お久しぶりです。鈴木です。

家庭の事情でしばらく休業しており、ご縁のあった方にはご心配をおかけしました。

休業中にたくさんの変化がありましたため、
一度happy floraを閉めて、新しく「愛・過食症相談室」としてスタートすることにしました。





過食症専門カウンセラーの鈴木です。


お母さんのカウンセリングをしていると、

お母さんは自分の母親に一度も怒ったことがない

という場合があります。


でも、本当に一度も

怒りを感じなかったのでしょうか??

そんなはずはありません。

本当は怒っていたけど

心の奥に抑圧していたのです。



否定的な気持ちは全部ないことにして、

母親に孝行していたりします。

場合によっては疎遠なこともありますが、

とにかく母親とぶつかってはいません。

ずっと母親の良い娘でいたのです。



でも、その未解決の問題(怒りと悲しみ)が、

自分の娘との関係悪化の原因であり、

過食症につながっているとしたら

とても悲しいことです。。。



でも、お母さんは、

自分の母親に対する怒りはなかなか認めません。

親を悪く思ってはいけないから、、、

いろいろなことをやってくれたから、、、

認める勇気がないから、、、

感情が麻痺していて何もわからないから、、

いろんな理由が混ざります。


母親に対して怒りを感じたのは、

本当は悲しかったからです。

本当は傷ついたからです。

本当は寂しかったからです。


でもそういう気持ちも全部抑圧して、

平気なフリをして、

生きてくるしかなかったのかもしれません。

今とは時代も違うし、

やむを得ないところもあるでしょう。

悲しいことです。


でも、自分の気持ちと向き合えていなければ、

子供と向き合えるはずもありません。

子供の気持ちにも気づかないでしょう。


子供は孤独になります。

そして、誰かとつながるということもできません。

母親とさえ本当につながっていないのですから、

たいていは他の誰とも繋がれません。


あくまで見えないレベルの話であって、

見えるレベルでは普通のお母さんかもしれないし

むしろよく頑張っているお母さんかもしれません。


でも、子供と心が本当にはつながらない。

しかもお母さんは心の奥に溜まっている怒りを

弱い立場の子供にぶつけてしまったりします。

それは酷い言葉や暴力になる場合もあるし、

ちょっとだけ攻撃的な物言いであったり、

普通に思える言葉にわずかに含まれる

攻撃的なエネルギーや冷たい視線、、、

かもしれません。


酷い言葉や暴力に傷つくのは当然ですが、

ちょっとした攻撃性もちょこちょこあると

結構なダメージになります。


お母さんが怖い。

それが過食症の原因の一つであることもあります。

お母さんのことを優しいと思っている場合でも、

そんなお母さんの中にたまに垣間見える

攻撃性や冷たさや意地悪さが、

実はものすごく怖いのです。。。


私自身もこれに当てはまり、

気づくのに長い時間がかかりました。



お母さん自身が自分の心を見つめなおして、

自分の母親との間で本当は感じていた

怒りや寂しさをなどを正直に認めて、

自分を癒していくことが、

過食症に苦しむ娘さんを救うことに

つながつていきます。


勇気のいることです。

取り組める人は勇者だと思います。



















愛知県名古屋市、豊田市
過食症専門カウンセラーの鈴木です。


最近ぐんと寒くなって来ましたね❄️

どんな寒さにも負けない心と身体が、

あったらいいと思いませんか?

