長崎から来た青年 辺野古でのスピーチ

Facebookより

こんにちは。
僕は長崎の若者で結成された自由と民主主義を守るための行動団体N-doveのメンバーの森爽です。僕たちは戦争出来る国づくりを進める安倍政権と安保法制に反対するために6月にN-doveを結成しました。毎月一回のペースで街宣やデモ行進を行ったり、県内の各政党に対して戦争法廃止の申し入れを行ったりしています。 

僕は2日前、ここに来ることを決めました。 
先日、「辺野古に警視庁機動隊 地元反発で もみ合い」と小さな見出しのついたニュース映像を観ました。淡々としたナレーション、飛び交う怒号の中で目にしたものは、紺色の制服を身に纏い、一様にマスクをした不気味な集団が、おじいさんたちに飛び掛かり、足の不自由なおばあさんまでも強制的に排除する光景でした。 

彼らが東京から派遣された機動隊員であることは誰かのFacebookで知りました。 
東京からの交通費やリゾートホテルでの宿泊費が僕たちの税金であるということも。 

こんな暴挙が本当にこの国で起きているのか、と目を疑いたくなる一方で、抗議を続ける人びとを威圧するように囲む蒲鉾のような青い車両は酷く見覚えのあるものでした。 
民主主義の根幹を揺るがすこの事態に、いてもたってもいられなくて、僕は今日ここに立っています。 

実は僕の地元でも同じようなことが起きています。ダム建設を巡って、ダムの底に沈むことになってしまう村の住人たちと、どうしてもダムを建設したい県側が対立を続けているのです。 

治水、利水の両面で必要性の乏しいダムであるにも関わらず、国が告示した事業認定に基づき、地権者たちの土地は強制収容されています。 

ダム建設のゲート前で毎日座り込みを続ける人は、家事や畑の手入れもままならないと言っていました。いつ業者が来るか分からない、いつ国から訴えられるか分からない、終りの見えない闘いが日常の一部になっているのです。 ここにいる人たちも同じだろうと思います。 

たくさんの人の痛みがあるのだろうと思います。 
非戦の誓いを貫く琉球・沖縄の魂が、戦争の悲惨さを知る人たちの重たい声が、米軍による犯罪の癒えない傷を抱えながら生きる人の苦しみが、たとえ排除されようと、何度でも自らの足でこの地に立つ人たちによって示されるオール沖縄の民意がここにはあるのだろうと思います。 


だから僕はその人たちの思いを踏みにじるような辺野古基地建設を許すことは出来ません。 

昨日のSEALDs KANSAI 今日のSEALDs RYUKYU, SEALDs, SEALDs TOKAIに続いて明日は福岡のFYMという団体が辺野古新基地建設反対のアピールを行います。11月の始めには熊本で辺野古新基地建設に反対する若者団体KOGYANが誕生しました。12月には僕たちN-doveも長崎で辺野古ワンイシューでの街宣を計画しています。 

僕と同じように、こんなのおかしい!と感じたたくさんの人々が声を上げ始めています。 
沖縄の長い長い闘いがこの国に生きる全ての人の闘いになる日が来ました。 
政府はこれまで沖縄を徹底的に痛めつけて来ました。 
基地問題を沖縄だけの問題として矮小化して来ました。 

しかし、そのあまりに過ぎた暴力と暴走が僕たちの関心と連帯を呼んでいます。 
今こそ、権力の暴走と本土の無関心に楔を打ち込む時です。 


昨日初めて沖縄の地に立った僕に『連帯』という言葉を使う資格があるかどうかは分かりません。 

それでも、怒りと悲しみを抱え、何度痛めつけられても沖縄の美しい風土と魂を命懸けで守ろうとした皆さんを尊敬しています。連帯していると伝えたいです。 

長崎から来た少年が、ここに来るまでの怒りと、ここから見える希望に震えながらマイクを握る日が来ました。 

この夏、民主主義ってなんだ!と問い続けてきた僕たちはもう、基地問題を沖縄だけに押し付けたりはしない。 

諦めや無関心と闘ってきた沖縄の歴史に学びながら、この国に問われる憲法の理念と政治の在り方を示すために自分に問われていることを考え続け、行動し続けます。 

2015年 11月14日 僕は自由と民主主義を守るために、辺野古新基地建設に反対します。

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辺野古も戦争法案も許さん

いいね 長野の写真だそうな..,