B級パラダイス

B級パラダイス

健康優良不良中年が、映画、音楽、読書他好きなことを気まぐれに狭く深くいい加減に語り倒すブログであります。

ゴールデンウィーク初っ端にアップしようと思って、暇な仕事の合間に書いていた久々の映画レビュー記事が跡形もなく消えていて、すっかりいじけていた昨日ですが、今日はこれ!


THE YELLOW MONKEYのライブに参戦なのだ!

思えばチケットがゲットできていたのにコロナで中止になった2020年の春のリベンジだな(笑)


またいつものようにかみさんと娘2人で参戦、これまた久々に仕事以外で東京に向かっております!


楽しんで来ますぞ〜!!😆



地獄巡りが終っての3月4日。イベント仕事も終えてそのまま宿泊、東京出社した月曜、別チームへの引継ぎとオンラインの打ち合わせを済ませた夕刻、この地獄を苦楽を共にしてきた後輩に「これで自由になったな。さて、次は何を狙って動こうか」なんて話しかけたら
「ジャンゴさん、ちょっとお時間もらえますか?」と言われて入った会議室で、なんとまあ4月いっぱいで退職が決定したとの報告が。
今回の地獄が引き金になっていないと言えば嘘になるが、その前から考えていたとのこと。ずっと言い出せずにいて、終わったこのタイミングになってしまい申し訳ありませんと謝る彼。
思わず口に出た言葉は「寂しいなあ」だった。
この地獄の前のもう一つの年末前の地獄も含め、この一年、一緒に泥まみれになりながら仕事をして、何より家族よりも会話した“相棒”が去ってしまうのは寂しいことこの上なかったのだ。
若い後輩が退職という選択肢をとることを思いとどめさせることができなかったこと、すなわち仕事の面白さ・達成感を味合せてあげることが出来なかった悔しさもあったが

地獄の進行の間、一緒に動いていた俺にはとても言えなかったと言う、あいつの想いもわかるんだ。

「ジャンゴさんが一緒にやってくれなかったら、とっくの昔に俺はつぶれてました」などと殊勝なことを言ってくれたが、

まだ若く、真面目な彼が次の仕事で次の職場で楽しく仕事することを願ってやまないのである。

そんなこんなで先月は業務の報告書の作成を済ませ、先方には話は通っていたとはいえ、関係各所に別チームでの引継ぎを明らかにする前に資料を整えながら、すでに動き出している4~6月の業務の下準備を彼と共に進めながらも、イベント主体の自分の業務は徐々に減っていき、その他の引継ぎも思いの外スムーズで、3月の最後にちょっとイベントの準備フォローで22時から23時半まで立ち会い、そのまま泊まって土曜帰宅したのを最後に、来週くらいまでは関わると思っていた業務も、先週には完全に離れることが出来たのだった。
既に次の仕事の関与依頼がいくつか入っているもののまだ始動せず、先週あたりはかなり暇になってしまっていたりするのである(笑)

そんな暇な仕事に加えて、御袋は結局予想通り介護1の認定が降り、なんだかますますボケてイライラは募るばかり(苦笑)

ケアマネも交えて相談し、お試し利用していたデイケアサービスを本格的に受けることになり、その見送りも兼ねて3月後半からは水曜は在宅勤務に、先週からそれに土曜も加えての利用となって、多少は安心できる態勢になったのも変化と言えば変化。

それも含めて、会社とはまた1年延長契約も結んで、新たな年度のスタートをのんびり迎えたのであった。


そんな先週末金曜、会社を早退した下の娘が金髪になって帰省(知らされてなかったのは俺だけでびっくりしたわ 笑)。ジャッキー・チェンと同じ7日が誕生日のかみさんを祝うべくの帰省だったが、上の娘と企画して彼女の同級生がやっている洋菓子店に特注のケーキを注文しており「おと-さんも一口乗って、ついでに取りに行くとき秘密で車を出してほしい」なんて要請が(笑)。上の娘が仕事でいない中、1台しかない車で土曜の昼間に二人で出かけたら秘密もくそもなかろうが、まあ言う通りに車を出し、そして一口どころか何故か全額俺が払って、一日早いかみさんの誕生日を祝った土曜であった。



そうそう、ケーキを取りに行く前は、かみさんが御袋の台所や冷蔵庫を整理・掃除している間に、前週に飾った娘たちの雛飾り(うちの地方は一月遅れ)を下の娘と共に片づけたりしたりと、仕事は暇だけど家の仕事はしっかりこなしたのだった(笑)。

そして天気の良かった昨日は、これまた下の娘の思い付きで午前中から大井川の近所の桜を見に娘二人とかみさんと俺で4人で散歩。
一気に満開となった桜並木を歩くのは本当に気持ちが良かったな。


思えば昨年2023年は郡山の最後の勤務と引越しで3月の終わりと4月の頭はつぶれて、戻ってきた4月の1週目にはこちらの桜はもう終わっていたし、その前の2022年と2021年は静岡に戻っていたが年度末&年度初めの仕事でなんだかバタバタ動いていたので桜を見ることもなかったし、2020年は最初の出向の終わりで昨年と同じく引越しだったから、のんびり桜を見て歩いたのはコロナ前の2019年の郡山での春以来だったんだなあ。あの時は一人だったけど、娘やかみさんと一緒に歩くなんて15年ぶりくらいなんじゃないかな。

