続けるか続けないか、わからんが。
ちょいと、マイナーチェンジして、他のsnsと足並み揃えてみた。
まるっきり自分を晒すわけにもいかないけど、あまりに不透明なのも、
時代にほそぐわないかも知れない

ちょっとそんなふうに思った。

会社員で、50も過ぎて、音楽もやっていて

競馬と競馬場と
何よりも馬が好きだが、
それが全てな訳が無い。

今の政治にも世論にも風潮にも憤っていて、
それでもごく普通に生きたいと思っている。

楽はしたいけど好きなことへの努力は厭わない、
当たり前だ、そんなの。

自慢と言うのではない。
こういうことがあると、
『間違ってないんだな、俺のやってること』
『続けていて良かったな』
『ああ、見ていて、気にかけてくれる人がいるってことは、手を抜けないんだな」
という。
やっぱ、自慢か。

音楽を再び始めている。
一人で歌って、演奏している。
そうやっているうちに、
敬愛するアーティスト、ミュージシャンに巡り会う。
その方々のライヴに触発されて、
また、頑張らないとあかんなぁ、
なんて思う。
届かないのはわかってるが、
凄い方々が、試行錯誤して努力して、
いつまでも立ち止まらないのを見てしまうと、
俺ごときが、なんで悩んだりするのか、と。
愚直にやるしかないんだよ、と思う。

そんななかで、
敬愛する方々が、それとなく、ほんの少しでも、気にかけてくれている、と知る。

泣けるんだよ、ほんと、その場で泣きそうになる。

バンド結成の頃からいちファンで、それから20年くらい経つ。数年前にSNSで繋がって、それから更に二年後に直接あったとき。
『あ~、やっと会えた!呑みたかったんだよ!』と言われた。
もう、頭が混乱した。
浅草を拠点に活動するスイングジャズのバンドのリーダー。

数年前に知り合った、横浜を拠点に、4弦バンジョーとギターを操って、とうとうと『人』を歌い続けるミンストレル。
俺の顔見るなり、
『ちゃんと歌ってる?』と。
いつもにこやかなのに、その時だけ真顔だった。
『歌ってます、大丈夫です』と応えたが、
敵わないなあ、と思った。

木こりとシンガーとバンドマンという、三足の草鞋で驀進する、稀有なブルース・ロックンロールの人。
一緒に飲んでいた時に、
『遠慮なんかしないで良いんです、あなたはそのまんま、ストレートに、思ったまんま、言いたいことを言って良いんです、それが許される人なんだから』
泣きそうになった。

俺の母親とほぼ近い年齢で、今年50周年活動。
常に自分に正直に進み続け、信念を掲げ、決して折れない女性シンガー。伝説なんて呼ばれたくない、現役なんだから、と言い切る人。当然だよなぁ。
その人が、いつの間にかネット上の俺の作った歌をチェックしていて、
『タイトルが日本語ばかりだけど、邦楽の方が好きなの?』とおもむろに尋ねられた。
もう、震えた。

その方のバンドでベースを弾いていたが、実は自らのプロジェクトで大所帯のバンドを率いていて、自らもあらゆる楽器を弾きこなす才人であり、風景が見えてくるような叙情的な楽曲を生み出すソングライター。
ライヴのあとに飲んでいたら、
『いつか、一緒にやろう』と。
俺が、『え?あ、いやいや、無理っすよ』と慌てふためいたら、
『なに言ってるんだ、やるんだよ、絶対だよ、約束だからね』と、叱責し、笑ってくれた。
泣けた、マジで、泣けた。

大阪から出てきて、高円寺や吉祥寺を拠点に、そこから全国、ピアノを弾きながら絶叫するように自分の中身をさらけ出し続ける、才能溢れる崖っぷち女性シンガー。
何かの拍子に、俺をこう呼んだ。
『せんぱい!!』
おこがましい、有難い。

北の端から南の端まで、たった一人でギター抱えてロックンロールを歌って旅する、沖縄出身の、『歌って踊る』熱い人。
俺がたまに公園でギター弾いて歌ったりして、
それネットで流れてるの、チェックしていた。
『最近はやってませんね?また観たいな』と。
恥ずかしいやら、嬉しいやら。

まだまだ、沢山いて、いろんな形で、
実は、たまに見ていてくれている、と知る。

再び始めて、まだ、たった4年。
でも、ガキの頃からギター弾いていて、
この4年が何よりも濃密だ。

どこまで続けられるか、わからない。
ダメだ、と思うまで続けるだろうけど、
果てはわからない。







つくづく思う。

ワタシは馬券下手なのだ。

予想と相馬眼には自信があるが、

馬券下手なのだ(笑)
『あの人の歌』

あの街からジョン・レノンの看板が外された
『偏っているから』が理由だそうだ
『War is over』という言葉の、
どこが悪いんだろう
祈りを口にしては、いけないのかい?

