■ラーベ・・・国民党に食い込んだビジネスマン


映画「ジョン・ラーベ」 予告編

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50786782.html

(Birth of Bluesさん)


に阿羅健一さん「ドイツが仕組んだ上海戦秘史」が紹介されていましたので

それ関係について。


関連で


所謂南京大虐殺とヒトラードイツの関係

http://ameblo.jp/disclo/entry-10058373335.html


ドイツと所謂南京大虐殺でヒトラーというと何か誤解されるかもしれませんが

ヴァイマル共和政からのシナドイツ政商の絡みです。


ヒトラーはシナを国家とは認めていませんでしたので

ヒトラーが政権を取った以上、早晩独中合作の独支関係は

終焉を迎えることはあきらかであったわけです。


で、ラーベというのは、シーメンス社の社員として支那に渡ったように言われていますが

渡支前後はそうではない。


氏の人脈で言うと

エルヴィン・ヴィッケルトという(単なる歴史小説家^^にされている)

元駐日外交官かつ元駐華外交部の要人ですが

ラーベの支那利権仲間のファルケンハウゼンも

元駐日大使館外交官でした。


親日家でない知日家の二人が

何故に中国に傾倒していくのかというと

我が国には財閥があったりして、厚遇されようとも、

ビジネスで入り込む余地がなかったからです。


第一次世界大戦でのドイツ敗北とヴェルサイユ条約以降の制約で

旧ドイツ軍は縮小され、それに伴い軍関連権益が分裂します。


ドイツ軍事顧問団を作ったハンス・フォン・ゼークトも軍人上がりの政治家ですし

ファルケンハウゼンも軍人上がりの外交官です。


何が言いたいのかと言うと、

彼らは実はナチスとの繋がりは薄い。

というより国民党軍の軍需権益にしがみつく政商でしかないわけです。


ラーベにしても、ナチ党員になったのは

本国のナチス台頭に合わせて、有利な肩書きを得たかっただけでしょう。


そもそも独中合作という、

”(国際的に孤立していた両国の)

お互い嫌われ者同士うまくやりましょう”

という関係は

ただただ損得勘定の上に立つものでしかありませんでした。


ファルケンハウゼン、エルヴィン・ヴィッケルトという

ラーベの属したサロンの面々は、

まさに、ビジネスマンの集いの人士であって、

シナの革命だなんだという中を泳ぎ回る政商のそれであり、

ラーベもその仲間でした。


そもそもラーベが渡支した時はシーメンスの社員ではありませんし

第一次大戦のドサクサとヴェルサイユ条約以降の混乱で

数百あったと言われるドイツ系のほとんどの企業が撤退したわけです。


ところがシーメンス・・・というよりラーベは残った。


そんな中で、「これを好機」と暗躍したのが

ラーベも属する利権屋サロンの面々でした。


最後まで残ったシーメンスは、国民党への物資の手配者として

あらゆるカテゴリーの流通の権益を得ます。


シナの対独宣戦布告から租借地割譲という混乱の中にあっても

撤退することなく国民党を支え続けてきたのですから

蒋介石からの信頼はかなりの物になっていたと。



ラーベは武器商人か?

ttp://www.geocities.jp/yu77799/rabe3.html

(小さな資料集さん)


はい武器商人です^^(キッパリ)


シーメンスは軍需関連特需で潤いましたが

ラーベはさらに、各国の兵器商社から、

ファルケンハウゼンのシナ軍事顧問団が差配する国民党軍に納入される兵器の仲介者でありました。


そりゃ、排外主義が蔓延する中で、敗戦によって帝国主義じゃなくなった

ドイツくらいしか、シナは相手に出来ないわけです。


で、何がおかしいかって

ラーベの人物評

”清廉で人望があって、正義感があって・・・・”

とかなんとかで

”ラーベの日記”の喧伝に

エルヴィン・ヴィッケルトが一役買っている事です^^

(ラーベの日記”ラーベの日記の時代”)


