@DAVID
 
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春へ



昨日は久しぶりの暴風が吹き荒れ、最大瞬間風速25メートル近くを観測。


ここ最近、南岸低気圧のオンパレードでずーと波はある。


個人的には房総半島で10年ぶりぐらいの大雪を

期待したが、やはり海水温が高く、15度ぐらいかな、上空から落ちて来る雪は溶けて冷たい雨となってしまう。


海水温が1度上がると、海面が約10センチ上がり、2度上がると、20センチ近く海面が上がる。


もちろん、大陸にある氷河の融解も関係あるが。


ここ100年で世界中の海面が20センチぐらい上がり、このままいくと海の近くの道路が破壊されるのは時間の問題で、その例が鎌倉の134号線。


子供の頃には想像もしていなかったことで、海面上昇が人災なのか?自然の変化なのか?はたくさんの議論が必要で、まだまだ謎な部分が多い。


話変わって、房総群発地震は最近減ったが、いつ来てもおかしくないので、食料をもう少し買いだめしなきゃ。


それと不思議な体験が地震が起こる前に自分にある。


それは夜中に限ったことで、だいたい地震発生前の5秒ぐらい前に目が覚め、、音が一瞬なくなり、部屋の空気が抜かれる感覚というか?

そして、2、3秒経つと地鳴りが聞こえはじめ、その2秒後ぐらいに地震がやってくるというもの。


一回、2回ではなく、10回以上体験している。


2018年か?2017年?の時の房総群発地震の時も同じ体験を何度もした。




話変わって、今ニュースにも取り上げている珠洲市に原発が建っていたら、。


僕は、今年の元日の能登半島地震の後に知ったのだが、能登半島の珠州市にも1975年頃から原発を建てる計画があったが地元の強い抵抗により計画は2003年に凍結された。


その時に推進派が出した最大の揺れ予測は600ガルほど、今回はその5倍ほどの2828ガルを観測。


しかも、推進派の得意技の珠洲市には活断層はなく安全だと。


もし、地元住民が金に目がくらみ、珠洲市に本当に原発が建設されて、今回の地震に遭遇したらどうなっていたのか?


地盤が隆起したところもあるから、おそらく冷却水の配管が破壊された可能性もあるし、とてつもない激しい揺れでいろいろ破壊され、電源が確保できない事態も想定されるし、道が寸断されているから、人を送り込むことも難しく、ヘリを使うことになる。


もはや、日本にとって最悪の事態に陥り、第二の福島以上の事態に陥った。



風速で言ったら、例えば50メートルまで耐えられるとし、実際は250メートルの風が吹いたようなもの。


大自然の予測は、時には人間の予測を遥かに超えることがあり、それは大海原の大波にポツンと一人でいると痛いほど大自然の偉大さを思い知らされる。


それと3  11の直後のアンケート調査では、ほとんどの日本国民は原発をやめてくれと思っていたが、今では50パーセントの人達が必要と。


理由は電気代が高いからと。


しかし、そのアンケート調査に自分の地元に建てるならとかを付け加えると、ほとんどが嫌だよと、。


昨日で震災から13年が経ち、珠洲市にもし原発が建っていたら、、、と考えると、、、。



スロースリップで終わるのか?

 

 

それとも本震の前兆なのか?

 

ここ数日、千葉県では地震が続いている。

 

もう10回は越えていて、地震情報に発表されていない震度0.5ぐらいの小さなものを含めると20回は越えているように思える。

 

心配なのは、元禄地震の再来なのか?ということで、関東大震災は半分しか割れていないらしく、残り半分は割れ残りがあるみたい。

 

そして、アメリカの地震予測機関も2月28日に発表した、、、3月1日から3月2日に千葉県付近にマグニチュード6程の地震が来るかもしれないと。

 

なぜ?この機関がこれほど正確にわかるかと言えば、ちょっと僕もすべてはわからないが、重力のごく僅かな変化が大気中に表れるらしい。

 

それは過去に、FMの電波が地震の前に乱れることから気づいたらしく、研究を重ねるにつれて今に至ると言うとても興味深い話。

 