思えばここのところ、何かが違う気がする
歌いことを歌えやしない
『あの夏』のことが、
頭っから離れてくれないんだ
何かが自分から消えちまった

憤りばかりが、悲しみばかりが、駆け巡るんだ

戦争が起きちまった  震災が起こっちまった
生命が、心が、削られてゆく
誰かが叫んでいる  それを誰かが嘲笑っている
そのたび、世界が冷えきってゆく

この曇り空の下、君の笑顔すら、
忘れちまいそうだ

それでも聴こえるんだ  まだ、『あの人』の歌
心を、叩くんだ
諦めそうで倒れそうな時、でも『あの人』は、
笑うんだ
『大丈夫、大丈夫、まだ折れちゃいないだろ』

昔、『あの人』の真似をして、
屋上でタバコを吸っていた
どこまでも空は青くて
どこまでも世界は広がっていた

何処かの駐車場に、車を停めて
スローバラードを聴いていたんだ、二人で
月の光が、眩しくて、美しくて
風が二人を  優しく撫でたんだ

切なくなって、全てのことが
いとおしくなったんだ

そうさ、あの夜と同じ  今も『あの人』の歌
心を、叩くんだ
今もまだ、あの日の風のように、
そう『あの人』は、笑うんだ
『大丈夫、大丈夫、そうさ、
楽しんで行こうぜ』って

そうだ、『あの人』は歌ってる

愛し合ってるかい?愛し合ってるかい?
愛し合ってるかい?Baby、愛し合ってるかい?

例え今日が苦しくっても、
君に『大丈夫さ』って伝えたい
あの日の空のように、風のように、
『あの人』のように
君に『大丈夫さ』って伝えたい

愛し合ってるかい?愛し合ってるかい?
愛し合ってるかい?愛し合ってるかい?

愛し合ってるかい?愛し合ってるかい?
愛し合ってるかい、Baby、愛し合ってるかい?

作詞・作曲/野楽亭

今日のことではなく、一昨年のこと。
あの『強行採決』に、心底がっかりした。
こんなくだらない政治で、
こんな腐った政治家たちで、
一体どこに民主主義があるのだろう?
こんな連中に、
ワタシらは生活を牛耳られちまうのか?と。

今も、繰り返されている。

まるで清志郎さんが言った通りじゃないか。

でも、だからこそ、
こんなところで潰されたくないな、と。

『Stormy Days@2017』

『酷い時代に生まれてしまった』
『この世界に愛なんて存在しない』
『このまま虐げられて生きてもいられない』
誰かが銃を手に入れ闇へと走り出す

懐に隠したナイフを取り出して
無造作に誰かを切り裂くだろう
流れ出す冷たい血に手を震わせて
『正義を為した』と得意気に騒ぎ出す

やがて真夜中へ閉ざされてゆく
砂漠の空へと投げ出されてゆく
そして誰もが  嵐の中
生まれた意味を探し始める

見えない神に祈りながら僕ら、歩いてゆく
悪魔の誘いに魘されて僕ら、歩いてゆく
砂嵐にもがきながら僕ら、歩いてゆく
月明かりだけを求めて僕ら、歩いてゆく

『誰もが心に病を持っている』
『誰もが心に飢えを感じている』
『誰かを救うのなら何かを棄ててゆけ』
誰かが屍に足をかけ、踏みにじる

シナリオ通りの愛情を手にして
見せかけだけの幸せを語るんだろう?
何かを隠すための悲劇も用意して
傷つける言葉に酔いしれているのでしょう?