昨日笑顔で名古屋に戻った娘を見送りながら、既に親父もいなくなった我が家でこうして皆で桜を眺めながら歩くことなんてあと何回あるだろうなんてしみじみ。
仕事が楽になった今年、意識してそんな時間を作っていかないといかんよなあ、などと柄にもなく考える春の午後でありました。
 

新年のあいさつさえアップしないままで、いやはやほんとに申し訳ない(汗)。

前の記事で記していた地獄巡りはさらに深くなって

年明けから静岡出社の場合も帰宅は23時超え、下手をすると日付が変わるわ、

毎週あった東京出張のチェックインさえ日付が変わることもあって

そこからホテルで深夜まで作業など・・・阿鼻叫喚の日々を新年以降も続けておりました。

 

嘱託社員で給与も減り、残業もボーナスもないままでのこの勤務。

いや別に金は要らないから時間だけはくれ!早く帰宅させてくれ〜!もかなわぬまま

クライアントである某代理店の1時間だけというオンラインミーティングが3時間4時間になることもほぼ毎回。

毎週の定例ミーティングのための資料の作成チェックのミーティングなどわけわからぬ注文が重なり

火曜以外は毎日のように長時間ミーティングで拘束され

こちらが作業をやったり協力会社に依頼する時間さえも削られ、協力会社ができない作業をこちらがやるという悪循環。

 

こちらにオーダーを出す・・・というより丸投げの先方担当のやり方にさすがに腹に据えかね

こちらの仕事のやり方にまで言及されて、温厚なジャンゴの声が尖ることも数回。

「もうこれ終ったら絶対やらねえ!」の決意を秘めたまま耐え忍びつつも

会社の上の方に「話が違いすぎる!」と文句も直訴。

 

そうしたらどうも双方の会社の上同士が動いたみたいで、その担当ずいぶん言われたのでしょう。

この金曜の本番1週間前に急に無茶ぶりが減って(遅えーよ!)詫びの電話も入ったけど

「いえいえ私の経験・能力が至らぬばかりに申し訳なかったですぅ~」と半分嫌味で返してやりましたとさ(笑)。

 

この仕事の地獄に加え、家では御袋の認知機能も落ちていて

あれができなくなった、これも忘れていてこんな具合で・・・と

疲れ果てた帰宅時に聞かされるのもこれまたキツくて。

仕事の合間に相談員に電話して代理で市役所に介護認定の申請を出してもらい

少し前に市役所の係の方が調査に来て、同時に相談員にも来てもらい、デイケアサービスのお試しを依頼と

こちらの方もため息つきながらの段取り組んで、仕事でも家でも全く心が休まらぬ日々でありました。

 

そんな中、先週金曜、無事本番を迎え天気も回復する中何とか終えて、

昨日、今日は関連イベントの立ち合いをのんびりやっているという具合。

とは言え28日から入った現場ではホテルに戻るのも22時、23時、本番当日は朝5時現場集合と当日まではハードで、

3日間だけで50キロ以上歩き回っていた計算でしたが、それでも大きなミスは無くやり切れて一安心なのです。

 

昨日と今日はもう一人の一緒に地獄を巡った若い同僚は休ませ

担当は自分だけ、あとは協力会社とうまくやりながらマイペースでイベント仕事をこなしている次第。

こんな風に記事更新ができる気持ちの余裕があるのが何よりの証拠なのであります(笑)

 

5連泊となりましたが同じ宿で連泊の部屋が取れず、本番までの3日間と昨日と今日は別のホテルになったけど

近隣の店にふらりと入って飯を食べ、夜はタバコ吸いながらのんびりテレビを見て爆睡できる余裕があるという

(糖質制限で酒だけは本番終了の1日だけビール飲んだ以外は我慢)

「以前の出張はこうだったよなあ」というホテルライフを

数か月ぶりにここ3日はできている幸せを噛みしめております(笑)。

 

実は今日の終了後の撤去が深夜になる予定で今日も泊まりにしていたのだけど

段取りが変わっておそらく夕方には終了。

無理すれば静岡に戻れなくもないけど、もう少し一人だけの気ままな時間を満喫し

明日は東京支店に寄ってゆっくり帰宅しようという予定なのです。

 

さてさてあと1時間と少し。働き者のスタッフたちに感謝しながら撤去の段取りをつけますかね。

 

春はもうすぐそこにあるといいなあ。

 

いやあ・・・9月に予兆はあったものの、10月から以前と変わらぬ激務が続く地獄めぐりをしており、更新大幅にずれてしまいました(汗)。

 

あんなに早く帰宅していたのは今は昔。このところ少し落ち着いたとはいえ、10月から連日22時以降の帰宅が続いておりまして。

以前は静岡で遅くなっても支店の鍵を持っていないので無理やり帰っていたのですが、あまりに続いて、家で仕事するのも辛く、もうこれは堪らぬと鍵を支給してもらったら最後、静岡に出社した日はもれなく最終退出者になること約15日(笑)。

 

あとの半分は東京出張、これまた連日往復がつらくて10月後半からは宿泊を入れたけど、そこから12月1週目までは毎週泊りが続いてしまい、そこに11月下旬と12月初旬のイベント仕事も重なって何が何やら(笑)

 