時には重力の微々たる変化で地震雲も形成される話で、僕は地震雲のことは信じてなかったが、あり得ると最近思うようになった。

 

ここ数日、東海上では低気圧が猛烈に発達していて、冬の時期としては4年ぶり?ぐらいの大きな波がたっていて、ちょっと考えすぎかもしれないけど、気圧が下がったことにより、空気が地表を押す力が弱まってスロースリップ現象が発生しているように思える。

 

タイミング的にどんぴしゃりである。

 

実際にこれは台湾でよくあることで、15年ぐらい前に雑誌、ネイチャーだがニュートンだが忘れたが読んだことがあって、900hpaに近い台風が台湾付近で停滞するとスロースリップ現象が発生したり、台湾で地震が発生することが過去に多々あった。

 

ここ2、3日、東海上で低気圧《上昇気流》が停滞気味になり、広範囲の空気のベクトルが上空に向かっていたから、ほんのちょっと空気の重しが減ったのは事実で、それがこの連続地震を誘発したことは十分に考えられる。

 

例えば、太平洋プレートは、北西方向に規則正しく押しており、歪みが溜まって、溜まって、そこに他の地域の大きな地震が発生して、千葉沖の連続地震を誘発する可能性もあるし、たまたまタイミング的に千葉沖の歪が限界の時に空気の重みが軽くなって誘発する可能性もある。

 

もっと考えると、たまたま歪みが限界に達してた時に海が荒れて、荒れて、荒れまくった波の振動がごく微量に地下に振動を加えて、地震を誘発することだって考えられる。

 

そんなバカなと思う前に、人間にはまだまだわからないことだらけで、特に自然現象となると未知数の分からないことだらけ。

 

そして、一番僕が気になるのは、過去の地球のパターンで三陸沖巨大地震の次は関東で巨大地震、その次に東南海地震と言う順番が西暦900年頃にあったから、元禄地震規模か?関東大震災規模の地震が来なければいいんだけど、来ると思ったほうがいいんだろうね。

 

仮にこのタイミングで来なくても、時間の問題で来るのは地球規模の周期でわかることだから、、、。

 

 

 

 

これは驚いた



数日前にアメリカ地震予測機関が26日深夜から27日早朝にかけて、関東地方にマグニチュード5.0程の地震が来ると発表。


結果は、昨日に東京湾でマグニチュード4.8が発生。


この地震予測機関、けっこうな確率で当たっている。


僕もちょっとわからないが、大気重力波の理論など様々な前兆反応を観測しているらしく、ほんの微々たる重力の変化が地震が起こる前に大気中に伝わると言うもの。


天気予報を35年、毎日欠かさず僕は見て来て、波のことや気候はかなり詳しくなり、世界中の生き物や大自然に触れてきた自分にとって、この大気重力波というものには驚かせた。


関東でマグニチュード5クラスはかなり久しぶりで、たったの1日違いで実際に4.8が起きた。


GPSの地殻変動や大気重力波の理論を組み合わせれば、地震の予測にかなり役立つのは明白だ。


僕は人類に地震予測は難しいと長年考えていた。


それは、およそ200年間隔の東南海地震や400年周期の千島海溝地震や1000年間隔の三陸沖とかの長いスパンでの予測はある。


しかし、これほど的確に予測できるとは正直驚いた。


もちろん、確率50パーセントぐらいと言うから、半分ははずれる。


それでも半分は当たるで十分じゃないか。


これはノーベル賞に値する、いやそれ以上と言っていい。


この大気重力波に興味深々だよ。


こないだの南岸低気圧、くの字に曲がる日本列島

その中心の波

能登半島地震

 

3 11以降の地盤の動き  国土地理院提供

 

この1年間の能登半島の地盤の動き

国土地理院提供

 

 

 

2011年の東日本大震災以前の東北地方は、今の関東や西日本みたいに北西方向に地盤が動いていたが、3 11以降はほぼ真逆の東南東に地盤の動きが変わった。

 

