2011年2月10日退院。① | 嘘だと言ってよ~私が乳がん!

嘘だと言ってよ~私が乳がん!

2010年7月7日に乳がん宣告。
FEC→ドセ→手術→タスオミン
2012年10月16日肝臓転移が解りました。
10ヶ月のアバスチン&パクリタキセルでガンが無くなりました。
ホルモン剤のフェソロディックス
マーカー上昇でゼローダ服用中。
2015年1月ロゼウスに薬剤変更

久し振りのブログになります。

なんやかんや忙しい1週間で、

毎日バタバタしておりました。


昨日は学生時代の友達5人と

全員無事に50才になれたお祝いをしてきました。

50才にもなると、親の介護、自分の病気、

子供の事等、なかなか友達全員で集まる事が難しく、

昨日は2年振りの全員集合でした。

やはり学生時代の友達は気兼ねなく何でも話せて、

あっと言う間の4時間でした。

新年会も絶対にしようねと言って解散しました。

その中の1人は場所は違えども、やはり34才の時に

ガンになり、今はとても元気に生活している友達がいます。

その友達に沢山励まされ、思わず涙ぐんでしまいました。

私より若い時にガンになり、小さな子供が3人いて

旦那さんとは上手く行ってない時の闘病でした。

私の何十倍も苦悩し、そして苦労した友達でした。

その友達から色々励ましの言葉を聴くと、

本当に優しさが身にしみて・・・やはりガン患者にならないと

解らない事が沢山あるんだなという事が身に沁みました。

この友達と会うためにも、元気でいなきゃ!と思いました。


話が飛びますが、退院の時の事を書きます。

主治医から明日退院の許可で出て、

看護師さんから午前中の退院になる事を告げられて、

嬉しくて天にも昇る気持ちでした(笑)

身の回りの物を少し残して、

主人に大方の荷物を持って帰って貰って、


1人ぽつんとしていたらメールが来ました。

主人からでした「明日はなるべく早く病院に行くね。辛い手術も頑張ったね。

ようやく退院できて嬉しいです。ラムがいないと家が寂しがってます。」というメールでした。

家が寂しがってますと言う所で思わず泣いてしまいました。

照れやで口下手な主人の精一杯の愛情表現でした。

今の若い旦那様なら、お前がいなくて寂しかったとストレートに言えるのでしょけど、

我が家の旦那さんはどうも・・その点が上手ではなく(笑)

今まで主人は出張で家を空ける事が当たり前で、

私が1人で家にいるのが当たり前の生活でした。

それが、私の手術&入院となり、立場が逆転してしまいました。

主人にとっては結婚して初めての11日間に1人暮らしでした。

こんな事を書いてくるなんて余程寂しかったんだと思います。

このメールを読んで、もう2度と入院なんてしない!と思いました。


退院日の朝になりました。

主人は9時過ぎに病室に来てくれました。

看護師さんが「会計の準備が出来次第お知らせに来ます。

それまでは病室で待機していてください」と言われました。

9時、10時、11時、何時まで経っても連絡が来ません。

痺れを切らした主人がナースセンター聞きに言った所、

下の階から順番に会計をするらしく

私が入院した病棟は6階で最上階なので

どうしても遅くなってしまうとの事でした。

それなら、そう言ってくれれば良いのにと、

ぷりぷり怒りながら帰ってきました(笑)

それから20分位してようやく会計の準備が出来て

1階の会計まで主人がお金の精算に行って来ました。

金額を見て、個室料金をのぞけば、

思ったより安い手術費などで少し驚きました。

師長さんに手渡す書類を持って、とうとう退院です。

ナースステーションで師長さんに書類を渡し、

「色々お世話になりました。看護士さん達のサポートの

お陰で、快適な入院生活でした。ありがとうございました」と

挨拶をしたところ、師長さんが

「もう2度とこの病棟に来る事が無いように、元気でいる事を願っています。」

とのお言葉を頂きました。

看護師さんや食事の世話をしてくれた方、お掃除のおばさん達に挨拶をして

病院を後にしました。


丁度お昼時だったので主人が「退院祝いに何か食べていく?」と言ってくれたのですが、

私は何しろ家が恋しくて恋しくて(笑)

病院の近くのスーパーでお昼に食べる物と

晩御飯の材料を買って一目散に家に帰りました。


長くなっちゃったので続きはまた書きます。