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アール・ヌーヴォーのガラス展

ポスター


名古屋の松坂屋でやってました。
そんなわけで、友人に誘われて、何故か無料券を5枚手に入れたので…
2015/10/17(日)
友だち男女5人で行ってきました。

【アール・ヌーヴォーとは?】
19世紀末~20世紀に起こった芸術運動。
目的は、建築物や実用品に、芸術性を持たせる。
特徴は、建築物やガラスや鉄に、花や虫などの生物の曲線を表現しています。
代表的な芸術家は、サクラダファミリアのガウディです。


【目につく有名な作品】
今回は行った展覧会で、目につく有名な作品はドーム兄弟の花器(ブドウとカタツムリ)です。
パンフレットにもすられていましたが、色鮮やかで、サイドにカタツムリが…
花器(ブドウとカタツムリ)_ドーム兄弟.jpg

【気に入った作品】
気に入った作品は2点あります。

1.エミール・ガレの皿(タコ)
まんまガラスの皿にタコが描かれている。光の具合によって色合いが違って見えて、なかなか楽しい作品でした。
皿(タコ)_エミール・ガレ.jpg

2.アルファンス・ジョルジュの花器(アツモリソウ、チョウ)
植物と蝶のデザイン。何か妙な立体感があった。
花器(アツモリソウ、チョウ)

【感想】
感想ですが、全体として鮮やかな色使いの作品が多かった。そして、何より日本の芸術やデザインの影響を感じた。
これなんか、もろ日本の鯉のデザイン
台付蓋付花器_ウジェーヌ・ルソー.jpg
アール・ヌーヴォーの説明が壁に貼ってあったけど、どうにも実際に日本の影響を受けているようだ。この運動が起こる前のヨーロッパでは、モノクロでつまらない皿とか建築物だらけだったのかな?



お茶を飲む

【最近の自分】 
 最近、やめていたお茶を再開した。お茶をすると言っても大したことではなく、ただ単にお茶を自分で入れて飲むだけ。



それでも、不思議な話なんだが、お茶を入れて飲んでいると、特別な儀式をして心を浄化している様な気分になる。なので、徐々に習慣化している。高いお茶をたまに飲む程度だったのが、毎回お茶を飲むためにスーパーで売っているような安い茶葉にも手をだした。一日2リットルは水出しでお茶を作っている。水出しにしているのは私の好みと少ない茶葉で大量に作れるのとお湯だしよりも作るのと飲むのが楽だから。そんなわけで、お茶をかなり飲み始めた。そして、お茶を飲むことで心を浄化している。



【お茶の意味】
 私が飲んでいるお茶はスーパーで250gで400円未満のものから、100g8000円以上のものもあるが…お茶の質にかかわらず、この儀式の神聖さに変わりはない。工程も単純、ハンディクーラーにお茶を入れて、浄水器から取った水を規定量入れる。


冷蔵庫で4時間以上放置しておく。茶葉を捨て、出来たお茶をペットボトルにつめる。好みと目的にあったコップに入れて飲む。(さっぱりしたお茶はタンブラー、香りの強いものはショットグラス、何となく耐熱ガラスのマグなど)それだけの行為だが、この静寂の行為の中に至福がある。これは、世界を美しいものへと抽出する行為なんだと思っている。ある日の事だが…その日は眠れずにいたのでひとまず散歩をした。夜明けの月を見てその美しさに感心した。

また、蒼い空に電信柱の影を見て、意外な美しさに驚いた。

自宅から徒歩2分圏内ではあるが、別の世界を見た様な気分だ。

いつもは何も気づかず、辛い事にばかり目がいっているが…私が生きている世界は一つではなくいくつもの層が重なってできているのだ。私が苦しんでいる考えの世界だけでなく、こんないくつもの層から世界は出来ている。お茶を入れて飲む行為は、いくつも重なった世界の層から、辛く苦しく自分をさいなむ層や欲望や邪悪な企てに燃えている層を排除して、美しくイノセントな層だけを抽出する儀式なんだと感じている。
 
【茶と禅】
 岡倉天心の「茶の本」って本の中に、茶道の起源を禅の修行か何かとする記述があった気がする。

禅ってのは仏教の宗派の一つだ。禅という宗派は、日常生活の些事を丁寧に行う事によってその中に悟りや尊いものを見ているらしい。禅の修行の最初は、経文を読んだりが多いが、理解が深まると日常の飯炊きや掃除が増えていくらしい。禅の偉い人ほど、生活の些事をやっているそうだ。これは何でも「不立文字(ふりゅうもんじ)」という考えからきているらしい。真の悟りは言葉でなく体験を通してでないとひらけないらしい。日常生活の行為の中に、それもとるに足りない事…些事の中に宇宙があると考えるそうだ。その一環なのか言葉遣いや歩き方や作法についても、厳しく教え込まれるそうだ。これらの日常行為を一定にする事で、日常行為を洗練させ、単純化させて、静謐の内に自分の行動を収める事で大いなる事をしり心を穏やかにして生きていけるようだ。禅の事を真面目に調べていないので間違っているかもしれないが日常性を大事にしている仏教の一派だという事は分かってもらえたと思う。その禅において、茶を入れるってのが重要な事だというのは分かってもらえると思う。ただ、お茶を入れて飲む。その中に、尊い何かを見出す。そこから茶道が発生したとするなら…お茶を入れるってのは割と重要な行為なんだなと。生きていくうちに蓄積されていく、邪悪さや欲望や怒りや刺激を求めるストレスを追い払うために重要な行為なのだた。

【美しく生きる】
 私は美しい世界へ行く事を目指している。しかし、気ばかりが焦って何もかも中途半端ではあった。しかし、この茶を入れて飲むという行為を通して「自分が信じて目指す美しさ」とは何かを定義してみると「単純で(simple)」「洗練され(smart)」「静かな(silent)」なものだと気づく。この3つのSの美しさを日常の中に取り入れ、自分をこれに没入させるためにはお茶を入れて飲めばいいという事がこの「茶の本」を読んで思いついた。まずは自分の生活する行為をと「単純で(simple)」「洗練され(smart)」「静かな(silent)」なものに収める。その中で世界は美しいものへと抽出されて、自分の中に、自分の肉体に、美しい世界は下りてきて脈打つ。美しく生きていくというのは、自分の行動を、洗練させ、単純化させ、静謐の内に置くこと。つまり、日常生活を丁寧に生きる事だ。そのために、まずはお茶を入れて飲む。そこがスタートなんだと。次は自分でご飯を作って食べる。自分で部屋を掃除して、自分の服を洗う。美しくあるとは、生活の行為をsimpleにsmartにsilentにするという事だ。だから私は生活を最小限のモノで行うミニマリストを目指したんだ。その一歩だ、お茶を飲もう。



圧力鍋

圧力鍋を手に入れた。
早速、悲願だった「豚軟骨」を30分程煮てみる。

うん、軟骨部分がとろけたな…。
こいつを、醤油、砂糖、みりんを1:1:1の液に入れて、15分程煮詰める。
良い感じの軟骨煮ができる。

だいたい、500gの軟骨を30分圧をかけたら、自然放置で圧がなくなるのが12~15分程度というのが知れた。
また、私のIHヒーターだと弱火では圧をかけるには不十分。中火くらいでかける必要ありだというのは分かる。シューシューと蒸気が安全おもりから漏れているのをサインにしている。

圧力鍋は思ったよりも使い勝手は良さそうだ。
こんどは、角煮とか魚の煮ものを作ってみよう。
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