プレートの跳ね上がりにより、東北地方は太平洋側に動いた。

 

注目点は福島から南の関東や西日本では、北西方向に地盤が動いている。

 

これは東日本大震災の前の東北地方と同じで、巨大な太平洋プレートやフィリピンプレートが南東方向から南と日本列島にむかって押している。

 

もう一つの注目点は、ここ1年間の能登半島の動きで、珠洲市近辺だけが南方向に動いてる。

 

2、3年前から能登半島の直下には流体が流れこんでいる説や頻繁に地震が起きていることから、大きい地震が来ると予想されていた。

 

 

 

原子力資料室 提供

 

そして、志賀原発のことである。

 

上の図は、志賀原発の直下にある断層みたいなのが断層ではないと北陸電力が数年前に発表。

 

今回の能登半島地震は知られていない海底断層がずれたとなっていたが、産業技術総合研究所の岡村さんは2014年にこの断層のことを指摘していた。

 

それでも日本中に知られていない断層は数多くあり、特に海低となると調べることが難しいので、海低に知られていない断層は数多くある。

 

それと地震が起きてない空白域に起こることもあるので、活断層と認定している場所以外にも大地震は起きている。

 

 

志賀原発は東日本大震災以降停止し、耐震を600ガルから1000ガルに引き上げたとなっているが、今回の能登半島地震の最大ガルは2828ガルと耐震の3倍の揺れを観測。

 

そもそも耐震を600ガルから1000ガルに上げたと言われても、違和感しかない。

 

元々建っている原発の建物を補強したとしても、地面に接している底の部分が隆起したり、沈降したりする可能性があるからだ。

 

今回の地震で変圧器の油が大量に漏れ、もし、油に引火したらどうなっていたのか?

 

大火災の最中に、電源を確保して、冷却し続けることが可能なのか?

 

多くの人は、自分達が生きてる間はもう日本では原発事故は起きないと考えているかもしれないが、僕はそうは思わない。

 

西日本で南海トラフが動くのは時間の問題で必ず東南海地震は来る。

 

東南海地震が起きる前触れとして、西日本の内陸で大きな地震が起きることは知られていて、それは数年前に起きた鳥取地震や大阪北部地震かもしれないし、今回の能登半島地震がそれに当たるかもしれないし、今後、別の内陸かもしれないし、ひずみが限界で次が東南海地震かもしれない。

 

869年の貞観地震の後は、相模トラフ、東南海地震の順番だったから、東南海地震の前に相模トラフの可能性もある。

 

今思えば、2008年の岩手内陸地震は東日本大震災の前触れであった。

 

それと千島海溝の巨大地震も時間の問題であり、その時にこれまた直下に断層がある青森の再処理工場は大丈夫なのか?

 

新潟の柏崎近辺にも活断層はある。

 

 

僕は2007年から2010年ごろまで、何度も国会の議員会館に足を運び、質疑応答で原子力保安員や議員に危険性を訴えていたが、よく言われたのが、デイヴィッドさんが考えている巨大地震は来ませんからと言われた。

 

その時に思ったことは、この人達は地球のサイクルを軽視しすぎだと 。

 

どれほどの憤りを感じたかうまく説明できないが、言い返したのは、絶対に自然には勝てない!!と大声を出したのを覚えている。

 

そして、時間の問題だと。

 

 

 

 

これほど大地震が頻発する日本で原発が不向きなのは一目瞭然である。

 

 

 

 

 

鎌倉腰越小学校 講演

 

 

日本は四方八方、海に囲まれながら、あまりに海のことを知らない人が多いと僕は若い時から思っていた。

 

年間を通して海に一回も入らなくても、間接的に全国民が海から恩恵を受けている。

 

例えば、海産物や毎日変わる天気や水である。

 

日本は海に囲まれているから雨量がとても多い国で、水不足がなく森林も生き生きしている。

 

海からの恩恵は計り知れず、もっと学校教育で大事な海のことを勉強するべきだとつくづく思っていた。

 

日本全国で昔から海は危ないから近づくなとか、海と陸地の狭間にコンクリートを入れる場所が多すぎる。

 