もうね・・・死の商人仲間が何を言っているんだか。


世に喧伝されている「ラーベの日記」なるものは

日記とやらの「現物」ではありません。


日々ログっていた日記を

必要に応じて編集”清書”した物であって

原本・・・・そんなものは無いわけです。


日本軍が南京に入場し、南京が平安を取り戻すや否や

ラーベはドイツに帰国するわけですが

何を慌てて帰国したのかと言うと

ヒトラーに日独関係を見直させるためでした。


そりゃ、日独同盟なんてことになれば


ラーベサロンのシナ権益は”ジ・エンド”です。


ラーベは必死で、南京での”日本軍の蛮行”とやらを

喧伝します。


単にノンフィクションを羅列してもナチスは無視でしょうが

蒋介石のプロパガンダを

”ヒトラーの対日姿勢を変えさせるために”

喧伝するのですから、捨て置くわけにはいかないわけです。


こうして、政商ラーベのシナ権益は霧消いたします。


でも人道的英雄は、

何故かシナには戻らないんですねぇ。


”ある方面の方々”によると

これより以降、日本軍は大陸で悪逆非道を繰り返すはずなんですが^^


30年に渡りシナにしがみついていた”英雄”は

権益とともに

シナ人民を見捨てたわけです。


で南京安全区なんですが

ラーベとかYMCAとかの裏ビジネスマンは、別に人道的目的で

非戦闘区を作ろうとしたわけではありません。


あくまで、南京に居留する外国人を戦火から守るために

日支交戦における安全区を提案したわけです。

(実際に、シナに居留していた外国人の住宅区域であり

シナ人民のそれとは程遠い高級住宅街を守ろうとしただけです。)


ところが、国民党軍は国際慣習としての”安全区”というものを

なかなか理解出来ない。


軍の休憩所か何かぐらいの意識しかないわけです。


そこで、ラーベらは、軍幹部や地域コミュニティーに対し

「日本軍は、戦闘地域で、虐殺や強盗・強姦を繰り返しています。

セーフティーエリアを確保して、人民を守ります。」

とか言って賛同を呼びかけるわけです。


どれだけ日本軍が野蛮か!


をとうとうと訴えるわけです。

で直前に唐生智がトンズラ^^


そもそも指揮系統を毀損した軍隊に

「安全区」の概念も糞もないわけです。


慣習的には、正規軍同士の通告やりとりがあって

はじめて安全区の認識が双方に覚知されるのですが

それどころではない。


そこでラーベらはさらに安全区という外国人居留区の隔離を

「住民の為だよ~~!!」と言って訴えます。


どれだけ日本軍が野蛮か!


と。


ところが、実際は




きち@石根-平和蘇る南京


(検閲?とか言う人がいますが^^じゃ、残りのフィルムは?)


まさに


狼少年状態


になったわけですが

それでも、各地で吹聴するわけです。


「どこどこでは残虐行為が行われている」


「どこどこで強姦被害が多発しているそうだ}


もう・・・


嘘つきの汚名返上と

ヒトラーへの対日姿勢転換上申のために

必死な状況です。

でもラーベがこさえたビジネスインフラは

日独同盟成りしも消えるわけではない。


そりゃ、金儲けはどこでやろうと自由ですから。


でこちら

シーメンス:世界で1.7万人を整理、中国は対象外

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0716&f=it_0716_002.shtml

(サーチナ)



というわけで

阿羅健一さんの


『日中戦争はドイツが仕組んだ』

http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081220/bks0812200820002-n1.htm

(産経)

是非!おすすめです。


でも願わくば

『日中戦争はドイツ”の政商”が仕組んだ』

としていただいたら、一般的には理解しやすかったのではないかと。



ヒトラーを、我が国自虐史観払拭に活用するのは

実に有意な手法であると思います。


しかしながら、ファルケンハウゼンらは

旧ドイツ軍あがりの浪人転じて政商になったわけでして

必ずしも、本国の意向のままに動いていたわけでは無いと思います。


ましてや、ドイツ軍事顧問団も、ナチスの意向でもない。

(ナチスはそれどころではなかったわけで、ましてや旧軍からのシナ利権屋は

勝手に中央の遠隔操作を目論んでおります)


