■選挙に利用するな


くされ挑発でありまして、過去事件真実究明委員会などは

露骨に韓国国内政治の道具であります。


金大中氏が報告書批判、朴元大統領関与など内容に不満

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071030i316.htm?from=navr

(読売)


日本も人権侵害=拉致事件報告書で金大中氏

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2007103000870

(時事)



 韓国の金大中前大統領は30日、京都市内で記者会見し、国家情報院の過去事件真実究明委員会が先週、自身が東京で拉致された1973年の「金大中事件」は当時の中央情報部(KCIA)が主導したとする報告書を出したことについて、

日本は主権侵害される一方でわたしを保護する義務を放棄した。わたしへの人権侵害だ


と述べ、日本政府を批判した。金氏自身が報告書への立場を表明したのは初めて。


金大中事件の朴大統領関与か?・・なんかは

朴槿恵氏(朴の娘さん)出馬に対する隠しだまだったはずが

夏の予備選で敗退したもんだから、別利用です。


で現与党政策の継承派というのは、

反日扇動で体制強化を図ることに再度決定したようで

大統領戦を睨んで我が国への挑発が活発化するでしょう。


腹が立つのは、その挑発には徹底して抗していかなければならないのですが

それをすると、反日政権の思う壺でありまして・・・・

とかいいながら、クールに対抗いたしましょうです^^


で金大中さんは例の立命館大学でご講演。

たしか来月はゴルバチョフも講演するとか。


だから・・・こんなお人の講演機会を作りなさんな!


金大中・韓国前大統領が講演
立命大朱雀キャンパス、日韓関係語る

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007103000156&genre=G1&area=K1C

(京都)



 韓国の前大統領、金大中氏が30日、京都市中京区の立命館大朱雀キャンパスで講演し、日韓関係について「日本の急激な右傾化は、韓国国民の気持ちに影を落としている。正しい歴史認識をし、改悛(かいしゅん)の態度を見せれば、日本を安心して信じ、友になれる」と述べ、関係改善へ期待を寄せた。


 講演は、立命大が金氏に対し名誉博士号を贈った記念として行われ、学内関係者や学生計約400人が参加した。


 金氏は「朝鮮半島平和と韓日関係」をテーマに、まず「朝鮮半島の平和問題は、とても明るい展望を見せている」と指摘。米国の北朝鮮に対する経済制裁の解除や、6カ国協議の進展によって、「2008年は、朝鮮半島で冷戦の影響が除去され、平和が定着する画期的な年となる」との見解を示した。


 日本に対しては、「改憲論や歴史教科書の改悪、靖国参拝などに、右傾化の傾向が著しく現れている。帝国主義時代の歴史教育が不足しているからだ」と憂慮した上で、「福田内閣は隣国に配慮しており、期待している。韓日友好協力の歴史を再現し、朝鮮半島と東北アジアの平和に向け韓国と共同で努力しましょう」と呼びかけた。


まぁ、むかっ腹が立つわけです。


KCIAというのは、軍事政権下においても、

大統領の完全指示で動くような統率はありえないわけで

まず、朴大統領の指示で金大中を拉致殺害するなど

当時の日韓関係で考えるとありえない話であります。


私が普段文句たらたらな「日韓議員連盟」ですが

発足は朴大統領時代であります。


その時代は、愚相・李承晩によって破壊された日韓関係修復と

国内経済の復興が第一の命題でありました。

もし、朴暗殺がなく、北の暗躍がなければ

今日のような異常な対日意識は薄まっていたかもしれません。


ですので今の日韓議員連盟とは雲泥の差があります。


当時の日韓政治交流はまさにアジア赤化への防波堤でした。


朴大統領自身が共産主義者からの転向であったため

その赤化策謀の実態もよくわかっていた。


日韓議連発足にも尽力された馬場嘉光さん(初代事務総長)の

著書から、当時の雰囲気を。


シベリアから永田町まで

馬場嘉光著

展転社

(p214~)


落ち着いた独立記念日


第二次大戦後独立を迎えた国は少なくないが、その多くがその多くが建国の日とか解放記念日をお祭り気分で賑やかに祝うのが普通だと考えていた私には、ソウルの八月十五日が意外に静かなのに驚いた

~~

市の大通りに光複節を祝う大アーチが数箇所みられたほかは、特別の飾りもない。

祝賀式典は

~~

国務総理が朴大統領の式辞を代読したという以外、首都では格別の催しはみられなかった。


李承晩により強化された反日扇動はもはや、武人政権である朴政権下において

薄まっておりました。

朴政権を評して軍事政権という人もありますが

朴政権時代なくして今の韓国はないでしょう。


今もそうですが、当時はまさに「戦時中」であるわけで

しかも当時も韓国憲法に基づく国民主権は堅持されていたわけで

戦時体制として国家保安法・大統領措置法が暫定設置されていても

何もおかしくない。


デモクラシーというものを勘違いしているわけです。

先の「シベリアから永田町まで」から



韓国においても、戦後、朝鮮半島の危機が続き今までになく武人の地位が高まった。そのような状況のなかでも、李承晩政権はじめ文人政治が続くのであるが、政策は優柔不断で国民生活は窮乏し社会は乱れる一方であった。ここにナショナリズムの強い軍人がみかねて、政治に関与するに至り、国民もそれを認めたということが出来よう。韓国では、民主政治を唱える許りでは実効が上がらないのである。