11月下旬のイベントは埼玉が現場で、前日金曜に一つ目の会場設営立合い、夕方に一休みして22時から0時過ぎまで2番目の会場設営立ち合い、ホテルに戻って寝て、翌朝5時からは3番目の会場設営からそのまま運営に突入し、夜の撤去まであちこちの現場を動き回った結果、1日で27キロ歩いていたという、健康的なんだかわからぬ動きで、その週は合計60キロ以上歩いていた計算だったりしてまして(苦笑)。

 

翌々週のイベントは現場が福島。この週は月曜に東京泊出張、火曜に帰宅の予定が水曜にも東京での現場調査が急遽入り、慌ててホテルをもう1泊予約、パンツや靴下買い込んで火曜も泊まって水曜に帰宅、木曜は静岡出社ながら前述の通り最終退出者で、金曜は5時間かけて福島の現場に行き準備に合流、翌日のイベント運営を夕方までこなして、さすがに撤収は最後まで付き合わず18時に現場駅を離れて何とか11時過ぎには自宅に到着と、これまた何が何やらの怒涛の1週間だったりしたのでした

 

何よりホテルでのんびりがほぼ無く、もれなく喫煙部屋を抑えられたとはいえ、チェックインが大体22時前後、部屋で仕事して2時くらいなんてのばっかりで、一人の時間満喫だあ!っていう出張は皆無で楽しくないのなんの(笑)。

 

自宅で過ごす土日も大体仕事持ち帰りか、親父の一周忌の準備と実施やらで忙しいばかりで。

まあ何とか『ゴジラー1.0』だけはめちゃくちゃになる前にと公開の週にやりくりして観たのだけが救い。『シン・ゴジラ』を超えるのは大変だろうな・・・の予測を軽く覆し、人間ドラマにフォーカスしつつも、燃えて泣ける最高のゴジラ映画になっていて、いくつかのツッコミどころも気にならない至福の時間を過ごさせていただいたのは感謝感謝だったなあ。

 

と、まあ疾風怒濤阿鼻叫喚の日々も、ここ1週間はようやく少し落ち着いてきて、この分ならゆっくりの年末を過ごせそうで、この土日も本当に久しぶりに持ち帰り仕事もなくて喜んでいたのに、好事魔多しで。

予想通りアルツハイマー初期の診断が下った御袋が大ボケかますだけでなく、一昨日家の中で滑って尻もちをついて腰が痛いというので、昨日はかみさんと娘も一緒に救急に連れていくことに。レントゲンを撮って、大きな骨折は見当たらないけど、念のための精密検査も・・・と勧められた結果は幸いなれど、、せっかくのイブの半日を、延々と病院で過ごす羽目になってもう悔しいったらありゃしない。故に疲れ果てて観たM-1は最高に面白かったのもこれまた救いだったのでした(笑)。

 

こんな動きで体重は本当に久々の70kgを切り、糖尿の数値も低め安定、白内障手術後の新調した眼鏡も良い具合ながら、そんなわけで秋の更新をせぬまま年末を迎えてしまったことをお詫びするとともに、あと数分の聖なる夜を毎度のこれを掲げて、皆様の健やかで穏やかな日々をお祈りいたします・・・。

 

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おおお、いかん!せめて月に一度は・・・の更新のつもりが、9月はやらずに終わってしまいました(汗)。

いやしかし、ほんとに暑い9月で何だかぐったりではありましたが、仕事は徐々に忙しくなり、東京や埼玉、仙台、福島に毎週のように出張に行ってましたな。

仙台での用事を済ませて翌日のために大宮に宿泊と久々の宿泊もあったりして。ただ急に決まったため禁煙ホテルしかなくて四苦八苦したけどね(笑)

福島では以前は車で行っていたところに初の常磐線で行ったはいいけど、帰りの電車が無くて何にもない小さな駅で1時間20分待つ羽目になったりと色々あったけど、関与業務が徐々に増えてきて今後は油断ならないかなってところです(笑)

 

あとは骨折の完治が3週間と思いの外早かった御袋を、やっと専門の「物忘れ外来」に連れていけたのはよかったかな。

10月には正式な診断が下るが初期のアルツハイマーの見立て。まあ覚悟していた通りなので良しとしますか。


そして何よりメインイベントは先週月曜25日の白内障の手術だなあ。

休みを取って12時過ぎに医者に行き、検査と点眼麻酔で14時過ぎに手術室へ。

キャップを被り心電図もつけてと、まさに「手術」の様子になっていくのでドキドキでしたわ(笑)

想えば小学生の時に扁桃腺肥大の手術をしたきりで、体にメスを入れたこと無いし、今回も含め泊りの入院も未だにしたことがないという、ガタは来てても未だに丈夫な我が身体には感謝しかないなあ(笑)。

 

そんなこんなで右目の瞼を固定され、眩しい光を見ているうちに、切除、水晶体の中身の破壊と吸引、人口レンズの装着と20分足らずで簡単に手術終了でした。

もちろん何も痛みを感じることなく、恐れていた「メスが接近する様」は光の眩しさで全く分からず、唯一見続けていた光の周囲が赤くなった時があったので、その時にメスが入ったのかなあ?と思うくらいで。

術後は派手な大きさのガーゼを当てられ、眼鏡もまっすぐかけられないので、ちょうど休みを取ってくれていたかみさんと娘に付き添われての帰宅でありました。

 

翌日の朝の通院で早くもガーゼも取れて午前中の内に仕事に復帰。0.01以下の近視&乱視&老眼のうち、近視と乱視がかなり改善され、特に視力は0.1と左目に近いくらいに戻り、眼鏡で1.0と、もはや前の眼鏡は度数が強すぎてもう使えないけど、久々に見える右眼に戻ったのが嬉しくてたまらないのだ(笑)。

 

そして何より白内障による「くすみ」が取れたこと。これは今まで比べるものがなかったので全然意識していなかったのだがちょっと感動的だったのだ。

まだ左眼は軽度の白内障のままなんだが、そちらと比べるとなんとくっきりと色が見えること。

空の青さが特筆もので、これまでも「いい青空だなあ」と思っていた青空がこんなにも鮮やかだったとは!

