制約が技術の発展を生む | 《和魂漢才鍼灸》

制約が技術の発展を生む

こんにちは!
和魂漢才鍼灸の足立繁久です。

1、2年前あたりから勉強会で感じることです。

『制約が技術の発展を生む』

最近、長い付き合いのメンバーがこの言葉を分かってくれたので
ブログにも書いてみます。

さて、なぜこんなことを思うようになったのか…

いきさつは私の担当講義のメンバー層の大多数が
“伝統医学・伝統鍼灸を志望していなかったこと”

まるで笑いごとのようですが…


こちらは脈診だの、伝統鍼灸・古典医学だの、湯液(漢方薬)だの…と考えるわけです。

今後は今まで以上に『内経』に力を入れるぞ!とか…(笑)

でも、メンバーの進む方向性は違うんですね。

スポーツ部門であり、
アロマだったり、
整形外科系の職場勤めだったりと…


おかげで、そのころは正直すごく悩みました(笑)

だって、私は伝統鍼灸しかできませんし。


そして、悩んだ結果

『やっぱり伝統医学を伝えよう』と、結局変わらないのですが(笑)

しかし、こうも考えました。

『今の日本で伝統医学を学ぶ意味・目的は
 古典に記されている“理”を学ぶことだ』と。

理はかっこよく言えば“真理”
もっと親しみやすく言えば“道理”でしょうか。

この道理が分かれば、いかようにも応用できます。

応用のしかたは、人それぞれ。
これは私があーだよ、こーだよと教える訳にはいきません。

それぞれの土俵がありますから。
(というか、私はそんなこと教えることはできませんし)


そこまで考えて、気づいたのが
『制約が技術の発展を生む』ということです。


鍼灸の過去を振り返ると、脈診ひとつとってもそうです。

ある脈診法は全身の脈をみて診断する方法もあったと聞きます。

しかし、実際に主流として残っている方法は手首の脈を診る方法。
寸口脈を診る脈診法ですね。

全身の脈を診ずに治療しないといけない…
そんな事情(制約)があったのかもしれません。
(その時代に生きていませんので、想像でしか書けませんが
 当時は身分の低かった医者が、高貴な身分の人を治療するのに
 壁が無かったとは言い切れません)

その結果、改良され生き残った技術が手首の寸口のみで診る脈診。


また、今は鍼灸学校で当り前のように教わる五要穴もそうです。

手足末端の配穴で結果を出さないといけない。
(これまた想像ですが)もしかしたら同じような制約があったのかもしれませんね。

その結果として生まれたひとつの治療法・技術である…
そのようにみることもできるのではないでしょうか。


そして今に立ち戻って、伝統鍼灸を学ぶ我々も同じ状況にあります。

今の患者さんたちにとって、ニーズなのは
バリバリ・コテコテの伝統鍼灸ではありません。
(あったとしてもそれはレアなケースです)

であれば、少なくとも表面は必要に応じてアレンジしなければいけない…。
もちろん、本質は変えてはいけません。

アレンジ方法やアピールの仕方、
つまり売り出し方は人それぞれのやり方があると思います。

しかし、抑えないといけない本質を見失ってはいけないな…と
日に日に強く思うようにもなりました。


『応用が効かせられる道理を学ぶ』

でも、これは伝統鍼灸に限ったことではありませんね。
すべての世界で技術を学ぶことにおいて大切なことだとおもいます。

和風にいうと“道”ということでしょうか。


さて、今年度のメンバーは今までに増して
伝統医学の追究に(いい意味で)貪欲な人が多いと感じています。

今年のメンバーに合うよう講義内容をアレンジして
精一杯の講義をしようと思います。