武士道を行く 勇氣の本当の意味 | 釣猿おりたの釣行発信基地!!!

武士道を行く 勇氣の本当の意味

江戸時代中期に肥前の国(現代は佐賀県)の鍋島藩士の山本常朝が口述し、田代陣基が筆録した書物で『葉隠』がある。

 

「朝毎に懈怠なく死して置くべし」

毎日自分の生死にかかわらず、正しい決断をするべき。

 

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」

武士道とは死ぬことである。

 

葉隠思想は別名「死狂い」とも言われています。「無駄死に」とも言われています。果たして武士の死は無駄なのであろうか?その侍精神の中に「恐れ」とはあるものだろうか?

 

現代の学校教育の歴史で教えていただける有名人の中で織田信長という人は自分で自分の腹を切り自害しています。これは無駄死にでしょうか?「天下布武」を掲げて天下統一を目指した名君は毎日自分の生死にかかわらず天下国家の為に毎日精を尽くした生き方をしたとしか考えられません。じゃなければ、交通事故の様にいきなりやってきた下剋上、いきなりやってきた家臣に攻められた時にその一瞬の判断で決断し潔く割腹できたでしょうか。これには毎日死ぬ覚悟があった漢にしかできない事でしょう。現代ではこの名君は日本で一番の有名人です。偉業をやってのけてこその日本一です。歴史が証明しています。この名君は死を覚悟していました。

 

坂本龍馬は織田信長につぐ有名人です。この方はこんなことを述べています。「人はことをなす為に生まれてきた。しかしこんな時代だ。志半ばで命尽きることもあるかもしれない。ならばたとえドブの中で命尽きようとも前のめりで死んでいきたい。」この言葉からも死を覚悟していなかったなどとは到底考えにくい。

 

私に勇氣をくれた恩人、私に生き方を背中で語ってくれている先輩で与国秀行さんという方がいる。この方が語る「武士道」の中にこんな文がある。

 

いきなり「死ぬこと」とはどういうことなのか、「武士道は死ぬことである」、これはいったいいかなることなのか。これはもちろん犬死、無駄死にをすすめているわけではない。現代の常識からみれば『葉隠』が述べていることも、そして吉田松陰が弟子に述べていることも、なんとも”狂った思想”にも思えなくもない。「侍とは単なる狂人なのか?」と、そう思えなくもない。しかしまぎれもなく侍たちは常識人だった。彼らはたしかに”偉大なる常識人”だった。

 

もしも目の前に”生”と”死”の二本の道があったのならば、勇気を持って”死の道”を選べ、そうであるからこそ、侍は”活路”を見出して不朽の大業を成すことができる、しかしもし臆病風に吹かれて、”生の道”を取れば、かえって”死地”に追い込まれ、しかも何ら公の仕事も成すことができない。それではただ後悔を残すばかりである。だから真の侍であるならば、生きて大業の見込みあらば、生き抜くことに専念し、しかしもしも死して何ものに変えがたい不朽の見込みがあれば、死をも覚悟して戦う、ということである。これが「武士道とは死ぬことと見つけたり」という本当の意味である。

 

真理を知ることなく、単なる学問バカとなってしまうと、唯物論に染まってしまうことも少なくもない。そうした人が恐れるものは、”死”であり、また求めるものは富や名声、あるいは肉体快楽などといった物質的なものに傾きがちである。しかしこうした”転生輪廻” ”永遠の生命”という真理を知っている人にとっては、恐れることはただ一つである。それは自分が、間違った生き方をしてしまわないかどうか、この一点である。人間が”生命の真実”を知り、正しい心のもとに志を持って生きていく時、”恐れ”というものは存在しないのである。

 

与国秀行「武士道を行く」参照

 

この文章の続きを知りたい方は是非この著書を読んで頂きたく思います。

 

日本では数多くの革命が起きてきました。一番近い革命は「明治維新」であります。その前は「島原の乱」。この島原の乱では天草四郎ひきいる農民達が主役でした。日本歴史上における最大の一揆であり徳川幕府のなかでも幕末以前の大きな内戦とも語られています。宮本武蔵の著書にも「十字架を持った決して強いとも思えぬ農夫が命を惜しまず向かってきた」ともあります。かつて島原は殿様の傲慢により住民達は苦しんでいました。その独裁と戦うべく農民は一致団結し一揆を起こしました。殺されると解っていても刀を持った武士に立向かう農夫は「死を覚悟していた」としか思いようがありません。

 

この「死をも覚悟した精神」「勇氣である」と与国さんは語ります。

 

私の師でもある方はこう語っています。

「勇氣とは何か知りたければ、死を覚悟した時に勇氣の本当の意味が解る」

 

現代に当てはめるとどうでしょう。この記事を読んでいる人は「漁業」や「釣り」から入ってきた人は少なくないでしょう。私が叫ぶ「水産庁官僚どもの悪態」を知っている人も少なくはないでしょう。

 

では問います。漁業関係者でこの問題を知っている人はなぜ戦わない?なぜ保身の道を選ぶ?釣り人もそう、釣れなくなった海は誰がそうした?海は誰のものか!知っててなぜ声を出さない?

 

島原の乱の時となんら変わりのない「お上の傲慢」許せますか?保身の道を選んでいる方々は「お上の傲慢」を許しているのになんら変わりはありません。

 

勇氣を持って脱藩すべきです!


そしてこの事実も知ってる人は多いはず。スイスのバーゼルにあるBIS国際銀行に集まる国際銀行家ロスチャイルドひきいるグローバリスト達が、戦後70年間いまでも日本を金融植民地にしている、日本人を金融奴隷にしている。「お金がないと生きていけない。」と心の片隅でも思う気持ちがある人は少なからず奴らに洗脳されています。私も含め全ての日本人が騙されています。この奴隷状態から解放させるには日本政府は通貨発行権を取り戻さなければいけません!日本にある中央銀行は国の持ち物に変えなければいけません!世界中で革命が起きようとしている今こそ我々日本人は立ち上がらなければなりません!一億総立志です!


日本中に革命の仲間がいます。私もそうです、与国さんもそうです。世が腐り果ててくにつれこれからどんどん集まります。それは脱藩する人達が増えるからです。今の世の中に不満を持った人たちが「勇氣を持つこと」が増えるからです。保身を選ばず、貧乏になることを恐れず、志を持った侍が増えるからです。

 

私は勉強は大嫌いです。だから私は「氣づき」と呼びます。知らないものを知るということはとても大切です。本を読むのも知ること、氣づくこと。氣づきは別名「アセンション」と呼びます。聞いたことある方もおられると思いますが、アセンションとは己の心を精神世界への変換することをいいます。勇氣も精神です。身体を鍛えるのはトレーニングして鍛えます。己の精神を鍛えるのは氣づきで鍛えます。

 

まずは知ることから。そして行動し拡散すること。そして恐れず戦うこと。日本の政治は腐りきっています。これを私たちの力で変えようではありませんか!必ず勝つことができます!そう与国さんも語っております。

http://ameblo.jp/uttaetotatakai/entry-12289239228.html

 

革命を起こそうとするイノベーター(革新者)を我々アーリーアダプター(初期採用者)が革命をもっともっと騒がせる必要があります。いつかは社会現象となり、今までは氣づかなかった人たちも革命に参加するようになってきます。そうなると面白い。

 

どうかこの言葉を忘れないで欲しい

 

おもしろきこともなき世をおもしろく!!!

 

みんなで一人の正義の味方!!!