先日平壌で出版された金正日夫人、高英姫氏(死亡)の自叙伝
「柔道愛国者」ですが、
(IZA 正論の大島さん)
金正哲氏の後継体制が現実味を帯びてきたのではとか色々憶測を呼んでいます。
これを早速入手して真っ先に報道したのは毎日新聞。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/northk/news/20061130dde041030033000c.html
(毎日)
伝記は済州島生まれの父が、日本に渡ってからの苦労を描く。興味深いのは高夫人の「過去」。
帰国は61年5月の第58次帰国船、自宅に今も帰国同胞歓迎の絵を飾っている、と書く。また、
民族学校に通わずに大阪・鶴橋の小学校で学んだが、差別されたと告白している。さらに、
自身の仕事を「朝鮮芸術交流協会の部員」と明かし、世界各国を巡った、と記す。
大阪生野の鶴橋と言えば市内最大の有名なコリアタウン。私も焼肉食べに良く行きます。
今でこそ住民の三割が在日(半島)なんか言われていますが(帰化別)昭和20~30年代といえば
半分以上が在日。元々普通の地域だったのが戦後半島に帰れない(立場の)朝鮮人なんかが
一挙に流入し"コリアタウン"になりました。そんなところで・・・・
大阪・鶴橋の小学校で学んだが、差別された
↑
これは具体的には「当時の教師(女性)に差別されいじめられた」と書かれています。
しかも実名で。お名前は**エダさん。
平壌発ってことで半分以上作り話だとしても、この「ドンキホーテ」教師がもし存在するなら
どんな人か知りたいと強烈に興味を持ってしまいました。
毎日の記事は朝鮮マニアで有名な毎日新聞の鈴木琢磨さんが紹介しています。
大阪外国語大朝鮮語学科出身で朝鮮マニアというどっぷりなオタクな人ですが
記事は面白い。毎日で朝鮮というと「あれか」と思ってしまいそうですが、
本当に単なるヘビーな朝鮮マニア・・・という印象ですが著書とかは面白い。
でその鈴木さんの先週の夕刊記事。(後日談)
高英姫夫人が“自叙伝” 原点、大阪で追う
◇本人が書いた? どこまで真実?
http://www.gslb.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20061208dde012040012000c.html
伝記は虚実ない交ぜ。死亡説が有力な夫人は生きているのか? 深まるミステリーを抱え、夫人
のふるさと大阪へ向かった。
【鈴木琢磨】
~
そのまま路地を歩くと、伝記に高夫人が通っていたとある小学校に行き当たった。差別発言をした
女性教諭の顔と名前が忘れられない、とわざわざ実名まで明かしているが、大阪市教委に問い
合わせても、そんな先生はいなかった。自宅が火事になったとも書いているが、近所で記憶し
ている人はいなかった。兄の名前も出てくるが、一度だけ「朝鮮画報」(92年1月号)に高一家の
近況が紹介された時に、その名前はなかった。ああ、どこまで真実なのか……。
↑
鈴木さんはフットワークが軽い。完全なマニアの情熱です。
結局、伝説の「いじめ日本人教師(名前は**エダさん)」は存在しなかったのですね・・・
差別発言をした教師とありますが、原書には「日本人にしては美人な教師に差別されいじめられた」
と書いてあるそうです。
ちなみにこの「柔道愛国者」というのは高英姫夫人の実父、高太文というひとについてのお話。
この高太文さんも元プロレスラーで「東亜プロレス」という団体を和田アキ子さんのお父さんと
一緒に立ち上げた人らしい。
まぁ、単なる階級思想に対する言い訳本だったようです。
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つづき
日本人が朝鮮人を差別するっていう構図を基準にしたい人が多いですが
差別なんていうのは数の論理の影響もありまして、そんな論理も関係なしに
突き進んだのが戦後からしばらくの朝鮮人ではないでしょうか。
大阪で戦後しばらくの混乱というか朝鮮人絡みで有名な話に
「梅田村事件」があります。
大阪では有名な「丸ビル」社長だった吉本晴彦さんのお話です。
大阪ヒルトンホテルの地主さんでもありました。
丸ビルというのはJR大阪駅前南のこのビル。(再開発で・・・・)
その西に大阪ヒルトンがあります。(その土地も吉本さんところ)
このあたりの一等地3000坪の地主さんでしたが
その土地の朝鮮人による不法占拠の話です。(今は再生機構関係で権利関係は複雑)
ドケチ伝説「吉本晴彦」
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/011209.html
先祖伝来の土地の上には見知らぬバラックが立ち並び、もはや無法地帯。しまいには、
暴力団絡みの「事件師」が小屋を立て不法占拠。困り果てた晴彦、祖父との約束を是が
非でも守る為、ある腹を決めた。なんと、建設会社の労働者60人を率いて不法占拠のバラッ
ク小屋を急襲!小屋を壊して土地を奪い返すと晴彦は警察に出頭。世間はこの騒動を
「梅田村事件」と呼んだのだった。
これ以後、住みついた既成事実を盾に和解金をせしめようと言う相手と裁判に持ちこみ、長い法廷闘争で晴彦が勝訴したのは4年後の昭和31年。この事件をきっかけに初めて
「不動産侵奪罪」が刑法に加わった。更なる障害を乗り越え、梅田駅前の土地を整理し更地
にできたのが、なんと昭和48年。復員してから24年後だった。ここに念願の高層ビルを建て
たのは昭和51年のこと。
「吉本家の心柱のつもりで建てたんですわ」
珍しい円形のビルは「円」お金であり、「縁」の思いだった。それは晴彦が祖父の約束にようやく答えた瞬間だった。
↑
ちなみに「知ってるつもり」ではごまかしていましたが不法占拠していたのは三国人とよばれた朝鮮人。
講演なんかでははっきりとおっしゃっています。
↓当時の参院にもこの「不動産侵奪」関係が・・
第034回国会 法務委員会 第16号
昭和三十五年四月二十六日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/034/0488/03404260488016c.html
指定都市市長会大都市制度調査研究資料なんかでも先駆的取り組み例の
紹介で触れられているんですが
http://www.siteitosi.jp/st_project/daitosi/pdf/teigen/h18_02_01_03.pdf
大阪市全体の土地の5%がこういった朝鮮人絡みの不法占拠状態にありました。
ところでNHK朝ドラで「芋たこなんきん」ってのが放送されていますが
あの「写真館」跡地どうなったんですかね。一等地です。歩いてすぐに中ノ島公園ですからねぇ。