高山岩男博士がよくいわれていたが

デモクラシーは目標ですが、デモクラシーズはあってもデモクラシーは一つに限定されません。英国式デモクラシーがあればドイツ式デモクラシーがある訳で、当然日本国的デモクラシーでなければなりません

と。


朴政権は「漢江の奇蹟」といわれるような経済施策の実績が評価されますが

セマウル(新しい村)運動がその本質であったのではないかと。


それは精神作興運動であり、農閑期に昼間っから焼酎を飲んで

ぐだぐだしているような堕落した青年精神を、見事に鍛えあげたことにあります。


つまりだらしない韓国人を立ち直らせようとしたわけです。

事実、朴大統領は明治維新を見習って、維新政治を展開します。


しかし、朴大統領暗殺後、北朝鮮は露骨な対南諜報工作を展開します。

露骨といっても、それは非常に緻密で、長期の潜伏活動もいとわない

強靭な活動です。


忍者でいうなら「草」のような存在です。


それが非常に多く存在した・・・それが当時の諜報工作でありました。


■金大中は北の草


という話もあります。

というより、韓国には非常に出自の怪しい人物が多く政権中枢に蔓延ることが多く

これは、我が国敗戦と朝鮮独立の混乱の中で始まった、東西冷戦、

半島分割の中で、そのような情報機関由来の往来が活発であったわけです。

でこういうのもある。


正体不明の金大中

http://www.gyouseinews.com/international/mar2004/002.html

(インターネット行政新聞)


~~

金大中ほど謎に満ちた人物はいない。

 なにしろ生年月日すら不明なのだ。いちおう公式には1926年1月6日生まれとされている。だが金大中は最初の大統領選(1971年・昭和46年/朴正煕と戦った選挙)では「亥年生まれ(1923年末~1924年)」と自ら述べている。そして次の選挙、1987年(昭和62年)では公式記録に「1925年12月3日生まれ」と記入し、この数字は現在もネット上でも確認できる。ところが1997年に大統領に就任した際には青瓦台(チョワンデ)のホームページに「1926年1月6日生まれ」と記している。


 生年月日のことは、まあ大した問題ではないとしても、学歴詐称のほうはどうだろうか。最初の大統領選のときには「高麗大学経営大学院修了」だったのが、次には「慶熈大学院経済科卒」となり、大統領に当選したときには「木浦公立商業学校卒」となる


――韓国でも金大中の学歴疑惑が問題化したことはあったが、金大中の秘書(韓和甲)がこの問題に強烈な批判を展開、「エール大学やハーバード大学から名誉博士号を与えられた世界的碩学者に失礼な話だ」ということで、疑惑騒動は収束した経緯がある。

(ちなみに現在、青瓦台の「金大中略歴」には、1947年以前が省かれている


 卒業してからの活動記録も怪しい。木浦商校を卒業して全南汽船に入社、大東亜戦争後の1947年(昭和22年)からは木浦海運を経営していたと本人が語っているが、彼の親戚によると卒業後すぐに満州(現中国東北地方)に渡り、豊田と名乗って日本軍の情報機関で働いていたという。


 また金大中が左翼活動を行ってきたことは誰もが知っているが、朝鮮戦争のときには何をしていたのだろうか。本人の言によると、自営していた木浦海運の仕事をして、戦争の最中に人民解放軍(北朝鮮軍)に捕らえられ、銃殺寸前のところだったという。銃殺寸前だった者がどんな手段で助かり、どうしてそんな人物が政治の世界で生きることになったのだろうか。謎は深まるばかりなのだ。


日本人説はどうか知りませんが

金策さん。


以前、少し触れましたが


シナはキーセン料亭まで軍慰安所にしたいらしい

http://ameblo.jp/disclo/entry-10030256950.html



金策・金日成
左が金策さん。真中が金日成、で許貞淑


この金策さんは

我が国の諜報機関に関係していたという話は事実らしいのですが

金大中が自らの出身地と謳う全羅南道の、霊光郡というところに

日本人時代に工作機関の拠点をもっていたという話があります。


で少なくとも全羅南道という当時の半島化外の地出身となると

非常に出自を偽装することがたやすい環境があったわけです。


豊田大中が金策と接点があるかどうかは別にして

あきらかに太陽政策というものが、長い年月を経て・・

対北親和思想の醸成が進んだのは

あきらかに工作の痕跡が見えるわけです。


でタイトルの件。


KCIAは朴大統領に褒めてもらえると考えて^^独断遂行したと見られます。

しかし、「殺害」計画が日韓両国が知るに及んで、

殺害を阻止した動きがありました。


それは我が国中枢が動いたわけですが

朴大統領にしても、日本の主権侵害と殺害は非常にまずい。


・・・そういうことです。