EPSEMS速記法  個人メモ用速記法の現実論 | 個人用途の新速記法 EPSEMS(エプセムズ)

個人用途の新速記法 EPSEMS(エプセムズ)

 草書派理論(CURSIVE THEORY)に基づく
  日英両言語対応の手書き速記法



  個人メモ用速記法の現実論

 

 


 現段階において、 このEPSEMSは 「 英語及び日本語 」 をメモするためのメモ用文字として確立され、 実用化に入って久しい。


 高速度速記の領域を完成するためには、 まだまだ速記法則自体の整備、 洗練化といった作業の余地があることをも認識しているけれども、 「 個人メモ用の速記法として必要十分なる体系がすでに確立されていることは明白である 」 と自認するにいたって久しくもある。 したがって、 さまざまな諸氏のさまざまな評がもたらされるであろうことは覚悟しつつも、 このEPSEMSをありのままに公表していきたい。


 世界共通語とも言える英語を対象としたEPSEMS英文速記に関しても、 英語を母国語として持たない輩に何ができるか、 といった感を持たれる向きもあるかとも思う。 しかしながら、 世にはこのEPSEMSを学び、 役立てていかれる方々が必ずや存在するはずだとの信念、 確信とともに、 世の速記研究の一つの姿として世間の眼にさらすことをおそれずに公開しようと思う。


 ここではまず、 「 英文速記3大方式 」 と言ってもよいであろうところの 「 Pitman、 Gregg、 Teeline 」 の各方式について若干述べてみたい。


 私自身は、 「 門外漢ならぬ英語外漢!? 」 ながらも、 これら 「 Pitman、 Gregg、 Teeline 」 といった英文速記法をそれぞれ学んだ上で使用し、 比較、 検討、 研究してきたが、 それぞれがそれぞれの特徴を持つ、 まったくタイプの異なる速記法である。


 まず初めに、 「 Pitman式 」 は 「 Geometric systems = いわゆる幾何派 」 の書線体系を有する。 近代的、 高度な速記理論により高速度まで展開していく様は圧巻、 見事である。 世界中の速記法に多大な栄養素、 影響を与えた、 まさしく 「 グレートな速記法 」 「 尊敬に値する速記法 」 である。 Pitman 式の書線には 「 濃く書く線、 薄く書く線 」 といった区別があるのだが、 それがまた味わいになっていると感ずるのは私だけだろうか。


 次に、 「 Gregg式」は 「 幾何派 」 に 「 Cursive systems = いわゆる草書派、 斜線派、 斜体派 」 を融合させたような書線を有し、 「 Script - Geometric ( または Semi - Script ) shorthand = いわゆる半草書派、 半斜線派、 半斜体派 」 などとも分類できる。 その流麗な美しい書線といい、 学びやすい速記法体系といい、 これまた見事な速記法だと言わざるを得ない。 Pitman式、 Gregg式、 Teeline式 等の完備されたテキスト類を見ていると、 惚れ惚れしてしまう。


 さらに 「 Teeline式 」 については、 英文アルファベットの書線の一部をも基礎符号に採用していたりするものの、 考案者の 「 James Hill 」 自身が 「 Pitman式 」 を教えていた経験もあってか、 全体的な書線の傾向はほぼ 「 幾何派 」 に相当するような感を受ける。 Teeline式では、 表音文字としての速記記号に加えて、 スペルどおりに書きたい際にも極力対応できるような速記記号が用意されており、 英語と同様のアルファベットを持つ他言語にも対応していける要素をも持つユニークなものでもある。 テキスト類も完備されており、 イギリスを中心に手広く教育が行われているようである。


 ちなみに、いわゆる 「 手書き速記法 」 には、 その書線の 「 形態 」 から、 以下のように分類することもできる。



◆正円幾何派 = 幾何派                             

  ( Geometric systems )


 主に定規とコンパスにより書かれる線を理論上の書線としてとらえる。 円弧 ( 円の一部 ) や数方向の直線、 円、 楕円、 点、 等々によって構成される。 フランス語、 イタリア語、 スペイン語、 ポルトガル語といったラテン語系統の言語、 英語、 日本語、 韓国語、 中国語などに、 「 幾何派 」 に相当する速記法が数多く存在する。



◆草書派 = 斜線派 = 斜体派                           

  ( Cursive systems )


