飲酒運転による事件・事故が報道され、多くのひとが「飲酒運転は極悪犯罪である」と思っているようです。 もちろん法律を犯しているので、飲酒運転はれっきとした犯罪行為であることに異論はありません。しかし、本当に飲酒運転は極悪な犯罪でしょうか?


飲酒運転は故意である。

飲酒運転は本人の自覚で防げる。

量の多い少ないではない。


そんな意見が増えましたよね。 そういった意見は正しいのでしょうか?
ちょっと、他の軽い犯罪行為と比べてみましょう。


例えば、足元に100円玉がひとつ落ちていて周りに誰もいない、という状況を思い浮かべてみてください。
あなたは拾ってポケットにいれませんか? これはれっきとした拾得物横領罪という犯罪です。


100円玉を拾って横領することは故意である。

拾得物横領は本人の自覚で防げる。

金額の多い少ないではない。


理論的には正しい意見かもしれませんが、100円くらい拾っても問題ないだろうと思う方も少なくないと思います。 交番のそばで拾ったのであれば届けるという人も、交番まで歩いて15分も掛かるのであれば届けないかもしれません。

たかが100円で、交番まで届けません。


「たかがビール一杯で、代行運転なんて頼みません。」

ということと本質的に同じです。 (もちろん、飲酒運転は危険なことですので同等に扱うべきではありません)


そもそも犯罪は、「欲望と罪悪感のバランス」によって引き起こされるものです。 お酒を飲みたいという欲望と、ピール一杯飲んで運転することの罪悪感のバランスです。 故意とか自覚とかでは片付きません。もちろん理性のある人間であれば飲酒運転はしないでしょう。 しかし、理性と欲望のバランスは、人によって違うのです。


飲酒運転を肯定しているのではありませんし、容認しているのでもありません。ですが、 飲酒運転をしてしまうひとの気持ちになって考えなければならないのです。 多くの知識人は「他人の気持ちになって考えることが大切です」と言っておきながら、飲酒運転をしてしまうひとの気持ちなんて、これっぽっちも考えていないのではありませんか?


飲酒運転がいけないことと知りながら、どうしても飲酒運転をやめられない人の気持ちになって考えてみましょう。 そうしなくては飲酒運転はなくなりません。


飲酒運転をする人間はバカだ、異常だ、死んでしまえ。 そんな意見を見聞きすることが増えました。

昨日は沖縄で48歳男性の大学教授が飲酒運転で捕まりました。 48歳の若さで大学教授になるくらいの人ですので、きっと知能的には一般人よりも高いと思います。 教育者ですので、正しいことと間違っていることの区別がつかないはずはありません。 それでも飲酒運転をしてしまうのです。 彼を「バカな人だ」といって済ませてしまうことは簡単です。 しかしそれでは新しい対策は生まれてきません。


「飲酒運転は極悪犯罪ではなく、しかも知性の高いひとでも犯してしまう犯罪である。」
という前提で飲酒運転対策を立てる必要があると考えるのが良いのではないでしょうか?


飲酒運転は、けっして軽い犯罪ではありません。 しかし、飲酒運転をしてしまうひとの気持ちの中では「軽い犯罪」なのです。 「軽い犯罪」だからこそ撲滅が難しいのです。


今必要とされていることは、簡単にできる対策です。 コストがかかる対策ではありません。 我慢を強いる対策でもないのです。



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