気づけば心は、檻に入れられ
静かに闇へと沈みこんでゆく
そして誰もが  いずれ来る
『土に還る日』を迎えてゆく

見えない神に祈りながら僕ら、歩いてゆく
悪魔の誘いに魘されて僕ら、歩いてゆく
砂嵐にもがきながら僕ら、歩いてゆく
月明かりだけを求めて僕ら、歩いてゆく

作詞・作曲/野楽亭

実際には、湾岸戦争だったか?の頃に作った歌詞。
真夜中、何の気なしに、ドキュメンタリー観ていて、気がついたら『放送中止』の時間。
画面は砂嵐に。
世界のどっかで、こんなことが、ずうっと繰り返されていて、終らない。
なんなんだ?と。

共謀罪ではこんなことはなくならない。

誰かが誰かの正義のために殺されたり、
誰かが誰かの幸福のために踏みにじられたり、
誰かが誰かの都合で檻に入れられたり、
誰かが誰かの金のために、奪われたり。

共謀罪がこれらを本当に止めようとする為の
法律ならば、
今も世界で起きていることは、
一体、何だ?

と、そういう言葉を奪おうとするのが、
共謀罪の正体じゃないのか?

と、あの場所にはいなかったが、間違いなく『こんな人達』と呼ばれたひとりであろうワタシは、思う。




夕暮れ 歩道橋の上 すれ違った 
男のため息をきいた
通りがかった公園  ベンチに座る少女の
溢れる涙はなんだったろう
毎朝  決まった時間  ホームに佇む若者は
物憂げに空を見ている
こんなに曇った街の中で  それでも
子供たちは  ただ笑うんだ  元気に

寂れた毎日のなかで  ただ埋もれてゆくだけ
そんな風に思うのは  俺たちだけかも知れない

下らないニュースばかりが  日々流されている
つまらないことにばかり  揺り動かされる
悲しくて耳を塞いで  苛立って目を閉じる
それでも悪態が口から漏れちまう
こんな夜には  どうしても  どうしても  
どうしても
君と他愛もない話をしたい

こんなに弱くてちっぽけなのは  
俺だけかも知れない
こんなに寄り添ってくれるのは
君だけかも知れない

明日の話をしよう  悲しくても 
 明日の話をしよう
辛くても、どうしようもない今日でも
明日の話をしよう

『大して持ち合わせもないのに
何もかも奪われちまった』
今すぐ君に会いたい
君の柔らかな笑顔をみて、安心したい
君と愛し合いたい

こんなに暗く沈んでいるのは
俺たちだけかも知れない
この世界に残されたのは
俺たちだけかも知れない

明日の話をしたいんだ  君と
明日の話をしたいんだ  君と
明日の話をしよう
真っ暗でも  明日の話をしよう

こんなに哀しいのは、
俺たちだけかも知れない
こんなに辛くてどうしようもないのは
俺たちだけかも知れない

明日の話をしよう
明日の話をしよう
光が見えなくても、音が聴こえなくても
明日の話をしよう

明日の話をしよう
『いつか子供のように笑える』って
根拠なんかなくても、馬鹿みたいに
馬鹿みたいに、馬鹿みたいに、
明日の話をしよう
明日の話をしよう

作詞・作曲/野楽亭

現実感のない現実。
真実がどこにあるかわからない日常。
昨日のことを、よく思い出せなくなる、
日常。

明日がほんとに明日であるように。

ささやかに、願う。
『咎人の歌』

北の地を襲った悲劇に   全てを奪われても
故郷を想い続ける人々がいる
南の海を汚されて  森を蹂躙されて
尊厳をも潰されそうな人々がいる

夜の闇に今も、怯えて眠れない
朝陽を恨んでしまいそうだ

そんな人々の傍らを今も、
金の塊で出来た  怪物が  横たわっている

こんな現実に取り囲まれて、そんな中で
『美しい国』は  どこへ向かうんだろう
虚飾された  夢と希望を押し付けられ
銃を構えた『平和』が  行進してくる

耳を塞がれて  目を隠されて
言葉も失ってしまいそうだ

明日に見放されて  昨日に見棄てられて
僕らは  子供たちに  何を残せるんだろう?

いつか  心を溢れだす真実が
僕らを  咎人へと  変えてゆくだろう

叫び続ける心が  軋み続ける言葉が
僕らの罪を暴き出すだろう

心を見放すな  真実を見棄てるな
咎人と  呼ばれようと

作詞・作曲/野楽亭

おおよそ競馬とは関係なく。


7月11日。この日までに作ろう、と思った歌。

誰かに忖度して歌を作ろう、歌おう、なんて、
とてもじゃないが、考えられない。

愚国礼讚、なんて、絶対しない。