3月19日、福岡の幼児三人死亡事故(2006年8月)の被告人が泥酔状態であったことを否定したことがニュースとなりました。
ブログやニュースでは、「往生際が悪い」とか「潔く刑に服すべき」という意見が目立っているように感じました。
わたしも、同じように考えたのですが、しばらく考えているうちに違う意見を持つようになりました。
この被告人は精一杯言い逃れを試みるべきだ、と。
もちろん刑が軽くなることを期待しているのではありません。 精一杯言い逃れをすることで、結果的に刑が軽くなってしまうこともあるかもしれません。 しかし、ありとあらゆる方法で言い逃れをしてもらうことで、社会に良い結果をもたらすことができます。
もしも、刑が軽くならなければ。
今後、飲酒運転事故を起こしたら、どのような言い訳も通用しないということになります。 そういった認識が生まれ、飲酒運転を未然に抑止する社会的な風潮を醸成できるかもしれません。
もしも、刑が軽くなったら。
警察の捜査・対応、法律、社会などに問題があることが明確になります。 この被告には事後法を適用することができませんので、今から法整備しても重罰を課すことはできません。 しかし、同じような言い逃れができないように、警察の捜査手順や法整備を進める契機にすることができます。
もちろん、この被告人には罪にあった罰が下されるべきです。 軽い刑では、飲酒事故の抑止に繋がりません。 感情的には、長期間の実刑を期待してしまいます。 しかし、それは「ありとあらゆる言い逃れを試みたが、結局、長期懲役刑だった。」というのが前提です。 最良の反面教師となってもらうには、潔さは要りません。 ワイドショーにとりあがられるくらいの往生際の悪さを見せてもらいたいものです。
それにしても、飲酒を認めていて、泥酔を認めないとは。
自分では泥酔していないとおもっている酔っ払いなんか、飲食街には大勢います。 「泥酔ではなかった」ということを主観的に述べる神経は、まったく理解できませんね。
ビール一杯だけ飲んだときには、「運転はあぶない、捕まるかもしれない。」と思うひとでも、泥酔したら「運転しても大丈夫。 スピードださなければ大丈夫。」といって猛スピードをだすんですよ。