 ローマ字の筆記体のような線を速記符号として用いる。 草書派の速記法には、 母音に 「 右上方向、水平方向 」 などの上昇傾向の書線を多く用い、 子音に 「 左下方向、 右下方向、 水平方向 」 などの下降傾向の書線を多く用いるものが多い。 ヨーロッパ諸言語にはこれに相当する速記法も数多く存在する。 ドイツ語やオランダ語、 北欧の諸言語、 中欧や東欧の諸言語、 ロシア語などのスラヴ系言語などでは 「 草書派 」 がかなり優勢で、 ほぼ席巻している状態である。



◆文字派                                      

  ( Alphabetic systems )


 普通文字の一部を速記の書線に用いる。 また、 文字派以外の速記書線をも実際には用いたりする。 この 「 文字派 」 に相当する速記法は、 上記の 「 幾何派 」 や 「 草書派 」 が存在する各言語の多くに結構存在するようである。



 なお、英文速記のGregg式のように、 「幾何派 」 に 「 草書派 」 を一部融合させたような書線を有するため、 「 半草書派=半斜線派=半斜体派 」 ( Script - Geometric shorthand または Semi - Script shorthand ) などと分類できるものもある。



 話は飛ぶが、 私自身の母国語は、 「 英語とはほど遠い日本語 」 である上に、 私自身、 英語に精通しているわけでもなければ、 堪能でも決してない。 また、 「 速記教育 」 なるものを熟知しているわけでも何でもない。 そんな私自身が、 数多くの不思議な巡り合わせ、 出会いにより、 たまたま考案することとなったこのEPSEMSは、 長年の経験、 実績を有する偉大なる英文速記法であるところの 「 Pitman Shorthnad」 「 Gregg Shorthand 」 「 Teeline Shorthand 」 等々の前にあっては、 経験、 実績も皆無に等しく、 いささか不完全、 不整備な部分も少なからず存在するであろう。 しかしながら、 これらの速記法とは根本的に異なる独立した速記法としてのEPSEMSの特徴等々について、 ここで若干述べてみたい。


 EPSEMSは 「 Cursive systems = いわゆる草書派、斜線派、斜体派 → 以下、草書派と記す 」 の書線体系を有する速記法である。


 なお、 「 草書派 」 は 「 幾何派 」 と比較して、 「 書線分量、 書線画数 」 がいささか多めであるのも事実ではある。 しかしながら、 例えば英文においては、 「 ある分量を持った文章全体の中に占める、 いわゆる常用頻出語の発生割合 」 はかなり高く、 速記法構築においては当然のごとく、 これら 「 常用頻出語 」 の多くに対しては、 高速度速記に対応すべく 「 省画符号 」 なるものが設定されている。 したがって、 この点においては、 「 草書派 」  「 幾何派 」 相互間における 「 書線分量、 書線画数 」 の差は 「 さほどのものでもない 」 もしくは 「 どちらが多い、 少ないとも言えない 」 といった状態となっていることも推察されるし、 また実際にそのような状態がしばしば出現する。


 ここで、 上記 「 省画符号 」 なるもので対応できないところの、 いわゆる 「 発音どおりに書くしかない 」 語に関しての、 「 草書派 」 「 幾何派 」 相互間の相違についても言及しなければならない。


 まず、 「 書線分量、 書線画数 」 のうちの 「 書線分量 」 についてであるが、 これは言ってみれば 「 ペンのインク使用量 」 にほぼ比例するものであり、 「 インク使用量の大小 」 イコール 「 書線の書きやすさ、 書線の筆記到達可能速度の大小 」 とは必ずしもならないことは当然であろう。


 次に 「 書線画数 」 であるが、 この 「 画数 」 のカウント、 いわゆる 「 画数計算 」 で得た値の大小イコール 「 書線の書きやすさ、書線の筆記到達可能速度の大小 」 とは必ずしもならないことも、 これまた当然であろう。


 また、 この 「 画数計算 」 の方法についても、 書線のどのポイントからどのポイントまでを いわゆる 「 1画 」 とするかについては、 一個人の見解の中でもはっきりしない部分も多く、 ましてや各人相互間における見解の相違にいたっては少なからぬものがあるであろう。 さまざまな書線を速度上 「 等価的に測定、 評価 」 することは不可能にも近く、 したがって 「 画数 」 の単純計算による結果数値を書線の速度性能の基準とすることは、 決定的な意味を持たないかもしれない。


