品川浦門訴事件 | 祝福しろ。結婚にはそれが必要だ

品川浦門訴事件

「品川浦門訴事件」「品川浦漁師女房の門訴事件」とも
この事件の概要を話します。wikiとかには載っていなかったので適当に調べてきました。

【参考歴史年表】
1853年…黒船来航
黒船来航を受けて、幕府は砲台を設置する台場を品川浦に建設
1868年…明治元年



【概要】
品川浦の漁民が、砲台の工事で好漁場をなくす。
なんとか、新しい漁場でやっていくために、ケタ網を改良し「エビケタ網」を考案。安定した漁獲を得る。
しかし、その影響で近隣では漁獲量が減たっため、「エビタケ網は違法だ」と代官所に訴える。これを受けて代官所は「エビタケ網」の使用を禁じる。
品川浦の漁民は再度窮地に。男たちは集まって、「直訴しよう」という結論になる。この時代、直訴は重い罪で訴えを聞き入れてもらえても直訴したものは殺されてしまった。
女房たちは「男たちが直訴しようとしている」という話を聞きつける。
女房たちは「男が死んだら、後の生活ができない。直訴などさせず、女だけで門訴しよう」という話になる。

元治元年(1864年)5月1日
女房子供ら総勢120-130名が奉行所の門前につき、土下座。
女たちがとった作戦は
・出来る限りのボロい服を着ていく
・子どもをつれていく
・門内に入らず訴状を役人に渡す

役人に訴状を渡そうと待ち構える。
そのうち、子供たちが泣き叫び、野次馬がぞろぞろと集まってくる。
奉行所はこの女たちに手を焼き、この事を品川の総代が聞きつけて漁師に同情し、結局は穏便に解決することとなり、「エビタケ網」を使って良い事になりました。


【参照資料】
【参照資料】
「水産談義古今東西-幕末江戸品川浦漁師女房の門訴事件」馬場幸男(水産庁 増殖推進部 漁場資源課)
wikiの「黒船来航」
wikiの「お台場」
wikiの「明治」