日本の海岸線の70パーセント近くは護岸工事が入っていて、自然の海岸線は30パーセントしかない。

 

海外の人が日本に来て良く言うのは、コンクリートポイント。

 

サーフィンするところをコンクリートポイントと呼び、海外からみるとこれは異常と言っていいほどコンクリートの過剰投入である。

 

河川の氾濫や津波や高波の危険性も十分承知だが、自然の猛威から人間が引くことも大事で、危ないところに住まない努力が必要だと思う。

 

僕が強調したいことは、海との正しい付き合い方で、海は時には怖いが、正しく付き合えば、とても優しく癒してくれる。

 

 

 

授業の5時間目と6時間目に自分の講演を入れてくれて、腰越小学校3年生に説明したことは、マイクロプラスチックのことを主に、波の出来方や波の速度の話、離岸流の見方や危険性、離岸流にはまった時の対処の仕方 そして、津波の速度の話。

 

マイクロプラスチックは、総量で言ったら年間でクレジットカード半分ぐらいのプラスチックを食べているんじゃない。

 

人間が捨てたものは、自分達に返ってくるということ。

 

クイズ形式や質問ありありの、とにかく楽しく興味を持ってもらうことを心がけた。

 

なぜなら海を好きになってもらうことが一番大切だから。

 

この授業が実現したのは、腰越小学校の先生がサーフィンをしていて、去年の鎌倉ウルトラプログラムの際に声をかけてくれて、うちの小学校でもしてくださいと言われ実現した経緯だった。

 

じつは僕は子供の頃に腰越漁港でよく釣りをしていた。

 

腰越小学校の先生はおそらくそれを知らずに僕を誘った。

 

僕は頭が子供の頃、今より金髪だったから、腰越漁港ではちょっと有名で、おっ、また来たな、小僧、今日はこういう釣り方がいいぞとよく池田丸のおっちゃんに教えてもらって、実際に大人顔負けで成果を残していた。

 

そして、その時に腰越漁港の横に流れている川が日本一汚い川とテレビで知り、衝撃を受けていた。

 

あれから40年が経ち、まさか?!自分が腰越小学校に呼ばれるなんて思いもしなかった。

 

なぜ?これほどの偶然が自分に起こるのか?もう自分でもわからないんだよ。

 

ただ、一つ言えるのは悪い気はしなく、人生の道しるべ的な、、、なんとも言えない出来事。

 

話はそれたが、来年はサーフィンの授業をしようと思っている。

 

実際に海に行って、波の小さい日に60名のあのうるさい (笑)  3年生が4年生になるのかな、教えようと思っている。

 

うるさいことは良いこと。

 

 

 

 

 

世界の海水温 2023年 9月

 

 

毎年、毎年、気温が高くなっているのを人々が痛烈に感じた2023年。

 

原因は海水温上昇によるもので、これは専門家の間ではほぼ全員一致している。

 

問題は、なぜ? これほど海水温が上昇したのか?という点である。

 

今現在、海水温上昇は温室効果により、空気が暖まって、それにより世界的に海水温が上昇したとなっている。

 

しかし、いくつか?疑問点がある。

 

まず、大気にこれほど海を暖める力が本当にあるのだろかということ。


次に800年頃から1000年頃は中世温暖期と呼ばれ、気温が1度から2度、高かったことがわかっている。


東日本大震災が1000年ぶりの巨大地震と呼ばれている理由は、869年の貞観地震の時、仙台平野の内陸5キロまで津波が押し寄せた痕跡があるからで、ちょうどこの中世温暖期の時期だ。


中世温暖期の時期は、今現在みたいに巨大地震や火山が活発な時期と考えられ、当然、海底火山も活発だったのではないかと推測することができる。


では、なぜ中世温暖期は気温が高かったのだろうか?