その原材料は「親の真の愛」だと思うのです。


ほとんどの親が、子供を愛しています。

でもその愛がネガティブな厚い壁で囲まれていて

子供に直接を届けることができない。

としたら、なんと悲しいことでしょう。


ネガティブな分厚い壁は

親自身の心の傷つきやそこから生まれた防衛です。

そのために大切な子供と本当に

つながることが出来ないのです。


子供を思っているから、

お母さんは毎日世話をしているし、

お父さんはどんなに大変でも働き続けるし、

食べ物の添加物に気を使ったり、

電磁波を心配したり、

誕生日やクリスマスにプレゼントしたり、

塾の送り迎えをしたり、、、、

疲れていても休日に遊んだり、

親の愛はいろんな形で現れています。



でも、子供が本当に求めているのは、

親から直接流れてくる温かい愛。

ちゃんと見てもらえること、

ちゃんと聞いてもらえること、

ちゃんと向き合ってもらえること。

お母さんやお父さんの心が今ここにあって

一緒にいてくれること。


お母さんやお父さんが自らの愛とつながって、

愛の浮かぶ瞳で子供を見つめてくれること。


もちろん食事も環境も教育の応援も大切だし、

プレゼントも愛の表現。


でも、親からありのままに溢れる愛が

子供に流れて来ないとしたら、

なぜか満たされず、欠乏してしまう。


それが私と母との過去の関係であり、

私も子供にやりがちだったこと。


今私は、私の真の愛とつながって、

その自分で子供と関わることに挑戦し続けています。

そして、それが出来ることはとても幸せだと

感じています。


ほとんど親が子供に愛があるのに、

自らの人生の事情からそれをありのままに

伝えることが出来ないことはとても悲しいことです。


過食症に苦しむ人のお母さんの多くが

きっとそうなのだと思います。
















過食症専門カウンセラーの鈴木です。



「学校に行ってもつまらない」

と子供が言ったとして、

「つまらない」は本当の気持ちなのだろうか。



本当は、学校には

同じ深さで感じ合う人がいなくて

寂しい、、、

ということかもしれない。


心がひとり、孤独、心細い、悲しい、、、

無意識であるけど人が怖い、、、

本当はそんな気持ちなのに

それをうまく言葉にできないのかも。


だって、親も誰もそんな言葉は言わないから

そういう発想さえない。


それで知っている言葉を精一杯使って

「つまらない」となっているのかもしれない。


学校に行けない、学校がつまらない、は

学校にいても孤独だということで、

見た目には友達がいてもありえます。


仕事でも同じかも。

仕事が辛いとき、

本当に辛いのはそこに同じ深さの人がいなくて

心がいつもひとりぼっちだからかも。



本当の気持ちにはなかなか気づけない。

でも本当の気持ちに気づけると

何かが始まる。








過食症専門カウンセラーの鈴木です。


今日は久しぶりにお出かけです^^

小3の娘と遊園地に来ました。


いつもはお兄ちゃんも一緒でしたが、

今日はついてこなかったので娘と私の二人きり。


娘がすごく生き生きしています🤗


お兄ちゃんがいるのも楽しいけど、

どうしてもお兄ちゃん優先になりがちでした。


今日は娘の思うままに遊べるので、

あれ乗りたい!

次はこれ!

とすごく嬉しそうでやる気満々です😝


自分の「やりたい!」に素直に動く!

とても大切です。


過食症に苦しむ人は

この感覚がなくなっていることが多いです。


自分の「〜したい!」を

感じて大切にしていきましょう^^



ちなみに娘は今、これをやっています。

人数制限の都合で私もだと20分後になるので

娘一人で迷わず行きました😱 頼もしい!





愛知県・過食症専門カウンセラーの鈴木です。


物事を、

見えている現象だけで判断していませんか?


例えば、過食症で働けず、

下手すれば浪費家の怠け者に見えてしまう娘と、

その娘を支えるためにあくせく働く母親。


もしかしたら世間から同情されるのは母親で、

娘は甘えているだけ、怠けて何もしていないだけ

に見えてしまうかもしれない。


それが見える次元での判断になる。


娘自身もそう思って自分を責めて否定して

母親に申し訳ないとさえ思う。


でも、見えないレベルで、

本人もほとんど気づかないレベルで、

実は子供時代から長年にわたって

娘を攻撃したり

愛やエネルギーを搾取したりしていたのが

母親の方だったとしたら????