 そして、 これら 「 書線分量、 書線画数の大小 」 というものは、 単純計算では確かに書線の速度の大小に影響を及ぼすであろうけれども、 例えば 「 英文速記法 」 においては 「 母音 」 をかなり省略して書いていっても構わないといった側面があることは事実である。 ここにいたっては 「 斜線派 」 「 幾何派 」 相互間の 「 書線分量、 書線画数の大小 」 よりは、 むしろ 「 ひとつづりの書線の中における各符号間の接続のしやすさ 」 や 「 接続部分が乱れた際の再現判読性の確保 」、 ひいては 「 多少書線が乱れても、 後々判読できると安心して書きなぐることができる 」 といったように、さまざまな実際の状況に対して、 より現実的、 より安全に対応できるような速記書線体系の構築こそが、 当然ながらも重要となってくるように思われる。


 さらにつけ加えたいこととして、 頻繁に書くことの多い、 いわゆる 「 書記頻度の高い語に対する速記符号 」 の 「 脳内パターン化 」 という概念を、 重要な概念として持ち出してみたい。  「 身体になじんで浸透し、 書き慣れ、 親しんだ符号 」 というものは、 「 発音どおりに書くという概念以前に、 むしろひとかたまりのつづり、 シンボルとして、 脳内でパターン化されている 」 と思われる。


 ここで、 さまざまな 「 各単位符号同士の接続部分の不具合、 いわゆる接続不具合ポイント 」 について言及したい。


 まず、 頻出語も、 そうでない語も、 「 各符号間の接続のしやすさ 」 がより好ましい速記法であるほど、 その速記法の扱いやすさは高いであろうとも推察する。 そして、 「 接続不具合ポイント 」 についてであるが、 「 どのような部分が接続不具合ポイントであるのか 」 についての定義づけをここでするつもりは私にはないし、 また定義づけをしたところで、 完璧な定義づけなど、 そうそう簡単に私にはできないとも思っている。


 この 「 接続不具合ポイント 」 とは、 言ってみるならば、 往々にして 「 心理的にも、 物理的、 現実的 」 にも書きにくい上に、 速度を停滞させ、 乱れを生じやすく、 よって判読性を損ねやすいため、 扱いにくく、 書きたくなくなるような部分である。 そして、 一つの速記法全体の中に占めるこの 「 接続不具合ポイント 」 の発生割合が高かったりすると、 個人メモ等にその速記法をあまり 「 使いたくない 」 等々と思わせてしまうほどのものでもあると思っている。


 話は若干変わるが、 いわゆる 「 普通文字 」 というものの一側面について、 若干触れてみたい。


 「 普通文字 」 というものは、 もちろん人間がつくってきたものではあるものの、 そのほとんど多くが 「 人工的 」 というよりは 「 自然発生的、 自然発展的 」 に生成、発展、存続してきたものである。 普通文字の速度性はともかくとして、 上記で言うところの、 いわゆる 「 接続不具合ポイント 」 なるものは、 長い歴史上における現実使用を通して 「 自然淘汰、 改良 」 され、 そんな中で、 多くの人々が用いても、さまざまな意味で不具合、 問題を生じにくい 「 現実的 」 な字体のみが生き残り、 使用されているといった側面を持つものが 「 普通文字 」 でもある。


 これに対して、 「 速記符号 」 というものは、 いささかというか、 普通文字よりは明らかに 「 人工的 」 な側面が大きいものでもある。 したがって、 一つの速記法の構築過程においては、 この 「 不具合ポイント 」 なるものは、 極力可能な限り解消、 もしくは何らかの対策を施すといった努力が傾けられてもいる。 しかしながら、 そもそも速記符号というものには、 その画数の少なさから来ることもさることながら、 どうしてもデリケートな 「 接続不具合ポイント 」 が散見されたりするのも事実であろう。