当然、人間活動は関係ない。


もし温室効果により中世温暖期の気温が高った

 とするならば、今現在みたいにマグマの活動が活発な時期で、それにより海水温が上昇し、海中の二酸化炭素が大気に出て、温室効果により気温が上がったというのは考えられる。


それともこの時期に温室効果は関係なく、ただマグマ活動が活発な時期で、それにより海水温が上昇し、中世温暖期になったとも考えられる。


この中世温暖期のこと以外にも疑問点はいくつか?あるが、特にこの中世温暖期はなぜ?人間活動関係なく気温が高ったのか?というのが頭に引っかかる。



ここ100年、地球全体で気温は約1度上がり、海水温も同様の約1度上がった。

 

これはまぎれも無い事実で、データが証明している。

 

僕が何度も何時も思うのは、海を暖めた原因が温室効果のみではないということ。

 

地球内部のマグマがフライパンのように、プレートに熱を加えた。

 

それにより海水を暖めているのではないかということ。

 

次に、世界中にはたくさんの火力発電や原子力発電があり、天文学的な数字で膨大な水を汲み上げ、プラス5度ぐらいその水を暖め、海や川に戻している。

 

世界中の発電所の温排水、そして、地球のマグマの強弱、これらを考慮しないで温室効果のみと決めつけている人類は想像力の欠如なのか?

 

かつて、ガリレオは宇宙が回っているのではなく、地球が回っていると提唱したが、人々は信じなく、ガリレオは殺された訳だが、のちにガリレオは合っていた。

 

それとこれは関係ないけど、逆転的な発想だった。

 

海水温上昇の原因が温室効果というのはあくまでも説であり,そうじゃないという学者も多数いる。

 

今現在の海水温上昇の要因は、温室効果ガス、地熱、温排水、この3つのことが海水温上昇につながった可能性があると普通の話をしている。

 

そこで、このまま行くとどういうことになるか?と言う話である。

 

まず、もし人類が勘違いして温室効果のみと決めつけたことは、良いことである。

 

なぜなら、大部分のエネルギーを化石燃料に頼っている時代から脱皮し、再生可能エネルギーや水素に変換しようとしているから。

 

もし、人類が海を暖めている原因が地熱によるものと判断したら、これほど新たなエネルギーを模索していないと思うから。

 

地球内部の熱を人類がコントロールするのは不可能で、温排水に関して言えば、再生可能エネルギーの普及や水素開発により減る可能性はあるがなんとも言えない。

 

いずれにしても、温室効果ガスを削減しても、地熱と温排水も海水温上昇の要因であるならば、年々、海水温上昇を目の当たりにすることになり、異常気象からニューノーマル気象 (新しい普通の気象)に変わり、春と秋の期間が短くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮崎トップジュニア合宿

 

 

先月の10月はじめに宮崎に行ってきた。

 

宮崎は2011年の震災以後、半年住んでいた思い出深い場所で、12年ぶりである。

 

世界チャンピオンのカリッサ ムーアの父でもあり、コーチでもあるクリスさんを招いて行われた合宿は 4泊5日 にも及んだ。

 

サーフィンが東京オリンピックで正式種目に決まり、次はパリ、ロサンゼルス、オーストラリアと続く中で、トップジュニアを育成しようというもの。

 

クリスさんの指示の元、僕は助手と通訳という立場。

 

朝は日の出と共に起き、ホテルの部屋に戻るのは夜の21時過ぎとハードスケジュールの中、皆さんとても頑張った合宿だった。

 

波もまぁまぁ当たり、終始胸から肩ぐらいのファンな波だった。

 

今回はショートボードのトップジュニアで、なんでロングの自分がと思うかもしれないが、かつて世界の強豪相手に戦った経験とタクティスはショートでもロングでも同じであり、特に外国人選手が何を考え、どのような試合展開に持って行くか?とか、セットの周期や良い波をどう捕まえるか?などは自分は得意だった。

 

そのような部分を評価され今回の合宿に呼ばれたわけだが、もう一つ、今後のロングボードの育成の準備というミッションもあった。

 

合宿中、クリスさんが強調していたことはごくシンプル。

 

まず保護者を集め、あまり子供達に押し付けるようなことはしないこと。

 