紙の白さも左目と比べて眩しいくらいに全然発色が違うし、こんなに良く見えるのならもっと早く決断すれば良かったなあと思えて、思わず「左目もすぐできますか?」と医者に聞いたらやはり1か月は様子を見ないといけないそうだ(笑)。

 

とは言え洗顔と洗髪は1週間禁止(&貸与してもらっている保護眼鏡を風呂にもつけたまま)、夜はプラスチック製の眼帯を顔にテープで張り付けてと、一日4回の点眼もあり、煩わしさはあるものの順調で何よりなのであります。

加えて昨日行ってきた糖尿病の検診も、薬に頼らないまま体重も含め色んな数値がこのところ勢いは鈍いとはいえ低下し続けているため、医者から褒められたのでこちらもまずは良しと。

 

まあ10月に入り今週は涼しくなるようだが、資本である身体が良くなるのはやはり嬉しいものだ。

もう若くはないしこうして「手が入った」とはいえ、無茶せず労わりながらも、思い通り使いこなせる日々が一日でも長くありますようにと祈るばかり。

先日のアメトーーークの「BISHロス芸人」を笑いながらもしんみり観たり、新しく始まっている「ウルトラマン・ブレーザー」の近年にない設定、ドラマの面白さに悶絶したり、BS松竹東急で「助け人走る!」が始まって狂喜乱舞したり、Netflixの「実写版ONEPIECE」の思いの外の出来の良さに安心したりと楽しんではいるけど、映画館にもしばらく行っていないので、色んなことを落ち着かせて今月も楽しみながら、少しずつアウトプットできればなあと思うのであります(笑)

 

 

あああ、夏休みの宿題の最後の追い込みのように、また最終日更新で申し訳ありませぬ(汗)

クソ暑い毎日が続いてますね。おまけに中旬には台風もあり大変でしたが、こちらは何事もなく、皆様が無事であればと思っております。

こちら、久々のプレゼンを9月に控え少しだけ業務が増えてきました。
でも以前と比べれば屁みたいなもので(笑)。
それより、初盆を迎えての色々な対応や、それに付随する御袋のことなど毎日帰宅する足が重くなることは多くて。
御袋はエアコンつけても扇風機の方がいいと消しちゃうのが多く、盆過ぎに来客対応しようと急いで玄関に出ようとして扇風機のコードにつまずいて転倒し、あっさり左手の薬指を骨折してしまいまして。
指輪を取らないとレントゲンが取れないっていうんで消防署まで行ってカットしてもらったりと2週間前はほんと大騒ぎでしたな(苦笑)。

俺自身も糖尿病との連携のつもりで行った眼科での検査で、右目の視力がさらに落ちていたこともあり、白内障の手術を9月25日に決めたりと
良いことは少なかったけど、それなりに楽しさを見つけていた気がします。
そんなこの夏の思い出を一つ上げるとすれば、お盆前のこの一件かなあ。

前述のプレゼン絡みで、さる公営ギャンブル場に下見に行ったのですが
そこで後輩二人と試しにやってみようぜと
よく買っているという別の営業からメールでアドバイスをもらいながら
まあ素人ゆえに100円または200円で合計1000円分を、ちまちまと3連単で買うこと2回。
一番人気が早くも失速などで簡単に3人とも雁首揃えてスってしま
これで最後にしようぜと買った最後の1000円分。

もう何のアドバイスも受けず、資料も観ないで数字だけを並べた3連単の最後の一つ
3-4-6が大当たり。なんと100円が18000円になったのですわ(笑)

まあ3000円は使ったので純利益で15000円。
最後もスッた後輩二人と今後のプレゼン打ち合わせにと、帰りに入った喫茶店で好きなもの頼ませてもう3000円分くらい使ったけど
それでも12000円が懐に入ることになったのでした。

もっとも、交通費を使ったからお金を補充しておこうと俺の財布を見たかみさんに
全然減ってないお金と外れ舟券をあっさり見つけられてしまったのは誤算で(笑)
ここは正直にゲロって(笑)「これは好きなもの買う資金にさせてくれ」と懇願し「公認のへそくり」と相成ったのでした(笑)。

「ジャンゴさん、ほんと持ってますね!」なんて後輩たちに言われたけど
これで運を使い果たしてプレゼンに負けたら嫌だなあ(笑)

これ以外はこの間の土曜は上の娘の誕生日&薬を取りに行くこともあり
仕事以外で久々静岡まで出向き、娘の欲しがっていたものの購入ついでに
自分も久々中古DVDをチェックして未だ観ていない『デビルズ・バックボーン」と『ギフト』などをゲットしたのも嬉しかったな。