 なお、 ここであえて言っておくと、 「 草書派 」 タイプの速記法の符号同士の 「 接続不具合ポイントの発生割合 」 は、 「 幾何派 」 タイプの速記法の符号同士の 「 接続不具合ポイントの発生割合 」 と比較して、 その構造上 「 少ない 」 と思われる。 ただし、 これははっきりとことわっておかなければならないのだが、 私自身は 「 幾何派 」 タイプの速記法を批判、 否定しているわけでは決してない。  「 幾何派 」 「 草書派 」 それぞれの長短があることは当然であると思っているし、 「 何派 」 を問わず、 私は速記法自体が大好きでもある。


 なお、 現在でも使用されている英文速記法の主要なものの中で、 EPSEMS以外の 「 草書派 」 タイプの速記法の存在を、 少なくとも私は知らない。 過去にそれなりの試みはあったものの、 現在使用されているものとしては、 これといった情報をつかんだこともない。 私自身は不思議なことだとも思っているが、 現在では「 英文速記法の主要なものの中に草書派は存在していない 」 ようなのである。 そして、 「 そもそも英文速記法に草書派は合わないのか 」 という仮定も思いつきはするが、 これまた少なくとも私の中では、 英文速記法に草書派が合わないなどという感覚はまったく一切ないと言ってよい。 むしろ 「 とても合う 」 とさえ思っている。


 さて、 先に 「 扱いにくく 」 という言い方をしたが、 逆に 「 扱いやすい 」 速記法とはどのようなものであろうか。 よく言われるのが 「 学びやすく、 書きやすく、 読みやすい 」 といったものである。


 「 学びやすい 」 ものは、 速記法としても合理的、 論理的で整備、 洗練されている傾向にある場合が多いと思われる。 したがって、 書く段階においても、 各語に対する速記符号をより瞬時に思い浮かべやすいために、 結局は書きやすいといったことにもつながる。 そのようにしてスムーズに書き記された速記符号は、 読む段階においても、 より確実に読みやすい傾向をもたらすことにつながると思われる。


 また、 「 書きやすい 」 速記符号は、 例えば 「 運転しやすい車 」 同様、 トータル的に 「 扱いやすい 」 ため、 それを使う側にも 「 ついつい気軽に使いたくなる 」 「 重宝し、 愛用している 」 といった傾向をもたらすことにもつながると思われる。 ここで言う 「 重宝し、 愛用 」 される状態は、 そのものが存在する存在意義を満たす最高の状態であり、 そのような状態の時、 速記符号はまさに 「 速記符号冥利につきる 」 であろう。 そして使われれば使われるほどに、 その速記符号はこなれていき、 さらなる改良点も生まれ、 自然発展し、 洗練されていくのかもしれない。


 そして 「 読みやすい 」 速記符号は、 当然ながらその速記符号使用者としての 「 リピーター 」 をふやすことにつながるとも思われる。  「 読みやすい 」 ということが速記符号使用上においていかに 「 快適 」 なものであるかは当然であろう。


 なお、 「 書きやすい 」 という部分について、 もう一言つけ加えたい。


 書線のなめらかさや、 つながりのよさということに加えて、 ペンの筆先を紙面から離す回数、 いわゆる 「 離筆回数 」 についても、やたらと多いよりは少ない方が好ましいであろう。 時には、 何かをリセットしたり、 ある種の筆勢をつけたり、 筆記者の脳内を休めるための 「 離筆 」 が 「 勢いづけ 」 として効果的な場合も少なからず存在する。 しかしながら、 例えば 「 受話器を片手に、 もしくは片手間に紙片に文字を書きなぐらなければならないような時 」 など、 「 離筆回数 」 が少なく、 なめらかに書けるといったことは、 実に楽で現実的であろう。 ローマ字のブロック体に対して筆記体の例のように、 離筆回数の少なさから来るある種の現実的な書きやすさが、 まさにこれに相当する。


 なお、 「 速記の速度 」 についてであるが、 一部のプロ速記者の方々などは別として、 日常の個人メモ用途においては、分速200字とか300字とかといった多少の速度差よりは、 むしろある程度の速度 ( 例えば分速120字 ~ 200字程度 ) が確保されていさえすれば、 以上のような速記符号自体のトータル的な 「 扱いやすさ 」 の方が、 その速記符号使用者としての 「 リピーター 」 を生むことに有効であろうと思われる。 さまざまな言葉、単語に相当する速記符号がより確実な書線であり、 あとで判読するのに安心していられると筆記者自身が実感しながら書き進めていける速記法体系が、 より現実的であるということである。


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