「相手を理解するだけでなく、自分を理解しもらうことも大切」森下 茉耶 卒業コメント | 同志社大学体育会フットサル部TREBOL

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私は大学まではマネージャーという役割とは無縁で、中学・高等学校ではチアリーディングを行っていました。高校では2年連続全国大会に出場することができたのですが、私はDFCの皆にはチアをしていたことを未だに信じて貰えないくらい運動音痴で(笑)。自分自身に対する劣等感が強く、6年間のチアリーダー生活で自分に自信を持つことができなかったなという心残りがあるまま引退してしまいました。

 

けれどチアを最後まで続けた結果、唯一少しだけ自分に自信を持てた部分が「人の為ならどんなことでも諦めずに頑張れる」ということでした。そのため大学ではマネージャーをしようと決意し、その中でDFCに偶然出会いました。人と一体感を味わうことができるチームスポーツにおいて結果を残したいと考えていたため、新歓で私が貰ったビラの中で唯一「日本一」という目標を掲げていたDFCに大変魅力を感じました。

 

このような想いからDFCに入ったのですが、選手を支える以前にマネージャーいう立場においても自分自身の不器用さを痛感させられてばかりでした。また、選手と一緒にプレーすることはないマネージャーという立場で選手の悩みや想いを汲み取り支えることは私が想像していたよりはるかに難しいことでした。

 

1回生の頃の森下(2013年6月 京都府2部 サテライトvs.バロン戦)

 

4年間で最も辛かった時期は、2回生の終わり頃から3回生の夏までの約半年間です。成人式の日、選手が一生懸命戦っていたリーグ昇格に大きく影響する大事な試合をマネージャーの運営ミスで没収試合にしてしまいました。選手やDFCを応援して下さるスタッフ、OBの方々など多くの関係者に迷惑を掛けてしまっただけでなく、マネージャーとして最高学年の私が上手くフォローできなかったせいで、後輩のマネージャーにも辛い思いをさせてしまったことが自分の中で本当にショックでした。

 

自分が想像以上に多くの人に支えられていることを改めて感じ、少しでも長くDFCに携わることで感謝を返していければなと強く思いました。その試合から1ヶ月後の関西チャレンジに続き、春から始まった関西2部リーグ、インカレの京都府・関西予選。私はずっと正直この日のことを引きずっていました。

 

けれど3回生の夏、選手が全国大会のピッチまで連れて行ってくれて、優勝して大学日本一になりることができました。その時、DFCに関わる多くの人が喜んでいる姿を目にして、自分の中でようやく気持ちをリセットすることができたんです。表彰式の後マネージャー皆で写真を撮る際に選手がメダルをかけてくれた時のことは本当に忘れられません。

 

インカレ優勝後、選手からかけてもらったメダルと共に。自分を責めた過去からようやく解放された。

 

 

DFCでの4年間で印象に残っていることはたくさんありますが、やはりインカレの全国大会で味わわせてもらった経験は特別な思い出です。選手やマネージャー、スタッフの方々一人一人に感謝しています。

 

DFCで大学生活を送って感じたことは、相手を理解することだけでなく自分自身を理解してもらうことの大切さです。私はこのことを4回生の同期の皆から学ばせて貰いました。練習中も試合中もいつも楽しそうで、同期に対して最高学年になってからも良い意味で1回生の頃と変わらないなと思うことが多かったです。振り返ってみると同期の皆は1回の始めの頃から自分のキャラクターや強みを人に伝えることに長けていて、自分を理解して貰うことにも積極的であり、これが周りの良さをも引き出しチームを強くしてきてくれたのかなと感じました。あかりんも初めて会った時から自分のことをたくさん話してくれて、どんな時も自分の想いを真っ直ぐに伝えてくれる素敵なマネージャーでした。私には持っていない部分を多く持っている同期を本当に一人一人尊敬しています。

 

全日本選手権終了後、かけがえのない同期と。自分にない部分を多く持つ仲間と出会い、成長できた。

 

 

最後に後輩に私が伝えたいのは「流される柔軟さと流されない強さ」を持つことです。学年が上がるにつれて自分自身の役割やフットサルの技術について悩み、人とぶつかることも増えると思います。けれどDFCに入ったという点で選手もマネージャーも必ず何か重なる思いがあると思います。そんな同期や先輩、後輩とこれから悔いのないフットサル生活を最後まで強く走り切ってください。京都にいるのでこれからも近くでずっと応援させてください!笑 結局はメンタル!