海外でも子供達に練習しろ!みたいなことが続いて、最終的に嫌になった子供達を多数見ている。

 

一番大事のはサーフィンが大好きで、やりたい、やりたいと気持ち続くことから始まり、やがて、良い結果出るとさらに向上心が芽生える。

 

次に試合の組立て方や自分が乗ったライティングの点数をジャッジコールなく、正解に知ること。

 

技術の面の指導はあまりなく、こういったことだった。

 

 

 

 

 

 

僕がトップジュニア達に一番強調したことは、絶対に自分達が欧米や南米選手に劣っていると思わないでくれと言うことだった。

 

野球の大谷選手、サッカーの三苫選手、久保選手、ボクシングの井上選手は立派に大活躍している。

 

かつて日本のサーフシーンでよくあった自分達は世界に勝てないとマインドセットすることが長年、日本にはあった。

 

僕はこれが大嫌いで、よく現役時代に他の日本人選手にお願いだから外国人選手に良い波を譲るのはやめてくれと何度も何度も言っていた。

 

サーフィンの試合で良い波をとられたら、絶対に勝てない。

 

今はプライオリティルールができ、以前とは違うところがあるが、気持ちで負けないようにというところを強調した。

 

 

 

 

 

 

奄美大島 3



今年、3回目の奄美大島


この3回目の訪島は8月中旬頃で、だいぶ遅れた記事になる。


遅れた理由は、スクールが多忙になったのと、あまりの暑さに頭が回らない夏だった。


ここ数年、ニュースで話題になっている避暑地、勝浦。


しかし、驚異の海水温上昇で変わってしまったのである。


冷房入らずで、真夏でも薄い布団がちょうど良かったのだが、これほど変わるとは、。



熱中症は血栓ができると聞き、来年は冷房を完備しようと思っている。



さて、3回目の訪島、今回は奄美大島の子供達のサーフィン大会を手伝いに行った。



2チームに分かれ、チームの合計点で勝敗を決めるイベント。



高学年のお兄さんは、低学年の面倒を見ないと点数が伸びない仕組みで、みんながみんなを助け合わないと点数が伸びない。




この仕組みは見ていて心が暖まる、実に気持ちいいものだった。



他には、生き物探しや環境問題クイズもあり、サーフィンだけではなく、この豊かな自然を守る大切さを教えたイベントとなった ( CAN NEN S URF 主催  )



大会なのだが本当の意味での勝者はいなく、みんなが主役。





あっ🎶 それとなんとも嬉しい話を奄美大島に住む両親から聞いた。



それは冬に奄美大島で行ったマイクロプラスチックの講演を聞いた一人の中学生が学校の課題論文でそれを書いたら、なんと最優秀賞を学校から頂いたのである。



それほど奄美大島ではこの漂着ゴミが問題となっており、大人達も共感したと言える。



次は鎌倉の腰越小学校で、サーフィンをしている先生が鎌倉教育委員会を説得して、午後の2つの授業に自分の講演が組み込まれることになった。




3回目の奄美訪島では波があまりなかったので、自由時間に友人のカメラマンのヨットに乗ることになった。



ヨットの基本動作を教えてもらい、とても新鮮な体験だった。






こうして少しづつ、水たまりに石を投げ、波紋していくように、人々の意識を高めていく役割を我々はしている。



なぜなら、自然あっての人間だから、人間あっての自然じゃないよ




おわり





パタゴニアサーフ会議 in 奄美大島 2

 

 

奄美大島を覆っている強烈な積乱雲によりほとんどの飛行機が飛ばなく、鹿児島港から急遽フェリーで行くことになった。

 

フェリーは超大型で船酔いの心配はなく、とても快適だった。

 

早朝から移動していた為、夕飯を早めに済ませた僕は21時頃には二段ベッドの下で寝ようとしていたが、船内はガンガン冷房がきいていた為、誰も寝ていない上段のベッドの布団も借り、布団2枚でちょうどいいぐらいの寒さだった。

 

あとからわかったのだが、海の上は湿気が凄すぎて冷房を入れることにより、湿気をとっているのだ。

 