そんなわけで今月も終わろうとしていますが
9月はもう少し書きたいことをその日に書くようにしようかと思ったりなんかしております(笑)。

あああ、もう1か月が過ぎている。

7月も終わってしまうのだなあ。

って毎回こんなこと書いているな(苦笑)

 

聴くたびに「もういないんだ・・・」とため息ついてを繰り返し

思っていたよりBiSHロスが酷かったんだと自覚した前半から

暑さもあって何だか薄らぼんやり過ごしてしまったひと月だったな

 

そんな哀しみに彩られながら

帰宅すると、とんちんかんなことがいちいち発覚する御袋のことは

「もう何を伝えても半分以上覚えていないもの」という事務的頭に切り替え

自分が腹が立たないよう、コントロールしながら

こちらで連絡・手配して初盆の法事のあった22日を何とかこなしたのだった。

こちとら昨年秋から色々決めて手配して実行することばかりだったので

今だに親父のことで涙ぐむ御袋がある意味うらやましいぞとか思ったりして。

 

そんな家にいると精神衛生上良くないなあと

合間の休日には「インディジョーンズと運命のダイヤル」をかみさんと観たり

(スターウォーズもロッキーもランボーも「あの頃」慣れ親しんだキャラクターが演者と共に年を経て「最期を演じる」ことには毎度ぐっとしますな)

そして昨日も、期せずして「運命」つながりになってしまったが

お気に入りの清野菜名(&橋本環奈&長澤まさみって女優ばっかだ(笑))見たさに

「キングダムⅢ 運命の炎」を一人でいそいそと観に行ったりもしたのだった。

映画料金も上がった今、シニア料金1300円で観れるのは何よりなのである(笑)。

 

 

映画と言えば7月前半に、いつになくブログアクセス数が増えていた日があり、てっきり前のBiSHの記事かと思って調べたら、なんとBS松竹で「ブルースリー/死亡の塔」が放映されたことで、俺の過去記事がやたらアクセスされていたのだった(笑)。

以前、検索すると上位に出ていた「片腕カンフーVS空飛ぶギロチン」はいつの間にか検索順位が下がっていたが、我がブログ史上1,2を争うこのくだらない映画のしょーもない記事が、よもやこんなにアクセスされるとはなあ(笑)。

因みに何故かこれも検索上位にあるせいか、マカロニウエスタンの「風来坊/花と夕日とライフルと」がいつもアクセスが一定数あるのも恥ずかしいったらありゃしないのである(笑)。

 

まあそんなこんなの暑い暑い毎日に、ほぼ週に1回は出張はあったものの

仕事に関しては「いいんかいな?」と思うくらい以前と比べればめちゃくちゃ楽になって、毎日19時前後には会社を出ている毎日。

かみさんに言わせれば「やっと人並みだよ」とのことだが

最初は落ちつかなかった「お先に~」も慣れるものですな。

もっとも早く帰宅してもブログは書かずに、前にも書いた「みんはや」の映画クイズを作成するのが楽しみで、とうとう3000問以上作成・・・という毎日になっておりますが(笑)。

 

特筆すべきは5月に糖尿病診断が下って以来、食生活を気を付け、駅でも階段を上るなど意識的に体を動かしていたら、無理なダイエットや過酷な運動をしなくともまた3kg近く減ったので合計で2ヶ月で6kg近く体重が減ったこと。

どんだけ余分な肉があったのだ!ということに他ならないが(笑)

昨年きつかった夏ズボンが楽にはけるようになったのは何よりなのだ。

 

と、まあ予定していたプレゼンが不参加になり、勝ったら忙しくなるぞ・・・と身構えていた入札も見事に負けたので(苦笑)

こんな時間に文章をしたためるくらい、月末なのに暇な一日だったりします(笑)。

 

しかし暇すぎるのも苦痛なので、また仕事を探して狩って育ててということもしてますが、たまにはこんなのが続いてもいいかなあと。

でも忙しくなったら、もう対応できない体になっているんじゃないかと不安でもあります

 

殺人的な暑さはまだまだ続きますがどうか皆様もお元気にお過ごしを・・・

という近況報告と暑中見舞いでありました(笑)。

ああ、今日で終わりなんだな。

 

・・・BiSH、解散。

ブログおさぼりの間に色々あったが父親のことと再出向を除いたら大きいのはこれだったな。

 

想えば2019年の秋、前回の郡山出向中の木曜日の一人の夜。

いつものように観ていたアメトーークで放送されていたのが「BiSH大好き芸人」だった。

千鳥のノブ他が熱を込めて話すのを観ながら、各メンバーのエキセントリックな名前も含め

「何か変な地下アイドルがいるもんだなあ」などと思ったものだった。

 

しかし端々で流れた曲に加え、最後に登場した本人たちのライブ「BiSHー星の瞬く夜に」の

「行かなくちゃ 化け物だって気にすんな」

「言わないで 化け物だって気にすんだ」

という歌詞の一節が妙に引っ掛かり、終了後You Tubeを見まくったのが最初だった。

 

とにかく曲の数々のカッコよさにまずやられたのだ。

意味不明の歌詞も多いけどハッとする切ないフレーズに撃ち抜かれ

ユニゾンがほぼ無く、歌割りで展開されるどの曲も

アイナ・ジ・エンドの歪んだ声とセントチヒロ・チッチ透明な声が心地良く

それ以外のメンバーの歌の不安定さはミュージックビデオでもわかるくらいだが

これがライブになると不安定さを凌駕する「凄味」になる妙に、

おっさんの心が音を立ててざわついたのだ(笑)。

 

