Facebookで紹介されていた
版画家 浜田知明氏の作品集を借りてきた すごい   

ほんの一部ですが 紹介します...ぜひ全編どうぞ

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「もしも戦争に参加しなかったらなら
 もしも戦地を踏まなかったら 
 僕の芸術観は もっと変わったものになっていたかもしれない。
 然し 戦争の体験によって、人生観に於いても、作画する態度に於いても
 僕はそれと切り離して物を考えることができなくなってしまった。」

 初年兵哀歌 歩哨 1954年


「最近赦免されて 刑務所の門を出る
 一部戦犯者達の 誇らかな顔と 不謹慎な言葉には
 激しい憤りを覚えずにはいられません。
 再軍備の声は巷に高く その眼から怪しげな光芒を放つ亡霊は
 今や暗く淀んだ海面から浮かび上がりつつあります。」

 よみがえる亡霊 1956年


「戦地に一歩足を踏み入れた時 そこで行われていることが
 大東亜共栄圏建設のための聖戦という美名と いかに裏腹なものであり
 日本国民の福祉のために行われているはずの戦争が
 実は日本を支配している ごく一部の人達のためのものであるらしいことを
 私は知った。」

 初年兵哀歌 1952年

 初年兵哀歌 風景 1954年



「平和な環境におかれれば何の過ちを犯す事もなく
 善良な市民として一生を送れる人間が
 ひとたび戦場という特殊な状況におかれた場合
 獣性をむき出しにして暴虐の限りをつくし合う
 戦争とは一体何であろうか」

 首 1951年


「一体 一国の厖大な資源と人命とを
 消失した責任は誰がとったか。
 ゆえなくして荒らされた
 大陸や南方の人々に対する彼らの償いはどうなったか。」

 假標 1954年


日中戦争の1939年冬 浜田知明氏は入隊し中国の山西省へ従軍した
旧日本軍における絶対服従下での私的制裁の横行
人間扱いされない下級兵士は 人間性を失い歯車となる

インテリの芸術家だった彼にとって
「三光作戦」とか「粛清作戦」と言われたその戦争体験が
どんなものだったか作品を見ればわかりますね...

 初年兵哀歌 歩哨 1951年



「いつ果てるとも知れぬ戦争と 
 納得できない戦争目的と
 抑圧された自由の屈辱から
 自殺への誘惑が間歇的に自分を襲った。」...