普通に見えているレベルでは、

母親は酷くは見えなかったかもしれない。

少なくとも普通以上に見えたかもしれない。

母親自身もそんなに酷いつもりはない。

むしろ愛情深いつもりの場合もある。


でも、もし見えないエネルギーの動きを

見ることができるメガネがあったとしたら、

物事は全く違って見えるのかもしれない。


例えばの場合、

母親が娘のために一生懸命だったとしても、

それが実は娘のためではなく

母親自身の寂しさや虚しさを埋めるためだったら、

母親が自分と向き合うこから逃げるための

手段としての世話焼きだったら、

それは娘への本物の愛ではない。


それは娘の人生へのおしつけや搾取になる。

見える次元ではたくさん与えているようで、

本当には与えていないし、

娘から愛や温かさや生命エネルギーを

奪っている場合さえある。



親も寂しい(と本人は気づいていなくても)人生を

送ってきた一人の人間なのだ。

私も2人の子供の親だから、

気をつけないとそうなるのがよくわかるし、

実際そうなりかけながら修正しているところもある。


そして、私と母親との関係を見た場合にも、

とてもよく当てはまる。

母親は離婚後は教師として働きながら

私のためだけに生きていたところがあり、

母親の愛に恵まれなかった人には

もしかしたら羨ましく思えるかもしれない。


でも母親は「娘のため」に生きることで

自分の人生の課題から逃げ続けていたのだ。

本人はそうとも知らずに。


要するに、あえて悪い言葉を使えば

私は利用されていたということにさえなる。


母親が私にくれていた愛は、

直感的に8割くらいは真実ではなかったと思う。


ときどき母親の無意識の世界の

攻撃性や冷たさを垣間見て凍りついたことはあった。


でも、見える次元の母親は

非常によくやってくれていたので

そんなゾッとする感覚はすぐにかき消された。

そして自分の勘違いだろうと片付けていた。


でもきっとそれは勘違いではなく、

母親が自分からさえも隠していた感覚世界。

そこに向き合うこともなく、

人生の課題に向き合うこともなく、

すべてを自分からさえ隠して、

「娘のために生きる母」をやっていたのだ。


母親を責めていいのかはわからない。

母の生まれた時代背景もあるし、

母が母なりに一生懸命だったとは思うから。


でも、見えないレベルで起きていたことが

見えていた現象とは全然違っていたことは

納得してしまう自分がいる。


そして安堵もする。

私がおかしな人間なわけではなかったと。


中には他者から見てもわかるくらいの

明らかに酷い母親もいると思うし、

それはそれで悲惨なことだと思うが、

他者からは良い母親に見えてしまう場合に

娘が自分を責めて自己否定することになり

母親に罪悪感を持って暮らさなければならないのも

また悲しいことだと思う。






























過食症専門カウンセラーの鈴木です^^


過食に苦しむ人は、

敏感で優しいので人優先になりがちです。


自分の気持ちを抑えて

人の気持ちや周囲の事情を優先してしまう。


でも、そうやっていつも抑えている気持ちが

どんど溜まってモヤモヤして

過食につながってしまう。。。


だから、

まずは自分を一番大切にして、

物事を選択することが必要なのです。


それができるようになっていくと、

過食は減っていきます。


そして、

過食になってしまったときは

何かしら自分の本当の気持ちを抑えて

自分に無理や我慢をさせてしまった時だと

気づけるようになります。


自分を最優先にすることが

必要な時期は人によってそれぞれでしょう。


ただ、あまりに長期(5年とか)やっていると

今度はマイナスになってくる場合もあります。



自分を超えて人を愛すときに

感じられる喜びがあるからです。


もちろん無理し過ぎや頑張り過ぎや

自分に嘘をつくのとは違うのですが、

自分を大切に優先し続けて(まずは大事!)

ある程度の精神的体力が回復したら、

自分を超えて人のために選択することが

逆に道を切り開くこともあります。


自分を優先し続けることが長期になり過ぎると

逆に道を閉ざすこともあります。


なぜなら、

過食に苦しむ人の才能がそこにあるからです。

それは、愛です。



あくまで、

必要な間は自分を優先してからです。









Happy Flora 過食症専門カウンセラーの鈴木です。


今日は夜8時台という時間にコンビニ駐車場で、
カシューナッツと炭酸水をいただきました。

プチ過食です😱

いえ、過食というのは大袈裟ですが
でも精神的なダメージから食べたくなったのは
間違えないと思います。

夕方にちょっとガッカリすることがあって、、、
悲しくて、心が弱ってしまって、
その慰めのような感じ??

食べてお腹を満たしてど〜んとなって、
体が重たくなりたかったような気がする。

そうしたら眠くなって、今日は終わる。
(イヤ、子供の世話とかあるけど)

なんなんだろう。。
もうダメにしちゃいたいような感じ?

過食症の時代なら食べ続けただろう。
今日の場合は食べる量がそれだけなので、
誰でもある程度の気晴らしみたいな感じだけど
ずっとそういうことももうなかったので
今日はやはり夕方の出来事でダメージを
ずいぶんと受けたのだな、、、と改めて思った。

そもそも他にもいろいろあって、、、
という前提があるので蓄積疲労が限界値に
達したとも言えます。

心に受けたダメージを自分でうまく癒せないと
食の異常として現れますね。

たまにはそんなときもあります。

でも少し多めに食べるくらいはいいけど、
日常的になってしまうと太る心配も出てくるし
とにかく辛いですよね。


今日はちょっと食べたくなるくらい
ダメージを受けた自分に優しくしてあげようと思う。

そして寝たら
明日は今日より回復しているだろう。

多分カシューナッツの塩分で
顔が浮腫んでいるだろうけど、まあいいか。

自分を受け入れて生きること、大切です😉


過食症専門カウンセリングは名古屋対面も可能です。
詳しくはホームページでご覧くださいね!