どこぞの坂道みたいなアイドルと同列で呼ぶには顔面偏差値だって決して高くないし、

そもそも全然アイドルらしからぬ振る舞いも逆に魅力的で

翌日もその週末の土日も自分でも「どうしたんだ?」と思うくらい

聞きまくり観まくったものだった。

 

熱は冷めず、高まる一方。ついにCDはもちろんライブDVDまで購入してと

やめられないとまらないは、翌年2020年春の出向終了まで半年続いたのだった。

送別会では、俺の最後のあいさつの時に後輩が気を利かせて

「オーケストラ」と「プロミスザスター」をBGMにかけてくれたのも懐かし想い出だ。

 

コロナ下の2020年。自宅に戻って家族が揃い、DVDやYouTube視聴はガクっと減ったものの

還暦過ぎの親父の「実はアイドルにはまった」というカミングアウトも

「なーんだBiSHならいいわ」と苦笑しながら認めるかみさんと娘たち。

 

コロナ下の中でのベスト盤発売に3.5アルバムあたりはブログでも記したが

明けて2021年には夏に新譜「GOiNG TO DESTRUCTiON」を買って熱が再燃(笑)。

前年末の約1年ぶりの有人ライブを収録した「REBOOT BiSH」ではライブCD付Blu-rayを購入し、

デビュー以来の全曲を当時の衣装で歌った正月の配信の円盤化

「BiSH presents FROM DUSK TiLL DAWN」も年末に購入し、

深夜に酒飲みながら一人視聴したりしていたのだが、

その数日後12月24日によもやの解散発表。

 

重大発表があるってんで東京での仕事に行く新幹線の中で視聴した配信で

それをジャストで観てしまったショックたるや・・・。

最低のクリスマスイブだったことを思い出すぜ。

 

そう言えば大晦日の念願の紅白出場は「どうだBiSHは凄いだろう!」と

家族に自慢するつもりが、肩に力が入りすぎていて、圧巻とは程遠いパフォーマンスで

一人冷や汗かいていたのも懐かしいや。

 

そして昨年2022年は毎月のシングルリリースの中、俺は6月に再び単身赴任出向。

夏には郡山のラストライブを2つのライブハウスでやることを知って身悶えしながら、

開演前のライブハウスの列を観ながら出かけたこともついこの間のように思いだすなあ。

 

ピピっと来るいくつかのシングルもサブスク視聴で済ませていたけ

俺の出向のラストへのカウントダウンと重なった今年3月22日には

THE YELLOW MONKEY の吉井くんが作詞・作曲・プロデュースをした

ラストシングル「Bye Bye Show」が発表された。

一度は解散を決めた吉井君ならではの視点で、彼女たちのことや想いを

しっかりわかってくれている切ない歌詞に正直、部屋で泣きましたわ。

 

再度の出向解除、再びの実家暮らしになっても毎日のように頭の中でリフレインしているくらい大好きな一曲。今夜のドームでもきっと披露されるんだろうなあ。

 

 

解散までいよいよとなって、テレビへの露出が増えた彼女らの姿を

片っ端から録画して(CDTVでのあの桜吹雪の量には笑ったが)

編集しながらまた鼻の奥がつんとするここ数日。

 

ほんと、こんなことになるなら一度でもライブに行っておけばよかった。

いやなに、還暦過ぎたじじぃが一人で行くものでもないだろう・・・

なんて思っていたけど、ライブこそが彼女たちの魅力。

自分をごまかさずに仕事なんてうまく調整して

必死になってチケットを取ればよかったのになあ。

現に昨日も東京に仕事に行ってたんだからな・・・。

 

全国から彼女たちの最後の姿を見届けようとするTwitterの投稿を

仕事しながらも時々眺めてはため息ついている今日の俺。

 

一昨日届いた最後のベスト盤には

以前発売されたベスト盤の時に俺が「この曲も入れてくれ!」と書いた

シングルカットもされなかったアルバム曲やアルバム未収録曲が

いっぱい入っているまさにファンベスト。

このうち何曲が披露されるかわからないが、きっと素晴らしいライブになるんだろうな。

 

曲に惚れて、何物でもない女の子たちががむしゃらに、泥まみれいやさ糞まみれになっても

全力を尽くす姿に打たれたこの3年と8か月。

いい年こいて初めて「アイドル」というものにはまり、

メタルやロック以上に円盤購入にお金を費やしたけど一切後悔は無いなあ。

ほんと生で観ることなく終わらねばならぬのが唯一にし最大の後悔だ。

 

今日のラストライブ「実は解散しません!」とか「7月に再結成します!」とか言わないかなあ。日本中が呆れ返って怒っても俺は大歓迎するぞ(笑)。

 

さてさて・・・今夜も参戦した清掃員の皆さんのコメントを観ながら、

俺の変化に富んだ3年8か月を伴走してくれた彼女たちに心からの感謝を込めて、

一人想いを馳せようと思います。

 

本当にありがとう。素晴らしい彼女たちの素晴らしい最期に期待します。

さてさて近況最後は俺の検査結果のネタをば(笑)

実は2020年3月に人間ドッグを受けて以来、2年間健康診断をぶっちぎっていまして(笑)。
昨年、生命保険が満期を迎え継続するのに必要なところを、金額も下げたかったこともあり、健康診断書必要無しのネットの生命保険に切り替えてなんとかクリアしたりと、綱渡りだったのは事実。

