1月7日 | にぶんのいち×2

にぶんのいち×2

所属:地方公務員、でもあいかわらずの兵庫県弁護士会
小児がん「頭蓋咽頭腫」→難病「下垂体機能低下症」という、準先天的な難病系弁護士です。

1月7日といえば、障害者自立支援法違憲訴訟を終結させた、基本合意が締結された日である。
昨年は3周年ということで、院内集会も持たれたところで、毎年やればいいのに、と思わなくもないが、いろいろと難しいらしい。来年は5周年ということになるけど、なにかするのかしら?

私は2010年1月7日に何をしていたかというと、弁護士になりたてだった。私の登録は2009年12月。この弁護団が基本合意締結に向けて、お正月返上で走り回っている間、私は二回試験後の休みを使って海外旅行なんぞしていた。修習生のころから大阪弁護団を傍聴し、見学していたけれど、途中から就職活動が激化してご無沙汰になってしまい、半分以上加入を断念していた。そこを、「基本合意締結後」というあまりにも空気を読んでいないタイミングで新規加入したのも、大阪弁護団内に法科大学院時代の友人がいたからである。もっと言うと、一応ラスト2回、つまり、大阪ファイナル期日にも出席こそさせていただいたけれど、後で確認したら和解調書の代理人目録に名前がない。
・・・訴訟委任状を出すのを忘れられていたようである。
そう、今でこそ、偉そうなことをいろいろ語っているけれど、私はこの訴訟が係属している間は代理人ではない。

あ、こら、缶詰投げるのやめなさい、痛いから!
なので、「1月7日」の雰囲気はまったく知らないのだけど、大阪最終の和解期日の雰囲気はよく覚えている。
・・・初めての大きな法廷で舞い上がっていたから、「事実」としてはよく覚えていないけれど。
「わたしのフクシ」でもちらっと触れた けれど、法廷のあちこちからすすり泣く声。びっくりしたのは、代理人も泣いていたことだった。
たしか、最後の意見陳述として、原告も何名か裁判官に向かって話をしていたと思う。その内の1人が、「私はこの法律によって、自由に外出することができなくなり、英会話の趣味を断念せざるをえなかった。私は外に出たい。」
といったような話をしていた気がする(違ってたら申し訳ない…)
それに応え、裁判官は、和解調書読み上げのあと、

「この和解が、原告の皆様にとって実りあるものとなるよう祈念いたします。」

と告げて閉廷した。


こんなことを書く気になったのは、昨年、「基本合意って、もう紙切れでしょ?」と何回か言われたからだ。
A4にして確か4枚くらいの短い文書だが、全国13の地裁でこれだけの思いをして締結した重みはそんな簡単なものではない。確かに、厳密なことを言えば、71人の原告と国との合意だけれど、この国の障害福祉施策を方向づけるものであり、第三者が簡単に評価を口にできる文書ではない。
基本合意にかぎらず、たとえば障害者権利条約でもなんでも、それによって権利主張する者がきちんと使わなければ簡単に紙切れになる。

訴訟にとっては終わりの象徴だけど、私にとってはその後現在に至るまでのすべての「はじまり」だった基本合意。
腐らず、大事にしたいし、大事にさせたいと思った平成26年1月7日だった。