先日終結した福島大野病院事件をはじめとしてなされる医療訴訟でわかるように、

まじめに働いていたはずの医師が、ある日突然逮捕され犯罪者扱いで裁判にかけられるという国で、

・・・私、まだまだ当直業務を担当し救急医療に携わってます。



本来ならば、


「医師としての能力を最大限に発揮し、社会的責任を果たし患者の生命を守るという

極めて尊い職業に誇りをもって、充実した毎日を過ごしています!」


・・・とでも言いたい所なんですが、

上記の如く「恐ろしい国、ニッポン」では残念ながらそういった理想とは程遠く、

その現場では主にモンスターペイシェントをけん制した言動を取り、

インフォームドコンセントに大半の労力を奪われ、防衛医療に徹するなど、

常に訴訟リスクとのせめぎ合いをしています。


そういった防衛医療 下では、残念ながら医師は自分の能力を制限し、

出来るだけ責任を負わずに済むように心がけざるを得ません。


そういった中で指標になるのが、医療裁判とその判例という事になります。


本来、医師は科学的根拠に基づいた医療をするものであり、これを

EBM(Evidenced Based Medicine)

と言いますが、現在我々は特に救急の現場では判例に基づいた医療を行わざるをえず、これが

JBM(Judgment-based Medicine)

と言われています。


医療が、医学に基づくのでなく判例に基づくとはなんとも愚かしい事でありますが、

法治国家である日本に住む以上、法律的判断を無視した行動をとれば、

訴えられて有罪となり、元も子もありません。


そこで、医療訴訟の行方には皆が関心を持っている訳です。





ここまでは医療崩壊ヲッチャーには衆知の事実として、話は少し戻りますが実際の救急医療の現場にて。



すべてはナースからのコールに始まります。

救急隊からの診察依頼をナースが要点を纏めて伝えてきます。

それを聞いて引き受けに関する返事をします。


原則的に医師には「応召義務」が規定されていて、医師法には

医師法第19条 【医師の応召義務】

 診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

とされていますが、こういった規定はあくまで努力規定であり、

これまで多くは医師のボランティア精神によって支えられて来たので、夜中に依頼があっても、

「う~~ん、眠いけれど病気で困った患者が居るなら、助けてあげよう。」

と、疲れた体に鞭打って治療を行ってきた訳です。


私は外科医ですが、外科の当直医は何でも屋といった感じで内科患者も診ていましたが、

今は専ら外科患者のみで、その他の科の依頼は軽症そうでも



「専門外ですが、よろしければどうぞ。」



と断りを入れています。


最近の夜間救急患者は、非常に高い専門的診察希望を持っている方が多い(殆ど)なので、

その一言で殆どが、


「専門医を探します。」

と。


決して自分から診察をお断りしたわけでもありませんけれども、

マスコミに言わせればこれも「たらい回し」なんでしょうね。


先の

「専門外ですが、よろしければどうぞ。」

の後半部分は、電話の内容によっては


「専門外ですので、専門をすぐに探してください。」


に変わります。


その最たるケースが、胸痛の訴えです。

それは、もちろんこの加古川の心筋梗塞裁判 の判例に基づくJBMです。


私は過去記事では「絶対控訴してください!」と書いていましたが、

病院側は控訴せず、賠償していたようですorz



最近になって、神戸新聞でこの事件に関する記事が掲載されていました。


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加古川市民病院、急患死亡で敗訴 現場に波紋今も 

神戸新聞 2008.9.20
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0001463280.shtml

昨年四月に言い渡された一つの判決が医療現場に波紋を広げている。加古川市の加古川市民病院が、心筋梗塞(しんきんこうそく)の急患に適切な対応を せず死亡させたとして、約三千九百万円の損害賠償を命じられた神戸地裁判決。医師の手薄な休日の急患だったことから、病院関係者は「医師不足の中で患者を 受け入れている現状を考慮していない」と反発。救急患者の受け入れに慎重になる動きも出ている。一方、医療訴訟に詳しい弁護士は「過剰反応」と指摘す る。(東播支社・田中伸明)

 「判決を理由に、救急患者の受け入れを断る医療機関は多い」-。姫路市消防局の担当者は打ち明ける。


 以前は、専門的な治療ができなくても重症患者を受け入れ、転送先が決まるまで応急処置をしていた医療機関が、受け入れに慎重になる例が目立つという。


 姫路市では昨年十二月、十七病院から受け入れを断られた救急患者が死亡した。担当者は「判決が、救急事情悪化の背景になったことは否めない」とする。


 裁判は、心筋梗塞への専門的な治療体制を持たない加古川市民病院の転送義務が争点になった。

 二〇〇三年三月三十日、男性患者=当時(64)=が息苦しさを訴え、以前かかっていた同病院を受診。対応した医師は心筋梗塞を強く疑い、血管を拡張するための点滴をしたが回復せず、来院の約一時間半後に他病院へ転送依頼。しかし、その後容体が悪化、死亡した。

 遺族側は、重症の心筋梗塞には管状の「カテーテル」を挿入する治療法が欠かせないと指摘。この治療ができない同病院は、ほかの医療機関へ男性を速やかに転送すべきだったのに、その義務を怠った-と主張した。

 一方、病院側は、当日は日曜で他病院の受け入れ態勢も十分ではなく、病院間の協力態勢も確立されていなかったなどとし、早急な転送は困難だった-とした。

 判決は、患者側の主張を全面的に認め、訴額全額の支払いを命じた。病院側は控訴しなかった。

     ◆

 判決は、病院の勤務医らの反発を呼んだ。

 交通事故の重症患者を受け入れている姫路市内の病院の救急担当医は「自分たちで対応できる状態かどうか、受け入れてみないと分からない。能力を超えた場合、近隣で転送先を探すのは難しい」と強調する。

 山間部の小規模病院の医師も「専門的な治療体制がより求められるようになれば、可能な限り患者を受け入れるへき地の診療が成り立たなくなる」と話す。

 近年の公立病院などでの医師不足は、訴訟や刑事訴追の増加が一因とされる。加古川市民病院の判決は、福島県立大野病院の産婦人科医逮捕などと同様、医師向けのブログなどで「不当」との批判が相次いでいる。

 こうした動きに対し、患者の立場で医療訴訟を多く手がけてきた泉公一弁護士は「判決は、証拠に基づいた極めて妥当な内容。医療側の過剰反応ではないか」と指摘する。

 「医療現場の事情についても判決は十分考慮した上で、病院側の過失を認定している。内容を精査せず、患者との対立をあおるのは医療不信を招く」と冷静な対応を求めている。



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>以前は、専門的な治療ができなくても重症患者を受け入れ、転送先が決まるまで応急処置をしていた

>医療機関が、受け入れに慎重になる例が目立つという。



いわゆる「たらい回し」という事ですね。



>泉公一弁護士は「判決は、証拠に基づいた極めて妥当な内容。

>医療側の過剰反応ではないか」と指摘


泉公一弁護士の主張によって得た判決が、


いわゆる「たらい回し」を促進して、姫路市を始め全国で死者を生じたかもしれないんですが、



それはあくまでも医者の過剰反応って仰る訳ですかそうです。



Yosyan先生のブログ でこの件を辛辣に批評されていました。


全くの同感です。


裁判を起こされたとしたら、費用対効果などよりも事実認定の為にも控訴すべきでした。

前例を作る事で生じる後々の影響を考える必要があります。