出来ず折川バリのぶら下がり走行をしてました。何かがおかしいことは気づいているものの何が壊れているかは分からない。う~む、やはりJr(弟)でないと伝わらんか。。。当然Pのサインなんて無視です。ピットも慌てていたでしょうがまあこういうネタも仕込むのが耐久職人の技です。SC解除後は1位がPitinのタイミングで63号車がTOPに立ち、後続を離すべくちょっとスパート。ここで踏ん張らないとマージンが作れません。予定の90分経過でこちらもPitinし、残りを折川に託します。

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これだけマージンあればダイジョブでしょ。交代後に知ったのですが、1周目の1ヘアで飛んだのは78号車。修復して出てきたのを追い抜いたのでした。78号車はその後金さんにバトンタッチしたものの残念ながら転倒、リタイヤに終わってしまいました。となると残す63号車が走り切るしか無い。全メンバーの視線と思いが63号車に注がれる中2.5時間が無事に経過しTOPでチェッカーを受けることが出来ました。

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250ccに復帰参戦した2015年。2stから4stに変わりタイヤもマシンも特性も違う中、山地メカとの爺コンビ(合計約90歳)で何とか筑波でも結果を残すことが出来ました。耐久職人としてイマイチだったもて耐の汚名返上の走りと展開だったかなと思います。もちろん関東の強豪が鈴鹿に行っていたこともありますが、どのレベルでも、どの大会でも勝つということは本当に難しい。

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来季の体制は打診も含めて自分としては何も決まって、決めておりません。
今年私ができることは、やれることは全て注ぎ込みました。時間もお金も。
なのでやりきった感もあります。後悔も未練もありません。
ST250、R25初年度で自分の好きな開発とレースと耐久が全て出来、チャンピオン獲得、シーズンラストで総合優勝できました。



1年間、ご支援、ご声援頂いたスポンサーの皆様ありがとうございました。