■会いに来たよ


李登輝氏が靖国参拝 戦死の実兄しのぶ

http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070607/wdi070607003.htm

(産経)



来日中の台湾の李登輝前総統は7日午前、太平洋戦争で日本兵として戦死した実兄が祭られている東京・九段の靖国神社を参拝した。李氏は「兄の霊を守ってくれていることに、感謝の意を表したい」と説明、私人としての参拝を強調した。


というわけであまり政治的な観点で見ないようにしましょう。


と言いながら、この度の訪日も水面下では

中共の別動隊が嫌がらせをしていたようで・・


台湾に帰ったら、もう一度、奥の細道を勉強しなおさなくては

http://blogs.yahoo.co.jp/ritouki2007/8342334.html

(李登輝前総統 来日特集 さん)



午前11時過ぎ、本会岩手県支部や集まった地元住民に歓迎され、一行は中尊寺に到着。本会岩手県支部・岩根哲哉代表の案内でまず本堂を拝観。その後、金色堂を見学された。
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 中尊寺は、李氏の訪日直前に訪れた中国の仏教関係団体から李登輝氏を特別扱いしたら、今後の仏教交流は中止するとの圧力を受け入れ、当初の歓迎予定を全てキャンセル。一般客と同じ扱いにすることを関係者側に通告した。李氏一行の到着に際して、中尊寺側は出迎えを一切控えた

 降車場所についても、一般客と同じ扱いのため、84歳の李氏は車で山の上の境内まで行くことは出来ず、本会支部関係者の要請で、なんとか途中の坂まで車を入れることを許された。


 当初指定された駐車場から境内までは長い坂道が続くため、境内の手前まで車を乗り入れたいとの要望に対し、中尊寺担当者は「事前要請がないため無理」との返事。中尊寺の不遜な態度に水を差されかけたが、幸い李氏は藤原三代の栄華を偲び、楽しまれた様子。


先週に直接吹き込んでいたようです。

中国から16人、中尊寺・毛越寺を訪問

http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000000705310003

(朝日)


で中国は自称民間団体に声明を出させます。

李登輝の来日に反対する声明 (東京華僑総会、留日台湾省民会)

http://jp.china-embassy.org/jpn/xsgxx/t176031.htm


李登輝来日について抗議声明(日本華僑華人聯合総会)

http://jp.china-embassy.org/jpn/xsgxx/t176030.htm

(中駐日大使館)


自分で言えないもんだから・・・


■反応とか

2chコピペ



テロ朝11時25分 ワイドスクランブルの一こま

大和田獏:「猪瀬さん、でもやっぱり、中国の反発は避けられない気がするん ですけどもね」
猪瀬直樹:(驚いた顔で)「でも、この人、個人で行くわけでしょ?」
大和田獏:「ええ」
猪瀬直樹:「役職も何もないわけしょ? お兄さんがあそこにいるわけでしょ?」
猪瀬直樹:おかしくないんじゃないですか?
大和田獏:(小さな声で)「なるほど、まぁどういった反応がでてくるんでしょうか。」


反発、反発って各方面でうるさい。


個人の参拝っていうのは、こう言うことを言うのです。

(これもコピペですが、たぶんNHK。)



何年前だったかな。10年以上前か・・・
テレビの深夜枠で結構ディープなドキュメンタリーやってたんだ。
高砂義勇隊の台湾ジジイが二人で戦後初めて靖国神社に参拝するって
内容だったと思う。一切日本語はしゃべらなかった。(編集でカットしてたのかな)
台湾ジジイ二人でくしゃくしゃの戦闘帽かぶってよろよろだ。
背中曲がってふうふう言いながら本殿へ歩いていくわけ。
でな、本殿へ近づくにつれてジジイの目が潤んでくるんだ。
そんで、引きつってた顔はだんだんと温和になってくるんだ。
そこで全編通じてジジイがたった一言発した日本語

「おい!・・・会いにきたぞ!・・・」

ジジイの目に何が見えてたのか解からんが、
本殿から「なんだ藻舞ら、ジジイになりやがって」
とか聞こえてたンかも知れんな。あのシーンは忘れられん。



会いに来たんです。


靖国については、細かなことを書いて論争しても仕方のない部分もありまして

ただ、靖国を「戦争を美化」するなとか、英霊のことを「軍国教育で洗脳された」とか

現代人特有の浅はかな見下し様はうんざりであります。


黙って御柱の御遺書なり拝読すれば自ずと靖国を参拝することの意味がわかるはずです。



散華の心と鎮魂の誠

散華の心と鎮魂の誠(展転社)

より


古川正崇命

神風特攻隊「振天隊」隊長、台湾新竹基地より出撃、戦死。


出撃の一週間前、

子供のいない、また妻をめとることなく出陣された古川中尉は

わが子のように慈しむ甥龍吉に手紙を認めています。



私たちは先ず、第一に人であるという事を考えねばなりません。人として働き人として考える。そうして、お互いに人を愛し人を信頼してゆくならこんな幸せはありません。世界中の人間が協力し愛しあって生活すればどんな事だって出来ると思います。そんな世界はどんなに幸福なことでしょう

子供のあるという事はどんなに嬉しいことだろうかと思いました。私にも子供があればいいなあと思いました。私にも出撃が迫りました。再びは帰らない出撃です。だけども死ぬことなんか大したことはないようです。

私の戦友達も多く笑って死出の旅に出てゆきました。死ぬことなんか考えなくてもいいのです。

ただ生きる限りは朗らかに生きることを楽しんでください。

どんな時でも自分は生きているのだと思えば楽しさが溢れるのです


また、母親宛て遺書には



龍ちゃん(*甥龍吉)が出来てから、我が家は一層幸福になりました。そのお礼というのは変ですが、もし、死んで本当に魂が残るものなら、


私は九段から、氏神さまから、仏壇から、きっと龍ちゃんをまもるつもりです

死んでから魂があるなら、どんなに楽しいでしょうか。


お母さんの笑い顔も見られるでしょうし、龍ちゃんの楽しそうな様子も見えるでしょう。今はそれを楽しみにしています


私にも神と言われる日が来るのなら、お母さんは神の母となるのです。

その幸福を謝しましょう。


私はきっとお母さんを護ります


四の五の言わずに、黙って、英霊に感謝し、後代の姿を報告に行けばいい。


お母さんの笑い顔も見られるでしょうし、龍ちゃんの楽しそうな様子も見えるでしょう。

今はそれを楽しみにしています


李登輝氏も


・・・会いに来たよ・・です。