元の会社からは健康診断未受診をとやかく言われなかったのでスルーしてしまったが、
昨年の2度目の出向先からはきちんと催促があり、会社に迷惑かけては申し訳ないと、今年こそは久々人間ドックを受診しようと考えていたのだ。ただ、仕事の忙しさと親父のこともあり、ついつい先延ばしにしてしまった為、予約がぎりぎりになってしまい、ようやく受診したのがこの3月。

本来年度内提出のその結果が届いたのが4月の引っ越し準備中。これが今まで見たこともないようなE判定他が目白押しでして…(汗)。

まあ以前からセーフゾーンながら高めだったコレストロールや中性脂肪、血糖値がそのラインナップだったのだが、気になったのはそれらに加えて今回は白血球の値も悪く、おまけにE判定ではないものの右目の視力低下も要検査となってしまっていたことだったのだ。

仕事でも不便を感じていたのがこの視力低下。元々の近眼に加え老眼も加わり、遠近両用の眼鏡をしてもう10年近く。しかし右目の視力低下がこのところ著しく、昨年だったか眼鏡のレンズを変え、限界まで上げてもらったのに右目はそれでもボケてる始末で。
PC仕事で画面が小さい時や校正チェックの時などは眼鏡をはずして裸眼で近づかないと見えず「PCとキスしているかと思った」と言われるくらいだったのだ。
特に右目は乱視も入っていて、もう右目をつぶって左目だけで見るのが癖になっているくらいで。
そこにきてのこの判定。これはいかんと4月にすぐに眼科に行って精密検査を受けた次第。
結果、視力低下はあるものの、初期の白内障を患っているという診断。秋まで様子を見てから手術を視野に…ということになってしまったのだ。
まあ水晶体を人工のものに変えるので、これで視力そのものも上げることができるらしいので、思い切って受けようと思っているのだが
麻酔をするとは言え、目を開けたままで眼球にメスが入るのを見ることになるのかと思うと、今からちょっと、いやかなりビビっているのであります(笑)

人間ドッグ結果を伝えた前の出向元からも「産業医が精密検査をと言っています」と出向が終わっても心配するメールが来ていた残りのものは
前回の記事の通り、御袋のかかりつけ医が専門医なので、御袋の診察ついでに俺も予約を取って行ってきたのど。

結果、親父が急性白血病で亡くなったこともあり、一番心配していた白血球の値は正常に戻っていて問題なしでほっとしたのだが…
血糖値は下がらず、見事に糖尿病の診断が下ってしまったのだ(涙)。

初期段階なのですぐにどうこうということもなく、今後悪い合併症にならないよう、コントロールするようにという指導を受けたくらいで、薬も出なかったのが救い。
食べるものも何を食べてはいけないという制限は特にないものの、その量とタイミングを気を付けること。間食をやめて、体を動かすなど適度な運動をしてと、まあ普通の方の生活にしていけば大丈夫ということで無理せず実践している状態。

でも、これまで病名らしい診断が下ったのは20年位前の「群発性頭痛」だけだった自分としては、まさかまさかの結果で、御袋の認知結果が悪くて、自分はセーフのつもりでいたのが逆となり、ちょっと落ち込んでしまったのである(苦笑)。

想えば出向の間にすっかり癖になってしまった「夕飯を食べた後に深夜につまみのスナック等を食べながら酒を飲む」というのが週に3,4日、暑いから、寒いからという理由をつけての飲酒のみなら、もうプラス1,2日という習慣に加え、ここ数年は運動らしい運動もしていなかったから、こうした悪い生活習慣が続いたのが最大の原因だろうなあ。
前回の出向から実家に戻った2年前も量こそ少し減ったとは言え習慣は変わらずだったし、この春までの10ヶ月では、止める人がいないこともあり、すっかり復活してのやり放題が続いていたわけなんで「なるべくしてなった」ということなんだけどね。

そんなこんなで、朝飯にしていたミニ菓子パンとアセロラやグレープフルーツのジュースをやめ、甘料のないコーヒーやトマトジュースに変えたり、昼飯を、ガッツリとんかつ!牛丼!などの大好きなメニューの外食を控えて、コンビニでサラダとおにぎりに春雨スープの組み合わせに変えたり、夕飯もご飯の量を少し減らし、まずはサラダをむしゃむしゃ食べてから…に変えるなどメニューと食べ方を見直し、当然お菓子類の間食、特に夜飯を食べた後の深夜の酒は控えての3週間。
よくしたもので段々胃袋も小さくなったのか、そんなに空腹感を覚えることもないのが助かっている。
幸い駅まで自転車通勤になったことに加え、階段を利用したり、買い物に行っても自分だけ歩いて帰ったり、久々の筋トレも復活させたりと体も意識的に動かしているのである。

買い物に行っても糖質、脂質の分量表示をつい見てしまうようになった俺を見て、かみさんも娘も「意識するのはいいけどそこまで気にしなくても大丈夫だから」と苦笑しながらも「糖質ゼロ」のお菓子などをわざわざ買ってきてくれたりと全面的に協力してくれているのもありがたいことで。

