日経公表の当日にご遺族から持ち込まれたと説明されているが

実際に日経に持ち込んだのはある学識者である。

またそれは公表日ではなく少なくとも1-2ヶ月前と言われている。


またご遺族が富田メモの処理について相談したのはその学識者を含めて

数人。もちろん宮内庁関係者は含まれていない。

最初は富田氏逝去後しばらくして知子夫人の交流関係の学識者に

相談が持ちかけられている。


しかしながら最初に相談した学識者は左派に分類される人物と言われている。

さて実際に日経に持ち込んだ学識者はメモそのままの検証として

昭和天皇ご発言に関するメモであるのは間違いないと自分の意見を添えて

日経に持ち込んでいる。ただし最初はその学識者の個人的な交流関係から

日経社会部の一記者に話をかけたという事のようだ。


もちろん最初から一貫して宮内庁関係先には相談・照会していない。

そのことが今、問題となっている。もちろん件のメモの内容の解釈についてである。


メモ自体はもちろん故富田氏の物であり、恣意的な箇所・作為的な箇所はない。

問題は「昭和天皇のお言葉の書き取り」と解釈してしまった学識者および日経の

失態である。

まずメモの流れは天長節慣例会見の内容について内容・報道に際して留意すべき点

を宮内官房総務・侍従方から報告を受けている。

(宮内庁長官から会見内容について確認に向かう事、陛下に直接確認に向かう事は

ない。)

つまり会見内容の公表について説明義務は宮内長官官房に移り

実際は長官が外部への説明を行うため、長官は関連報告を受けただけである。


今回の学識者・日経等はメモ内容について精査しなかったと考えられる。

そこで宮内庁に一切の報告をしなかったことによる検証不備がおこる。

まず富田氏の4/28の拝謁記録の未確認である。

実際に拝謁の記録はない。お召しについての記録は長官官房が管理しており

照会をすればすぐに確認できたはずである。


つまり、故富田氏が昭和天皇からのお言葉を書き取りした可能性はない。

ではメモにある該当箇所(所謂A級等)はどうして書かれたか?


①昭和天皇のご発言?

 会見内容の報告の際、会見内容、質疑に関係のないご発言が報告される事は

 考えられない。万一あったとしても結果「又聞き」となる。

②故富田元官房長長官の言葉?

 本来富田メモをそのまま普通に解釈するのであればメモ記述者の言となる。

 それを昭和天皇のお言葉と解釈する根拠はない。

 ただし、会見内容の報告に付記されていた可能性は0ではないが

 会見内容に関係しない内容が事務報告に付記されることはない。

③故徳川元侍従長の言葉?

 勇退に関して会見をしている。しかし関連する内容はない。

 しかし勇退日当日に奥野発言があり、

 後日靖国に関する各社の取材を受けている。

 宮内庁関係者の取材については長官・長官官房は逐一報告を受けており

 関連する記述とも考えられるが

 徳川氏は勇退後2日の休養日を除いて嘱託職で勤務している。

 つまり4/28の長官会見及び4/29の会見公表の内容報告を受けた日に

 徳川氏と会談している可能性は非常に高く、

 取材内容について徳川氏から説明を受ける機会があったと考えるのが

 自然である。

 となれば私見でもメモ内容が出る可能性はある。

 

 件の箇所を昭和天皇のお言葉と解釈するより余程可能性は高い。

  

 つまりこのメモを昭和天皇のご発言の書き取りとするなら

 「又聞き」の可能性しか残されていない事となる。

 これを「昭和天皇の不快感」という名で報道した日経の報道姿勢は

 今後大きな問題となると思われる。


 またメモ部分については本来別の箇所に貼り付けされずに残されていたとの

 情報があり、執務に関するメモ書きが何故、備忘録様の箇所に貼られているのか

 もし作為的な部分があるとすればそこの点にある。

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以上はこの件に関する情報をもらったまま掲載しました。

普通に日経の”早とちり”誤報ではないでしょうか?

わざとなら誤報ではないですが。

それから朝日は傍観者を気取っていますが

日経報道の前に予定稿があったのはもうばれています。

ひょっとして本来は朝日で記事にする予定だったのでは?

しかしそれすると露骨だと感じたのでしょうか?


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学識者については共同あがりとしか知りません。