まぁ、シナ情勢について言えば、非共産勢力が伸張しなければよかった・・・

ぐらいでしょうか。

でナチスも絶大な支持を国内では得ておりましたが

疲弊したワイマールの残骸の回収のため、不均衡な外交状態の解消に四苦八苦。


●ナチス運動史

ヤコーブ・ザール(知人社)

p138~



1936年3月7日、総統はロカルノ条約破棄を通告しラインラント非武装地帯にドイツ軍を進駐させることを宣言した。同日、総統はフランスに対し、世界の恒久平和のための提案を行った。さらに国民に対し、

「国民の栄誉を守るためにはいかなる圧力にも屈せず、それに屈服するよりはむしろ拒否によってもたらされる苦しみに堂々と倒れよう。今こそ真に国家相互の理解に努めよう。」と呼びかけた。

~~

総統は国会を解散し、国民の了解を求めた。

~~

1938年2月4日国防軍内に動揺が生じた。国防大臣フォン・ブロンベルク将軍と陸軍最高司令官フォン・フリッチ将軍の二人の国防軍最高指導者が、その個人的な生活上の不品行により総統に解任さえたのである。総統は軍の結束を高めるために、国家元首として自ら国防軍全体の指揮を執ることを布告した。


ここで、ようやっと全権掌握です。

旧軍浪人の外交官なんかが、勝手にシナ利権シンジケートを潤していた

独中合作の瘡蓋遊びは、ようやく終焉へ。


入れ替わって、米帝の利権屋の介入となりますが^^


でこんな事を書くと、ナチにシンパシーでも感じているような風ですが

私はナチスのことなんかどうでもいいというスタンスです。


あっち方面のレビジョンの美味しいところをつまみ食いしようものなら

恐ろしいとばっちりを食らうことは明らかなので

いい意味でも悪い意味でも

「ナチスには触るな」

という感じなのですが、

どうやら昨今の雰囲気は変わってきているようで

ドイツレビジョニズムは”別の方面”から花が咲きそうですねぇ。


崩壊してしまった世界金融バブルですが

旧ロシア衛星国とか、インドやアフリカの新興国あたりは

急速にインターネットの普及が進みました。


これもバブルの恩恵なのですが

小さな産業しか持たなかった国々が

金融立国という幻想の中で急激に情報インフラを取得していったわけです。


そうすると、限られた環境の中で抑圧されてしまっていた

”ナショナリズム”が新興国において静かに頭を擡げてきます。


そうなってくると、SWCあたりのビジネスモデルが微妙に狂ってくるわけで

しょうもない事にもいちゃもんをつけるようになってきています。


でもこういった連中に対する世間の目というのが

実に厳しくなってきているわけです。

(我が国ではどうかわかりませんが^^)


南京にしろ慰安婦にしろ

これらのプロパガンダは綻びを見せ始めています。


なぜなら、新興国の情報インフラによって

自然発生的な感情は

プロパガンダに対して・・ではなく

プロパガンダの発信源に対して攻撃を始めている。


行儀の悪い国家・民族が政治的工夫で取り繕うとも、

もはや隠しきれない本性が、チョロチョロと情報インフラの隙間から

漏れ出してきているわけです。



で我が国の歴史観是正運動は

正確な史実を効果的に発信していくテクニックを煮詰めていく段階にあります。


注意すべきは

確信犯的に潜り込むスパイの存在に常に神経を尖らせることです。


愛国精神からよかれと思っての行動が

結果足を引っ張ってしまうことがあります。


でも冷静に振り返ると

何かが背後に蠢いていたりするものです。


自虐史観を是正するにおいて

反日組織だけが敵ではないわけです。


何故なら、歴史観是正運動に頑強に抵抗する連中の

そのまた背後にある反日扇動家というのは、実はビジネスマンだったりする。


そもそも戦争自体がビジネスなのですが

ビジネスじゃない戦争を闘ったのが我が国であります。

(だからそろばん勘定なんか無かったわけで)


そこらあたりに、今後の”鍵”があるんではないでしょうか。