「疑問の声許せない」と批判=昭和天皇メモで-自民・古賀氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060730-00000028-jij-pol

メモの信ぴょう性を疑う意見があることについて、

「とんでもない議論があるのは残念。

昭和天皇や英霊に対してもそういう議論は許せない」と厳しく批判した


とうとう言論封殺ですか・・・・。

議論もいけませんか・・・・・・。


メモの信憑性云々ではないでしょう?

メモの解釈の問題でしょう?

すりかえ?


メモと手帳は元々別々。

さらに書くと

徳川氏説は何も従来の言質が似ているから主張しているわけでは

ありません。

先日書きましたように

4月12日に勇退しその日に奥野発言があり

(奥野発言と一口にいっても4.5月になんどもあります。

ただし、その勇退の日にも発言)

そのタイミングもあって取材を受けているのです。

だから4.28に長官会見の際、それについての

記者質問を受ける可能性があったわけで

それを徳川氏に確認していた可能性を何故考えないのかと。


なぜ靖国合祀問題に関することがあると記者が徳川氏周辺で

動くかというと以前より徳川氏が合祀反対の意思を示していたから

であり、靖国に関しては立場的なものを考慮しないともいえる

発言の貴重なソースだったからです。


ところでメモにある

「私は 或る時に、A級が 合祀され」「松岡、白取までもが」

の「或る時」とは普通に見れば「~までもが」にかかり

「私は知らなかったのに」

と同義にとられると私は思います。


↑そこでまず合祀の手順を考えるのですが

表の事情と実際の事情をきちんと把握する必要があります。


合祀者名簿を宮内庁へ送るのは

戦前の正式な手続きでは「上奏裁可」となりますが

戦後においても形式上名簿上奏があるとされています。

されていると書きますのは上奏と裁可は別の物であるという

公式な立場は靖国・国とも貫かなくてはいけません。

しかし本来靖国合祀は天皇の裁可を担保としなければ

正当性を欠くと考えるのが本来の見方であり

憲法上の問題を避けるのであれば

「ご内意」をもって靖国の一つの判断基準とすると考えるのが

自然でしょう。


宮内庁内部の一部からは「ご内意」を感じさせるような

内幕的私言が散見していますがそれは意図的なものだと

思います。実際の「ご内意」は靖国側へ”あれば”伝えられます。

それを公言できないのはどちらも意図せず政治的問題

に発展する事を避けるためである事は当然です。


そこで合祀経緯を考えると

合祀者名簿が昭和53年10月7日に池田権宮司が

宮内庁侍従職・掌典職へ上奏した以上

昭和天皇へ所謂A級合祀意向が伝わったと考えるべきであり

「ご内意」については宮内庁としても靖国側に伝えるべき事が

なかったと考えるべきです。


そこで何故徳川氏なのかというと

よく引き合いに出される「回想録」にて


合祀者名簿は、いつも十月に神社が出して来たものを陛下のお手元に

上げること になっていたのですが、

昭和五十三年は遅れて十一月に出して来た。

「A級戦犯 十四人を合祀した」と言う。

私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、

先方は 「遺族にしか知らせない」 「外には公にしませんから」と言って
 いた。やはり何かやましいところがあったのでしょう。


となっている。

少なくとも「合祀したという」は徳川氏の勘違いか、意図的なものであることは

間違いありません。

合祀は10月17日の例大祭前日であり、翌日には遺族・総代に報告されています。

11月に名簿が出されてそれをもって徳川氏が

「合祀を知る」というのはありえないわけです。


もし実際に徳川氏が「知らなかった」のであれば

上奏された合祀者名簿に所謂A級戦犯が含まれていた事を

後になって知ったという事になります。


慣例的に合祀者名簿精査官務に携わっていなかったとも考えられますが

すくなくとも侍従長は当然知りえたはずです。

でも徳川氏は当時侍従次長です。


つまり「合祀」について「或る時」と事後で知ったと受け取れるような

発言は昭和天皇とは考えられず、合祀者上奏官務に直接携わった

人物とも考えられない。

10月7日上奏を知らず

11月に「知った」と外部に答えているのは

徳川氏ご本人だけなのである。

だからなぜ該当部分が

「昭和天皇の不快感」

と真っ先に解釈されるのかが私にはわかりません。


だから富田メモの

「私は 或る時に、A級が 合祀され」の部分について

徳川氏の発言では?と思うのはおかしいでしょうか?


すくなくとも先帝のご発言に関する報道が

一部でも推測に基くものであったとしたら

まさに不謹慎極まりないと思います。


といいながら

確かに私などは宮内庁関係者は一部の人しか知りませんし

靖国側といっても実際にお会いした事がある宮司の方は

湯澤元宮司だけです。ですので富田メモについては

推測の部分が多いのですが(不謹慎です)、それでも

「日経の報道内容はおかしい」と思うのが普通でしょう。

(でもかなり正確な情報はもらっていますのでどこが問題かは

はっきりしています。)


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また一部で

日経記者がたまたまご遺族宅に訪れた際に

偶然発見された・・・・

とあるようですが

まずご遺族がメモ等について以前に外部の

学識者に相談されているのは間違いないと思います。


たまたま発見されたという周辺証言は

ご遺族に非難が及ばないためだと善意に受け取っています。


メモと手帳が別々だったのも間違いないと思います。

(マスコミ一部もう確信しているのでは?)


なぜ私が報道直後にその情報について問題視したのかというと

メモが富田氏の業務記録に分類される部分に保管されていたのか

私的日記に分類されていたのかによって

解釈がかなり変わると思ったからです。


予断ですが靖国神社関係者にも

分祀扱いできないかと考えている方がおられます。

その一番の理由は

靖国の財政問題でしょう。

その財政問題を分祀・・・というより

国家主導で法人格問題解決、陛下ご親拝実現で

解決できると考えている人たちもおられます。




---関連---

古賀誠氏ら日本の議員、南京大虐殺記念館を訪問

http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200607180372.html




谷垣氏、出馬を正式表明 「靖国参拝せぬ」

http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20060728/mng_____sei_____000.shtml


まずこの表明を聞き、最初に思ったのは「出馬の理由は何だ?」

という事です。

目的は総理総裁に選出される事ではないでしょう?


谷垣氏は少なくとも形式上は未だに日本会議国会議員懇談会副会長です。

また京都府遺族会会長として選挙票基盤としていたのですから

変節漢としかいえません。


中共の美人局に嵌った人物は要職に就けることは間違っても出来ません。

もし安倍内閣誕生として要職に入ったとしたら

安倍さん・・・・出来レースと取られますよ。