そんな甲斐もあり、3週間で体重は2kg落ちて、「あれ?ちょっとすっきりした?」といわれるくらい、メタボ判定目前だった腹も少しだけ引っ込んできているのである。

劇的な変化にはなっていないと思うけど、果たして今月の通院検査でどこまで数値が下がっているやら。
まあ、今後はもう少し歩く量や筋トレも増加させていく予定だが、こんな「最悪の結果」も、生活を見直しダイエットに踏み切るきっかけになったのだ、と良い方に捉え、一番恐れている「強制禁煙勧告」にならないことを祈りながら日々過ごしている状況なのであります(笑)。

とまあ「最悪の結果」などとさんざん煽ってご心配をかけてしまいましたが、ネタ的に1本かけるので温存してしまったことをお詫び申し上げます(笑)。
ジャンゴ、ピンピンしていますのでご安心を。
皆さんも若いからと無理せず、「悪さできるのも健康であるからこそ」を肝に銘じて(いや・・・(笑))生活してくださいね~。

先日の雨は酷かったですね。皆さん、大丈夫でしたか?

2日金曜は電車が止まるのでは?と判断して自主的に「もう帰るぜ!」と16時には会社を出て、既に遅れが出ていた電車に乗ったものの、
最寄り駅の手前で電車がストップ。降りる最寄り駅のさらに西のあたりでの雨が酷く(どうやら停電もあった模様)赤信号で出発できず、結局30分ほど止まって、ようやく動き出したものの、浜松行きだったのが私の最寄り駅止まりに変更に。これだけでもラッキーなのだが、その後の電車はなんと運休になり、まさにギリギリでありました。
我ながら悪運が強いものよなあと思った次第(笑)

悪運と言えば御袋がそんな感じで(笑)。
前の記事の通りどうにも「年齢による物忘れ」の域を越えてまして(苦笑)。鍋に火をつけたまま焦がすことももう数回。冷蔵庫もチェックせず同じものを買ったり、「私はしっかりやっている」と自負する仏壇周りのことも、お供えしてある果物等がいつまでも置いてあるので腐ったりと、まあ、笑い話で済むようなこともあまりに重なり悩ましいのなんの。

「忘れるんだったらメモしろよ」とメモ帳買ってきても書かないし、何より物忘れ以上に、未だに何かというと仏壇の前で涙ぐむのがたまらず、親父のことを想うのはもちろん否定しないが、いまだにそこから一歩も出ずに新しいことをしない(気力がわかない)のが、認知もさることながら鬱も発症しているのではと気が気じゃなくて

物忘れの開き直りにこちらもつい言葉を荒げてしまったりが4月に戻って以来何度もあったのですが、GWは「もうお父さんのとこに行きたい」などと口走ったので、こちらもカッとなってしまい、せっかく帰省した下の娘の前で御袋の胸倉を掴むなどの愚挙に出てしまって・・・。
泣きながら俺を止める娘に、かみさんや上の娘も駆けつけてと、自己嫌悪で夜眠れなくなったりと色々ありまして。
どうしたら良いのか、思いあぐねて地域の包括ケアセンターに電話で相談したところ、やはり一度きちんと医者に診せることをお勧めします・・・とのアドバイスを受けた次第。

しかしこれがまた母親がガンとして受け付けず、またひとバトル(苦笑)。どうも受診=施設に行かされると思い込んでいるようで。
認知症には怒ってはダメという知識も得たので、ぐっとこらえながら説得&お願い・・・というのが続いて、かみさんや娘たちから「おとーさんのストレスの方が心配」とまで言われたりして(苦笑)。

結局、脳外科ではないものの母親のかかりつけ医に相談して、診察をしていただける返事をもらい、自分の健康診断の結果が最悪だったこともあり(そちらは専門なので)「俺が精密検査をするから一緒に行こう」と誘って、ようやく連れて行けたのが5月の2週目の終わり。

しかし、あれだけバトルした「病院受診」が、かかりつけ医となったことで安心したのか、認知度のテストが30点満点中27点と予想外の高得点。このままでは介護認定は通りそうもないという、いいような悪いような結果となったのでした(苦笑)。

その予想外の結果を踏まえて、また包括ケアセンターに相談し、相談員が点数に現れない普段の状況も察してくれて、自宅に直接訪問してくれたのが3週目。自分も在宅勤務にして立ち会ったけど、多少のつじつまが合わない説明や時系列の混乱はあったものの、丁寧でしっかりした受け答えに終始し、身体的な衰えもなく、日常的なことできているということもあり、まずは様子見と、「予防のため」のリクレーション参加などのデイサービス利用を勧められるという、一番良い形でもあり、ある意味相談前と全く進展しないままの結果に落ち着いたのでした(苦笑)。

とにかく日がな一日ぼーっとしていた母親ですが、ここ数週間のこの動きと、俺の説得に「人と会って話す=刺激を受けること」の重要性に多少なりとも意識が向いたようで。もっとも、まだアクションは起こしてないけど(苦笑)。

まあ一進一退はあるだろうけど、今の生活をキープできること、その時間が長く続くことを目標に、俺の気持ちがささくれないよう、怒らず焦らず、のんびりサポートしていこうと思うのであります。(先日もまた同じものを買ってきたけどねえ・・・)

そんなこんなで昨日4日、俺もまた一つ年を重ね、そういう道に俺もまた着々と進んでいるんだろうなあ・・・とか考えながら、最悪だった検査結果を踏まえ、運まかせにはせず、ケーキも食べず、このところは健康的な食生活を送っているのでありました(笑)。