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ええええええー、まさかの2ですかあー。「くるくるぱー」でそんなに語るんですかー。
四月馬鹿にちなんで、「くるくるぱー」を見たのだが、いまや渦巻き主義のトリコ仕掛けにはまってしまったようである。
恐るべし「くるくるぱー」。
敬うべしコバヤシカナ大王陛下。
この曲の歌詞は、一読すれば楽観的、非真面目的、非教養主義的等々のお気楽な処世術を説いただけのように見える。
であり、嫌なことは/全部 もう 忘れちゃえ
なのである。難しいことは/ドブに捨てて
また、
と言い、探しものは/いつでも頭の上にある
明るく生きていこうよ
と説く。しあわせって/湿気が嫌いなんだってさ
笑顔を見せてごらんよ
だがこの歌詞は本当にそれだけであろうか。
否、吾人はこの一見軽佻浮薄なる詞藻の中に絶対真理の片鱗を見出さざるを得ないのである(とちょっと明治の文豪調)。
言葉は時として、それを書いた者の意図や思惑や意思を遙かに越えた射程も持つことがある。詞を書いた秋元康も知らぬところで、この曲にミューズは舞い降り、「詞」は「詩」に生まれ変わった。
たとえばこうだ。
多少なりとも神秘主義に造詣のある者は、このカードを思い出すに違いない。探しものは/いつでも頭の 上にある
そう、タロットの大アルカナカードの「0番」、その名も「愚者」すなわち「くるくるぱー」である。旅にある若者は、未来を象徴する左を向き、手に花を持ち、頭の上を見上げている。それは、探しものを天に求める姿そのものである。
若者の歩むその先は崖である。落ちるかも知れない、落ちないかも知れない。そう、この若者は一瞬後に崖に落ちて命を落とすことができるほど自由である。
それは即ち、百尺竿頭さらに一歩を進むの世界でもある。
さらに曰く、
大切なものなど、何もない。くるくるぱーで/ごめんね
大切なものは/何もないよ
先日は、これを般若心経の心無罣礙の心境に擬した。大切なものとはすなわち煩悩であり、心を惑わすものである。それを追い求める限りはそれにとらわれ続ける。
コバヤシカナ大王陛下は「そんなものは無い」と喝破したのである。
いや、そんなことを言っても
宝物は/おそらく ガラクタの中だねと、宝への執着(ここはひとつ「しゅうじゃく」と読んでください)も歌っているではないか?
いやいやさにあらず。
「くるくるぱー」のPVを思い出して欲しい。コバヤシカナ大王陛下の従者達は、歌いながら手に持つ「宝」を、地に投げ捨て、そのあとわざとらしく拾い上げるではないか。
これは即ち「宝」などは、すでにその手の中にあり、いつでも捨てることも拾うこともできるとの教えに他ならない。宝とはそれを「宝」と定めるおのれの中にこそあるのだ。
そして終わりに言う、
愛も「お代わり自由」。それは尊いものであっても決して絶対なものではない。何度失ってもお代わりすればよいのだ。愛をお代わりして/最高!
ああ、かくもありがたきコバヤシカナ大王陛下の渦巻き主義よ。
AX2009も大詰め、第2位の発表。
大方の予想を裏切り、前年大ヒットの「大声ダイヤモンド」は、1位ではなく2位であった。どよめく会場。
じゃあ、一位の曲は何? ま、まさか??
その刹那ひな壇中央にましますコバヤシカナ大王陛下は、紅の王冠に青葱の王杖を携え、下々に詔を賜った。
「えええ『くるくるぱー』が1位? いい、いいからもう2位やっちゃって」。
結果、第1位は「初日」であった。発表の直後、アップで抜かれるコバヤシカナ大王陛下。陛下がっくし。
でもいいのだ。AX2009第1位。それは今に語り継がれる、希に見る美しいステージであったのだから。CinDyのティアラも輝いていたし。
そして渦巻き主義者は知っているのだ。あの日、「くるくるぱー」は1位の上、すなわち愚者のナンバーである第0位に鎮座していたことを(それを疑う不心得者はAKB日誌2009年1月25日を見るがよい)。
すいません。以上四月馬鹿の延長のような与太話でした。
でも「くるくるぱー」が、せめて90位くらいでいいから入って、コバヤシカナ大王陛下が葱を振り回すシーンを正月に見たいものです。
全国の渦巻き主義者よ団結せよ!