今も昔も変わらない | flom by DJ NIBE

flom by DJ NIBE

どうもDJ NIBEです。仙台在住。35歳にしてパチンコパチスロ業界へ飛び込んだ人間です。スロット、パチンコ、ダーツ、FFBE、麻雀、ラーメン、酒、DJ、色々やってます。

はい、DJ NIBEです。

 

近頃、外に出るというと(遊びで)月に一回東京に遊びに行くのが日々のモチベーションになっているのですが、ふと過去を振り返ると今と昔ぜんぜん変わってないな自分と思うんです。かれこれ15年以上前18歳の頃ですが、DJというものに憧れるきっかけになったm-floの若干追っかけ的な感じで月に2から3回は東京に行きクラブ(踊る方の)に通い、そこでメンバーの方に機材や曲を作るのにどういうものがいいか聞き購入。毎日のように練習&曲を作ったりしてました。その時は工場勤務で一日12時間労働でしたが月の半分は休みだったのと若かったこともあり仕事終わりに東京に行き朝までクラブにいて帰って遅番で12時間労働なんて荒業をよくやってたなと。今となっては体力的にというか保守的になりがちでできないこともないとは思うのですが、自制心が働いてそこまで無茶な行動はできなくなっちゃってるのが逆にダメなのかなと。その行動が5年ぐらいですかねその後、当時の会社の先輩とゲームセンターに行きダーツあるからやろうよと言われやったのがきっかけでダーツにハマります。しかも自分だけハマり当時ネットなんてそんなに普及していない時代でしたがどこかで仕入れた情報でダーツショップがあることを知り一人で突撃。そしてどんどんハマり仕事を辞めてプロになりそのダーツショップを経営している会社に転職。プロとして日本中飛び回って試合をして(海外にも何度か行きました、自慢!)仕事は入って早々、岩手にショップを出すので(地元は宮城、仙台の方がわかりやすいかな?)そっちの店長として抜擢され単身まったく知らない土地での生活の始まり。ダーツの知識はありましたが接客業をやったことがない自分にとってすごく不安で、自分がお客の時に嫌なだなと思ったことはやらない、他店舗に行っていいなと思ったことは取り入れる、ということをやるようになりました。次第に岩手でも知り合いが増え(元は100%お客様です)仕事、プライベートともに充実する生活を送れるようになりました。ここでパチスロというものにちゃんとというか楽しく打つようになっていたんです。一番でかいのはお客様でお店の目の前に「カネマン金ヶ崎店」というパチンコ屋さんがありまして、そこの従業員さんがいらしていたのもあり、他のお客様も周りが工業団地で遅番あけに来店していただき朝の9時までダーツをしその後に自分も含みみんなで打ちに行くという生活を約6年間してました。ちなみに当時の自分の勤務時間は遅番だと20時から3時(遅番)までと15時から3時(オーラス)まででしたが、遅番のお客様に朝まで開けててほしいという要望が多く勝手に朝までやってました。今となってはなんて無茶なことしてたんだろうと思いますが、当時はそれでも毎日充実してて何より楽しかったからできたんだと思います。ちなみに岩手に行ってから瞬く間に20kg増えました。はい、ほとんどコンビニか、イオンの安くなった弁当の生活をしていて自炊なんて一度もやってなかったからですが、、、、。なんだかんだあっという間の6年間でしたがそこから仙台の営業部門が人手が足りないということで仙台に戻り今度は営業の仕事に。こちらも右も左もわからない仕事。唯一救いだったのはお客様とほとんど顔見知りだったということ。ただその生活は2年ほどですかね、ダーツ業界もあまりよくない波が来ていてダーツ部門を他の会社に売るという話になっていました。どうするかと聞かれたときに自分は今の社長、役職、スタッフ(30名ぐらいの小さい会社だったので)がいないのなら辞めますと言って離れました。で、今現在です。なんか昔と変わってないなあとふと思ったんです。毎月東京に行ってるし、自分の 尊敬 憧れ 目標 になる方にお会いする生活を送ってます。このきっかけになったのが酒パワーさんのニコ生の放送だったんですが、どいう形でたどりついたかおぼえてないんですけど、それがきっかけでPS業界でやっていこうと思い今の職場で働くことに決めました。なんか自分はDJもそう、ダーツもそう、PSもそう、自分は誰かに憧れて生きていくのかな。やるからには常にトップを目指してやる意気込みです。やっぱり人って変わらない根本は変わらないものですね。