2009年10月に 千葉大生 萩野友花里さんが 非情極まりないやり方で

殺害されました。

そして、 強盗殺人などの 罪に問われ 裁判員裁判では

一度は 〝死刑判決〟を受けた 竪山辰美被告の

控訴審判決が 今月8日、 東京高裁でありました。

竪山被告は、 友花里さんの マンションに侵入、両手首を縛り

現金、 キャッシュカードを強奪、 彼女の左胸を

包丁で 3度 突き差し 殺害しました。

その後、 ATMに 現金を引き出しに行きましたが、

引き出すことに失敗、 腹を立てた竪山被告は

 証拠隠滅のため、 現場に戻って 室内に放火し

彼女もろとも 火炎に包ませたのです。

ご両親は 骨になった友花里さんの ご遺体と

対面させられたのです。

繰り返しますが、 この裁判は、裁判員裁判制度で行われ

一審・千葉地裁では〝死刑判決〟となりました。

友花里さんのお母様、 美奈子さんは

一審の 千葉地裁の結果には

「私たちの思いが 裁判員裁判に活かされたのかなと

思った」とおっしゃっていました。

しかし、 その東京高裁での 判決は なんと、〝無期懲役〟です。

被告の あの冷酷無残な殺人を 恐らく 殺さないでと 嘆願した

何の罪もない 未来ある 若き乙女を 刺殺し、

火をつけたばかりでなく 過去に

強盗や 強姦の罪も 犯していたのです。

千葉地裁では 「被告が刑務所を出所後、 3か月弱で犯行に及んだ点を

指摘し、 殺害された被害者が 一人でも 極刑を回避する

事情とはならない」とし、〝死刑判決〟が 言い渡されました。

裁判員裁判の 選択は 〝極刑〟、

殺されたのが 一人の場合、 死刑が 回避されることも

あるとはいえ、 今回の事件は 将来あるかわいいお嬢さんが

冷酷無残な 殺され方をされたのです。

これが 外国だったら 〝死刑〟です。

殺された 人数の問題ではありません!

どのような殺し方で 人の命を奪ったのかが 問題で

外国のように 罰せられるべきです。

「 裁判員裁判は 国民の声 」です。

東京高裁の 裁判官はおかしいとしかいえません。

これでは、  裁判員裁判の 意味が 無くなります。



東京高裁の言い分は 「これまでの先例の傾向をみると

被害者が 1名の 強盗殺人で その殺害行為に

計画性がない場合には 死刑は 選択されないという

傾向がみられる。

この事件においても 被害者が 1名で 計画性も

認められないことを踏まえると 真にやむを得ないものとは

言えないと考える」とのこと。

ATMで お金を引き出すことに失敗、 友花里さんの部屋に戻り
 
火をけたのは、 計画性が無いと 言えるでしょうか?

裁判員裁判の 厳罰化傾向に 懸念を示していて

東京高裁は これに沿った判断だと 言っているのです。

裁判員裁判の死刑判決が 2審で破棄されたのは

全国2例目です。

裁判官裁判は 国民の声です!

裁判員達は 無惨な死骸の 写真を見て

人の心の声を 出しているのです!

この裁判官は 自分の娘が 同じような目にあっても

同じ判決を下すでしょうか?

萩野さんの支援をしている 内海文志弁護士は

「裁判員裁判が 始まってからは 量刑というのは

幅があるもので 裁判員が 国民の視点、 国民の意見を

取り入れて、 司法の量刑判断にも 反映させていこうと

こういう 裁判員裁判制度の趣旨に 高裁判決は

反するものとして 非常に憤りを覚える」と

言っています。

私も怒りに震え、 ご両親の悲しみを思うと

胸が震える思いでした。

裁判員制度は 罪を憎む 国民の声です。

国民の声を 取り入れて変わったはずの司法が

なぜ、その声を否定するような 判断をするのか

まったくもって 信じられません。

東京高検は、21日(友花里さんの命日)に上告

被告弁護側も 22日に上告しました。

美奈子さんは 「裁判官裁判の 意義を しっかりと

最高裁が 汲み取って 死刑以上の刑が 出てくることを

期待します」 と おっしゃっています。

私は 今回の 判決には 大変な怒りを 感じています。

お嬢様を亡くされた この萩野ご夫妻を 応援しなければなりません。

〝極刑〟は 国民の声なのだ!

今回の裁判の判決は おかしいのだ!と

言わなければなりません。

皆さま、 是非とも 国民の輪を 広げましょう!