あの日から6年。「早かったですか?」と聞かれるならば早かった気がするし、「長かったですか?」と聞かれるならば長かった気もする。
結局のところ、バタバタしっぱなしで、目の前にあるその日その日をただ乗り越えることしかできなかった、そんな6年間だったように思う。
 
 辛かったことも様々な面で様々なことがあり、実は燃え尽きていた時もあったと思う。でもそんなことを言っていられない状況に常に置かれていたことは、神様からの恵みでもあったのだろうか。
ここで、もしじっくりと6年間を振り返ると、ドッと疲れが出てしまうような気もする。
 
 感謝なことを数えてみるならば、それも確かに数え切れないほど多くある。
どれほど多くの方々に見つめられ、手を差し伸べられ、そして祈っていただいたことか。
また、6年の歩みのそこかしこで、神様の偉大さを体験し、神様の愛の深さを知り、教会の持つ力の大きさを感じた。
この教会だったからこそ、様々なことがあっても、ここまで祝福の道を歩んでくることができたのではないだろうか。
 
 そんな日々の中で、自分は何をしてくることができたのだろうか。フッとそう考えることもある。
でも、自分が神様のために何をしてきたのか…ではなく、神様が自分を通して何をしてくださったのか。何をしてくださろうとしているのか。いつも身を低くし、神様にとって用いられやすい者でありたいと願わされている。
 
 この3月は、震災から6年を迎える月でもあり、自分が福島第一聖書バプテスト教会に来てから12年を迎える月でもある。
と言うことは、福島に来てからの年月は、震災を挟んでちょうど半分。これからは、“震災前”よりも、“震災後”の方が長くなっていく。“非日常”だと思っていた震災後の日々が、自分にとっての“日常”になっていく。
 
 12年前、福島に来ることを悩んでいた自分に、神様はみことばを通して語りかけてくださった。
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)
 
 当時、牧師の働きから離れ、人生に右往左往していた自分のためにも、イエス様は信仰がなくならないように祈ってくださっていた。今も祈り続けてくださっている。その祈りを背に受けて、神様が自分を通して兄弟たちを力づけてくださるならばと、いわゆる“縁もゆかりもない”浜通りに飛び込んできた。
僕は、神様にとって用いられやすい者だっただろうか…。
 
 神様から与えられているこの日常に感謝しながら、神様が自分を通して、してくださろうとしていることの邪魔だけはしないようにしていたい。
神様が吹かせてくださっている風に乗って、神様が導いてくださるままに。それが自分の走るべき行程であるはずだから。