早朝の5時に奄美の名瀬港に到着。

 

日の出が千葉より幾分遅く、まだ暗い空に雨が打ち付けていた。

 

到着が遅れたことにより半日スケジュールが押し、朝食の後、さっそくミーティングに入った。

 

じつは奄美大島は開発の大波が押し寄せている。

 

以前は、だいたい15年ぐらい前は飛行機会社の乗り入れが少なく、JALのみで、近くて遠い島だったが、ここ10年で変わり、いろんな航空会社が入ったことで、格安でチケットが取れ、近くて行きやすい島に変わった。

 

そして、自然を守る為に世界遺産に登録したのだが、それが逆効果になった面もある。

 

世界遺産に格安チケットで、人々の往来が盛んになってきたのである。

 

サーフポイントの前は大手の企業が買い占め、ホテル建設のラッシュが始まろうとしている。

 

正直、この流れは止められない。

 

自然の脅威を甘く見て、波打ち際ギリギリにホテルを建て、やがて高潮や津波で被害が発生して、護岸工事という展開にならなければいいのだが、。

 

そうゆうことを言うとサーファーは波だけを心配しているのか?!と思われがちだが、ぜんぜん違う。

 

日本だけに住んでいると気づかないかもしれないが、日本は世界でも類のないコンクリート海岸国家である。

 

例えば欧米なのでは危ないところに住んだ人が悪いという風潮だが、日本は人命にかかわる!じゃあ堤防を作ろう、テトラを入れようとなり、多額の税金を投入するシステムがあり、既得権益を動かせない。

 

必要のない公共事業を本当に必要な公共事業のみに限定し、危ないところから離れて住む努力が必要。

 

コンクリートのない海が世界では普通なのだが、日本ではコンクリートのある海が普通になっている。

 

それと海岸をいじったり、海の近くでよく考えないで開発が進むと、海が死んでいくのを毎日そこにいる人達は知っているのだ。

 

今、奄美で問題になっているのは、開発により赤土や農薬が海に流入しやすくなり、リアス式の湾の奥で留まり続け、やがて腐って硫化水素が多量に生まれる事態に陥っている。

 

そうするとアマモが死に、魚がいなくなり、ゴーストシーに変貌し、なんとも言えない硫黄の異臭が漂う海になっている。

 

 

 

 

 

じつは沖縄で同じことが過去に発生していて、沖縄では赤土の流入を阻止する条例が出来た。

 

その条例が出来る過程では様々な人達が勇気を出して声を上げ、何度も何年もかけて話し合いや検証を行い出来た条例だ。

 

奄美大島には今現在その条例はないが、この事態をたくさんの人達が気づくことが最初の一歩で、そこから行政を巻き込み、正しい選択が迫ってくるのは時間の問題と言える。

 

今、奄美大島は変わろうとしている。

 

昔のハワイみたいに開発の大波が押し寄せてきている。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

パタゴニアサーフ会議 in 奄美大島

 

 

桜島

 

 

 

早朝に羽田空港から飛び立った飛行機は無地に鹿児島空港に到着。

 

 

ただここからが遠かった。

 

 

南西諸島は梅雨末期の為、凄まじい水蒸気が奄美大島に集まっていた。

 

 

温暖化により近年よく見られる例の線状降水帯が奄美大島の南側にあり、ゆっくりと北上していて奄美空港に近ずいていた。

 

 

前日に夕方のトップニュースになるほどで、僕は飛行機は飛ばないんじゃないか?と脳裏によぎっていた。

 

 

そして、奄美大島行きのフライトは視界不良の為、欠航とアナウンスされ夕方の便に託したが雨雲レーダーや衛星写真を見るとどうやら夕方も怪しい。

 

 

奄美大島の西側から次々と雲が湧き出ており、島は発達した積乱雲に覆われぱっなしだ。

 

 

お昼を過ぎ、出発2時間前にやはり欠航のアナウンス。

 

 

今回はスタッフとアンバサダー合わせて9名ぐらいで行動していた為、手分けして他の航空会社の様子をみんなが調べはじめた。

 