過食症専門カウンセラーの鈴木です。



生きている意味がない、というのは、

本来の純粋な自分で触れ合える人が

誰もいないってことだと思う。


本来の純粋な自分という裸の心で

安心して話せる人がいない。

その存在に気づいてくれる人がいない。

本当に感じあえる人がいない。

大人はみんな鎧を着て生きているから。。。


誰とも触れ合えない孤独。

それは本当に辛い。

この世のどこにも希望が見出せず、

やりたいことをやるとか

そんなことでは埋め合わせられず、

ついには生きている意味があると思えなくなる。


そんな中で生きてきたのだなあと思う。


そして気がつけば私もたくさんの鎧を着ていた。

鎧を着ていることにも気づけずに。


自分をなんとか守るために着てしまった鎧。


傷つけられないように警戒心が高く、

自分を守るために攻撃的で、

自分が損しないように計算高くなり、

段々と批判的、皮肉的になって、

未来の保証のために野心を持って、

人から攻撃されにくいように外見を磨き、

社会的な自分を作り上げて、

自分ではない自分になってしまっていた。


裸の自分、本来の自分は、無垢な愛だ。

攻撃性は感じない。

この自分をどれだけ忘れていただろう。


まるで黒いビニールで包んで、

その上にこの世で何とか生きるための自分を

作り生きて来たようだ。


子供たちはそんな私(母)といて、

どれだけ孤独だっただろう。


わけのわからない孤独だ。

なぜなら物理的には母親がいて、

必要なことはいろいろやってくれるのに

なぜか満たされないつながらない

得体の知れないひとりぼっちっだから。


それは私がかつて母との間に感じていたこと。


私は過食症から卒業するためにも

死ぬほど頑張って来たし、

離婚して子育てして仕事して、

学び続け、自分を癒やし続け、成長し続けて来た。


できることは全部やって来た。


それでも、本来の純粋な裸の自分で

いることだけは出来ていなかった。


その自分に戻るまでにあまりにも

取り除かなければならないものが多かった。



でも、最近いろいろ子供との関係で

苦しむことがあって、のたうち回ってきて、

ようやく本来の純粋な自分がわかるようになった。


感覚としてはずいぶん深いところの心だ。

それより上にたくさんの偽の自分、

恐れに囚われておかしくなっている自分がいるから

かなり意識的になってようやく感じられる。



もちろんこれまでもその自分になる瞬間はあったり

漏れて来たりはしていた。


でも、その自分であり続けることは

ほとんど全く出来ていなかった。


これからはこの自分で生きることだけが

大切なことなのだと思う。


その自分であり続けることだけが大切なこと。

そうであれば、子供と本当に触れ合えるし

出会う人ともそうなれる。


何よりその状態であると穏やかだ。

戦争はもういらない。


きっと何度でもずれてしまうだろう。

攻撃的な自分にすぐになってしまうだろうし、

ズレた自分があれこれ考え続けて話し続けて

悪夢を作り出してしまうだろう。


それでも本来の愛の自分に戻ろう。

何度でも戻ろう。

それだけが答えだ。













過食症専門カウンセラーの鈴木です。


先日のことですが、、
有料道路でスピード違反をしてしまい
10年ぶりに警察に捕まりました。。

ゴールド免許が😱


警察に追いかけられて怖かった。

そして悲しかった。。


でも、警察官のお二人が優しくて、
20代と50代の男性でしたが本当に優しかった。

取り締まりは警察の愛だと思った。
あれは警察ではなくて神だったのだろう。

あの時の私は悩み事で余裕をなくしていて
スピードを出し過ぎていることにも気づかず
そのままでは自分が死んだかもしれないし、
人を巻き込んでしまったかもしれない。

それを止めてくれた警察。
私の狂気と地獄を止めてくれた警察。


そもそもその30分くらい前に
「神様、私の地獄を終わらせてください」
と私は天に頼んでいた。


警察に捕まるとはさらなる地獄のように
感じて私は泣いた。

警察は優しかったが
罰金も払わなければならないし、
やはりダメージは深かった。


でも、その後でスピードを落として
80キロで走り続けるうちに
どうしても落とせなかった心の狂気のスピードも
緩んでいることに気づいた。

あの警察官は愛ある父であり、神様だった。

私には父親がいないので余計に泣いた。

正しい父性に愛されたかった。

そして私は愛されている。

見えない次元だけど、でも感じられる。

DNA上の父ではないけど創造主に。


それにしても

笑顔に隠れた攻撃を感じることもあるし

警察の取り締まりに愛を感じることもある。




スピードを出すのはやめて

一緒にいることを感じよう。

自分自身とも、大切な人とも。