【戦争は美しいか】鎌田慧 東京新聞本音のコラム 8月16日
8・15はたいがい、どこかの集会に出かけている。
今年は神戸の友人に呼ばれた。
空襲被害の大きい町の人々に、空襲を知らない人間が、
なにをいうことができるのかとも考えたりしたが。
でも、青森県弘前市で疎開は経験ずみだ。
大都会の子どもたとのような集団疎開ではない、建物疎開。
空襲に備えて道路を拡張し、防火帯をつくる。
そのための線引きに従って家を取り壊す。
今安倍内閣が考えている「緊急事態時」の強権発動だった。
だから、8月15日は疎開先の山村で迎えた。
国民学校1年生だった。友達はいない。
神社の境内でひとりで遊んで、間借り先に帰ると、
両親が円筒形の小さなラジオの前に正座、4つの足裏がみえた。泣いていた。
それから71年。
日本政府の不思議は、平和のためと言いつつ、
米国の戦争に参加する法を強行採決、防衛予算を増やし、
戦闘機やミサイルを増強していることだ。
沖縄辺野古や島に、軍事基地建設を強行している。
戦争は政府の命令で始められる人殺し作戦である。
殺すのは敵兵ばかりではない。
敵国の女性を性的暴行し、虐殺し、人肉を食らい、部下をリンチで半殺しにし、
気に喰わない上官は殺害した。日本兵が体験した蛮行だ。
政府が「平和のための戦争」といいだすのを防ぎ、
戦争は絶対させない運動を強めたい。(ルポライター)
_______________________________転載終わり
彼らが最初貧困者を見て見ぬ振りした時
私は声を上げなかった。
私は貧困者ではなかったから。
彼らが福島を見捨てた時
私は声を上げなかった。
私は福島の人でなかったから。
彼らが沖縄を攻撃した時
私は声を上げなかった。
よその出来事だと思ったから。
彼らが 私を攻撃し始めたとき
私のために 声をあげる人は
もう 誰ひとり残っていなかった