 

するとJALは飛ぶと言う情報をつかみ、空港のカウンターとネット、両方で皆が座席の確保に動いた。

 

 

七転八倒の末、どうやら4席ほどの席を確保。

 

 

僕はロングボード2本を飛行機組に預け、残りのメンバーと共にフェリーで向かうことになった。

 

 

じつは僕は内心喜んでいた。

 

 

理由は6歳の頃、カリフォルニアから鹿児島に引っ越し、鹿児島幼稚園に通っていた経緯があって、フェリーから鹿児島市内を眺めながら行きたかったからだ。

 

 

鹿児島幼稚園

 

 

鹿児島市内の小高い山肌に10ヶ月ほど住んでいて、鹿児島湾と桜島を毎日見ていた。

 

 

空港からようやくタクシーをつかまえ、鹿児島港までおよそ40キロ。

 

 

しかし、タクシー運転手に聞くと出港時間までギリギリだと言う。

 

 

この時点で鹿児島市内に一泊もあり得るなと思った。

 

 

僕はますます喜んでいた。

 

 

間に合わなかったら、鹿児島市内の居酒屋にでも行こうと考えていた。

 

 

タクシー運転手は70歳ほどで、もはやアイルトンセナ状態で飛ばしはじめ、助手席に座っていた僕は恐怖で緊張していた。

 

 

そしてまたもやハプニング発生、JALはプロペラ機の為、機内のコンテナは狭くロングボードは載らないとの連絡が入った。

 

 

これは自分だけ空港に引き返すと思ったが、アンバサダーの一人が起点を利かしてくれて、明日でもいいので別便で届けてくれと頼み込み、事は終えた。

 

 

大雨はジェット機よりプロペラ機の方が安全らしく、一度はチェックインを通ったものの、カウンターの係の人も人々が殺到した為、コンテナが狭いことを忘れてしまったのである。

 

 

タクシー運転手はレーサー続け、そこに車内のビーズの香水がやけに匂い、恐怖と異臭の中、運転手さんを信じるのみだった。

 

 

フェリーのチケット販売終了まであと5分と言うところでようやくギリギリの滑り込みセーフ。

 

 

船内に乗り込み、チケット番号を見た瞬間にすべてのハプニングが飛ぶほど僕は体が震撼した。

 

 

 

あーまた始まった!!!!!!

 

 

じつは今回の会議、サーフミーティングで環境とビジネス展開、両方を話し合う会議だった。

 

 

僕が今現在、一番興味があるのは震災以降どうやったら原発なしでも電力をやっていけるのか?と言うことで、今年は飯田 哲也氏とパタゴニアストアで一緒に対談形式でイベントをやりたいと考えているのを環境部に相談することが僕の今回の最大のミッションだったからだ。

 

 

じつは、原発なしでも電力は充分足りている。

 

 

実際に震災後、原発は全て停止した。

 

 

これは古い火力発電を緊急発動したからだ。

 

 

あれから12年が過ぎ、日本各地で再エネが格段に普及し電力は足りている。

 

 

ただ、再エネは不安定な為、送電網の周波数が狂い、ブラックアウト(大停電)のおそれがある。

 

 

ようは例えば、川みたいにある一定量が規則正しく流れないと洪水が起こることに似ている。

 

 

あちこちに大型のダムや小型のダムがあり、それを河川に流す際、調整が必要ということに似ている。

 

 

それに加え、電力の新規参入が増えれば既存の電力会社の儲けが減り、不良債権と言っていい原発の維持や廃炉コストがやっかいになる。

 

 

そこに温暖化が加わり、ベースロード電源になる火力発電の依存を下げないといけないので、原発再稼働と言うシナリオが電力会社にとって都合が良いということになる。

 

 

そして、ウクライナ戦争が始まり、燃料費のコストが上がり、ほら!原発は必要と世論操作を仕掛けたように思える。

 

 

まとめると、電力は足りている。

 

 

送電網のやり方が古いと言うことになる。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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